4 復活(REVIVE)
帰路に着いた私は、いつもの公園で朱莉を見かけた。
日が短い冬の午後五時は、早くも暁が差し込んでいる。
「よう。いま帰りか」
「ええ。朱莉は授業を受けなかったの? 見かけなかったけれど」
「いや、アンタらの護衛のために、こっそりと着けていただけだよ」
「そう」
私と朱莉は、ブランコに座る。お互いに、小さくゆらゆらと揺れている。
私の黒い靴が、陽の光をぼんやりと浮かび上がらせる。
「ついさっき、ルナークに会った」
「何かされてない?」
朱莉は肩をすくめた。
「別に。世間話しただけさ。だけど、ルナークのやつ、力を蓄えているらしくてさ。また、あちこちで実験をはじめるつもりらしいよ」
「そう。これ以上、あいつの犠牲者を増やさないために、何度でも殺してやる」
感情が迸り、両目を薄紫色に光らせる。
朱莉が私の肩に左手を軽くぽんと置いた。
「まあ、そう焦るなって。人生、焦ってもいいことないぜ。アタシみたいに生き急いでいると、意味もなく命を費やす羽目になっちまう」
「……私は人生を捨てた悪魔よ」
「アンタの器は、どこからどう見たって人間だろ? そもそも人間が人間だって証拠は、人間の器を持ったやつらが勝手に決めたことだしな。もっと自分を大事にしなよ」
「……朱莉は何を目的に生きているの?」
「アタシは生きるために生きている」
その割には随分とお節介な気がする。ただ生きるためだけなら、いつも私達の近くに陣とって魔物狩りをする意味はあるのだろうか。
「かなえは?」
「私はほづみやあなた達のために生きているつもりでいる。けれど、結局は自分のためにしかなっていない。……そんな気がしてならない」
「そっか。ま、人生長いし、気長にやろうぜ」
朱莉はうんと伸びをした。気楽に生きられるあなたが羨ましい。
「美月の家に帰るけれど、朱莉も来る?」
「じゃあ、付き合うか」
朱莉はおもむろに立ち上がる。銃を撃ち、異空間の扉に足を踏み入れる。
もやもやとした感情を抱きながら、朱莉の後に着いていく。
夕焼け色の結界が、視界を覆う。仮初めの太陽が、煌々と輝いていた。
ふと、ほづみのことが気になり、小首を傾げる。
「ねえ。あなたがここにいたら、ほづみは誰が守るの?」
「美月に任せてある。美月は指輪がなくても十分強いからな」
怪我をした美月の姿を思い出した。いくら強くても、指輪なしで魔物と渡り合うのは、あまりにも無茶だ。それと、もうひとつ懸念すべきことがある。
「待ちなさい。美月は指輪なしに、異空間には入れないはず。あなたがいない状況で、どうやって魔物の潜む結界に侵入するの」
朱莉は、うんと上体を反らせた。ほんのりと焼き鳥の香りがする。
彼女の額の左半分は、薄ぼんやりとした夕日色に照らされている。
「うーん。自分から結界の中に行こうするのは無理だろうな」
「なら、ほづみだけが異空間に連れ去られたら、どうするつもり」
私が凛とした瞳で朱莉を流し目で見ていると、朱莉はニッと笑った。
「その時のために、アタシの拳銃を一丁貸してある。アタシの半身なら、一発撃つだけでいつでも異空間に入れる。どうだい、便利だろ?」
朱莉は右手で銀色の拳銃を一丁構えた。精緻な蔦の文様が描かれている。
「そこまで大切なものを、美月に貸していいの?」
「ハッ、信頼できるやつに渡すぶんには、何の心配もいらないさ」
「……そう」
朱莉は朱莉から信頼されている。私は……どうだろうか。
「ま、その気になりゃあ、いつでも呼び戻せるからな。ほら、着いたぜ」
朱莉の銃声が轟き、空間の裂け目が広がる。
「んじゃ、アタシは裏から見守っているから。せいぜい頑張りな」
去り際、朱莉の手が私に軽く振られた。別れの挨拶のつもりだろう。
美月の家に上がり込み、控えめに声を張り上げた。
「美月、いる?」
「いるよー」
遠くのほうから、のんきな美月の声が返ってくる。
「あ、ほづみん、ちょっとごめんよ」
直後に、大岩を転がしたような、大きな物音がした。
「あいたたた……」
「美月ちゃん、大丈夫?」
