1 光明(HOLY LIGHT)
仄かに冷たい風が頬を撫でていく。
「はっ」
「よう、やっと起きたか」
視界には坂場朱莉がいた。
朱莉は長い金髪をアップにし、学校指定の水色のブレザーを着ていた。
左右を赤いリボンで縛り、紺色の瞳が私を見据えている。
周囲を確認する。夕方、天気は晴れ。噴水を仄かに照らす洋灯、プラタナス、手入れの行き届いた植木がある。舗装された付近の道路には、数台の車が往来している。どうやら、公園のベンチで横になっていたようだ。
見慣れた場所にいる。
美月は? ほづみは? みんな、どこにいったの?
勢いをつけて身を起こすと、焼き鳥を食べている朱莉に詰め寄った。
「ほづみは生きている?」
「ああ、生きている」
「そう、よかった」
朱莉は少し複雑そうに笑った。
何だっていい。ほづみが生きているという事実に満足した。
「朱莉。今は。何年何月何日?」
朱莉は名前で呼ばれたことに照れているのか、視線を私から焼き鳥に移した。
とてもわかりやすい。
「二〇一六年十二月二十七日。アンタが倒れてから、少ししか経ってねえよ」
二十七日。悪夢の日から一日しか経っていない。
「そう。てっきり、一年以上もの間、眠っていたのかと思ったけれど……」
「幻影の魔物、アンタも見ただろ? あの蝶を」
「蝶?」
最期に見た、ルリイロタテハのこと?
「ああ。アンタはまんまと自分のこころの器の中に閉じ込められた」
「そう。だからほづみや美月の姿をしていたのね」
私にとって、ほづみや美月のイメージはああいうものなのだろうか。
頭が痛くなってきた。
無表情で額を押さえていると、朱莉が焼き鳥を一本恵んでくれる。
「喰えよ。何も食べてないんだろう?」
「気にしないで。私の身体は何も食べなくても平気だから」
「いいから、喰えって」
「そう。……ありがとう」
朱莉から焼き鳥を受け取り、自然と口にしていた。口の中に広がる旨みを期待していたけれど、肉の弾力しか感じなかった。
「……何の味もしないわ。朱莉が相当の味音痴でなければ、私はまた呪われてしまったのね」
朱莉は目を見開いて、ぱちぱちと瞬きをした。
「味がしない? どういうことだよ」
「私は魔物であり、妖魔であり、悪魔でもある。人々が想像する私という害悪は、人間社会と相容れない存在でなければならない。だから、味覚がわからない」
「うん? なんだか難しいけど、要はアンタみたいな特殊な魔物は、味覚を感じられないってことか?」
「そう。……前にもこういう経験をした記憶がある」
「それは、辛いな。アタシにはとても耐えられない」
「なら、私のようにならないほうが身のためよ」
無言で焼き鳥を咀嚼する。
味覚のない生活には慣れている。味覚がなくなって最初のうちは吐き気を催したけれど、いまとなってはむしろ、懐かしい気分だった。
たっぷりと肉の歯ごたえを堪能してから、肉片を嚥下する。
携帯を取り出し、カメラモードで自分の瞳の色を確認した。
紅く輝く瞳が、じっと見つめてくる。
「アンタの事情に首を突っ込むつもりはねえ。でもよ、アタシはなんとなく、アンタのことが気がかりなんだよ」
人はそれを、首を突っ込むというのよ。
……野暮な突っ込みはしない。
「でも、朱莉を信用しているわけではない。当然だ。あなた達にしたことは、取り返しのつかないことなのだから。だから、あなたに協力してほしいとは言わない。私ひとりの問題よ」
「へえ。相変わらず冷たいな、アンタ。いつまでも突っぱねてると、将来、いい死に方しないぜ」
朱莉は焼き鳥を食べ終えると、隣に腰かけてきた。
朱莉と話をしてから、いつもの冷静さを取り戻し始めていた。
腰辺りまで伸びた長い黒髪を、右手の甲で軽く払う。
「あまり楽しい話ではないけれど、朱莉には事実を伝えておく必要がある。別に助けてもらおうなんて思っていない。でも、あなたが知るべき事実よ」
「ふうん。まあ、いいさ。聴いてやるよ」
誰の助けも借りるつもりはないけれど、坂場朱莉には利用価値がある。そういう少し矛盾した理由をつけて、自分を納得させる。
いままで起きてきたこと、か……。
「戦闘に明け暮れた美月が、こころを壊して死んだ」
「それは知っている」
「朱莉は、魔物に姿を変えた美月に斬り殺された」
「……ああ」
「ほづみは死にかけ、私は美月と朱莉を殺した」
「マジかよ、おい。そんなことがあったのか」
「覚えていないの?」
「ああ。アタシが死んでから後のことは、全然、覚えてない」
自衛隊から拝借した兵器を利用させてもらった。魔力を込めた迫撃砲や、魔法で操った地対地ミサイルを惜しみなく放った。でも、美月と朱莉は倒れなかった。それほどまでに、美月と朱莉は強大な力を持っていた。
もちろん、完全に魔物と化したほづみには及ばないけれど。
「私はほづみを守った。けれど、魔力を使い果たしてしまった」
そのまま死ぬつもりだったけれど、ほづみが許してくれなかった。
ルナークの瞳は、ほづみの意志で砕かれてしまう。
黒い瞳は、私のこころを厖大な魔力と