「平気、平気!」
元気な美月と、心配そうなほづみの声がする。
「ちょ、どうしたの?」
「今、行く!」
栗色の瞳と髪をした美月が、ドアの向こうからひょいと顔を覗かせる。
美月の額は、ほんのりと赤くなっている。
「待った?」
「いいえ。美月、転んだの?」
「うん、まあ、ちょっとね」
えへへ、と美月は照れ笑いを浮かべている。
「……美月。これをあげる」
私は多少の罪悪感をこころに秘めながら、美月に指輪を差し出す。
美月は目をどんぐりのように円くした。
「お、これを美月ちゃんにくれるの?」
「ええ、そうよ。でも、ほづみに渡した指輪とは少し違う。これは、あなたのイメージをそのまま指輪にしたもの。私の指輪と光の色が違うのがわかる?」
私の指輪に嵌められた宝玉は、翡翠色に輝いている。
美月の指輪のほうは、深い海色に光を放っていた。
美月は右手の人差し指に指輪をはめた。
「うん。おお、これこれ。この感じ!」
美月が軽く念じると、見慣れた美月の剣が顕現した。
剣は白く淡い光の粉をまとわせている。
「ちょっと試し斬りさせて!」
「いいけど、あんまり魔力を無駄使いしたらだめよ」
「はいはい、わかってるって。光の弓矢はやめとくから」
「何それ」
「うん? 遠くから光の弓矢でバキューンって狙撃できるんだよ。ほかにも、光を網状にして、ルナークをがんじがらめにしたり、綾取りで遊んだりできるよ。でもね、これ、魔力をたくさん使うし、剣で斬ったほうが強いから、ここぞというときだけ使うようにしているなぁ」
「あまり無駄なことに魔力を使わないほうがいいと思うけれど」
「かなえちゃんだって、服を着替えるときに魔力を使っているよね」
「返す言葉もないわ」
「人生、楽しんだほうが得だからね」
美月は指輪の魔力で異空間に移動した。私も美月に続く。
「でやっ!」
美月は予備動作なしに、左手で剣を一薙ぎした。
小さな光の衝撃波が、異空間のはるか彼方まで飛んでいく。
「すごい、すごいよ、かなえちゃん! これがあれば、ガッツリ戦えるよ!」
美月がきらきらと目を輝かせて、私に抱きついてくる。
ここまで喜ばれるとは思わなかった。
「あまり無茶な戦い方をすると、指輪が壊れるから、気をつけなさい。といっても、その指輪はあくまでコピーだから、もし指輪が壊れても、あなたが魔物になる心配はないけれど」
内心少し得意気になりながらも、しっかりと箴言しておく。
「えっ、何それ、すごい」
美月はくるくるとその場で回転しはじめた、
……気づかれないうちに、そっと立ち去るべきだろうか。
「ほんと、すごいよ、かなえちゃん。でも、どうやったの?」
私は、うっ、とうめいてしまう。
察しのいい美月は、剣を消失させて、私ににじり寄って来た。
「かなえちゃんは、どうやってマジカルな指輪をつくったのかな?」
美月の栗色の両目をじっと見つめて、しどろもどろに答える。
「それは、ほら、あれよ。ちょっと私の魂を半分ほど削って……」
「やっぱり! だめだよ、これは受け取れない!」
美月が慌てて海色の指輪を外そうとするのを、そっと制止した。
「待って。美月、あなたにこれを渡すことで、私にも得があるのよ」
暖かな美月の右手を、ひんやりとした両手で優しく包み込む。
美月は小さく瞬きした。怒っている目つきだ。
「かなえちゃんになんの得があるのさ。かなえちゃんの命を削ってまで、あたしは正義を貫こうなんて思えないよ」
「落ち着いて。私ひとりで魔物を狩り尽くすことはできない。だから、あなたにも万全な状態で手伝ってほしいのよ」
「あたしが?」
「ええ。ほづみや、近場の人々を守ってくれるだけでもいい」
「それはもちろんだけど……」
「それが私の望み。お願い」
小さく頭を下げる。
美月は急にしょんぼりとして、小さくうなっている。
「ええ、だって、かなえちゃん。そんなの、ずるいよ……。あたしには、どうやっても断れないじゃないか」
「引き受けてくれるのね。ありがとう。あと、もうひとつ頼みたいことがあるのだけれど。その……少しだけ休ませて」
私はその場で美月にもたれかかった。
「あいよー」
「とうっ」
美月は私を抱えて、異空間を通じ、美月家のベッドの上に直立で着地した。
ぼすん、という音とともに、ベッドが深く沈みこむ。
「ほづみん、ただいまー。待った?」
ほづみは美月家のベッドに座り、テレビ画面をぼうっと眺めていた。
画面には「ポーズ」と表示されていた。見たところ、ほづみは美月と流行の美月と対戦ゲームをしていたのだろう。
美月は私をベッドに寝かせると、小さく伸びをした。
「おかえり、かなえちゃん、美月ちゃん。かなえちゃんは、あんまり無茶したらだめだよ。わたしも、美月ちゃんも、かなえちゃんのことが心配になっちゃうよ」
「ほづみん、指輪のこと知っていたなら、先にあたしに教えておくれよ」
美月はしゅんとしながら、私をベッドに寝かせて、そっと布団をかけた。
「ごめんね。美月ちゃんに言ったら、絶対に受け取らないと思ったから」
ほづみは小さく手を合わせて、てへ、と笑ってみせる。
「むー」
「あたた……やめてー」
ふてくされた美月は、ほづみの頬を伸ばして遊び始めた。
ほづみを助けてあげたいけれど、身体が動かない。
思った以上に、魔力や精気を消費してしまった。
また、ルナークから搾り取ればいいだけの話だ。
「悪いけど、少し眠らせて」
「あいよー。ごはんになったら起こすねー」
美月はカーペットの上で胡坐をかいて、コントローラーを力強く握りしめる。
「ありがとう。あと、ほづみをあんまりいじめたらだめよ」
「ほーい」
私は美月の軽い返事を聞き流して、そっと目を閉じた。
かなり疲れているからか、いつもの悪夢は襲ってこなかった。
ふかふかのベッドに染み付いた、ほづみと美月の果物のような香りを堪能しながら、ぐっすりと眠りに着く。
「かなえちゃん、美月ちゃんがごはん作ってくれたよ」
「うーん……もうちょっと」
「わたしもお手伝いしたから、はやく一緒に食べよう」
「もうちょっとだけ……寝かせて」
もぞもぞと寝返りを打つ。
「えー、でも、今日の講習に遅刻しちゃうよ?」
「えっ?」
薄っすらと目を開くと、目と鼻の先にほづみの額があった。
ほづみの吐息と小鳥の鳴き声が耳朶に響いてくる。
カーテンの隙間からさす陽光が、ほづみの首筋を明るく照らす。
「ほづみ、いま何時?」
「朝の七時。今日はわたしと美月ちゃんも出席するよ」
私は、夕飯を通り越して、朝食の時間まで眠ってしまった。
「まだ、体調悪い? お休みする?」
「いいえ、私も行く」
私は勢いよく布団を弾き飛ばし、学生服に一瞬で着替えた。
翡翠色の光の粉が部屋中に舞い散る。
洗面所まで異空間を通じて移動し、自分の歯ブラシと手櫛を自宅から転送する。
洗顔と歯磨きを丁寧に済ませ、寝癖を直し、ほづみの目の前に顕現した。
「準備できたわよ」
ほづみは突然現われた私に驚いて、小さく息を呑んだ。
「わっ、びっくりした! 心臓が止まるかと思ったよ」
ほづみは、胸に両手を当てて、深呼吸をはじめる。
「ごめんなさい」
「え、謝ることじゃないよう」
私は壁の隅に視線を落としながら、ほづみとダイニングの席に着いた。
食卓には、できたてのハンバーグと野菜炒め、味噌汁、炊き立てのご飯が五人分ある。ハンバーグには目玉焼きが乗っていて、美味しそう。
「よう」
「朱莉ちゃん、おはよう」
「おはよう。朱莉も来ていたのね」
朱莉もちゃっかりと食卓に着いている。
ほづみは席を立ち、冷蔵庫からフルーツジュースのパックを取り出した。
「ほづみ。私も手伝う」
「うん。お願い」
私はコップを並べ、ほづみがジュースを注いでいく。
「そういえば、美月が見当たらないけれど」
「美月ちゃんは、お母さんを起こしに行ったよ。もうすぐ戻ってくると思う」
冷たく閑静な空気を切り裂くように、美月がどたどたと駆けてきた。
「お待たせー! あ、かなえちゃんおはよう! さあ、食べよ、食べよ!」
やかましい美月スピーカーが騒ぎ立てる。
美月の背後から、猫背姿の女性がのそのそと着いてきた。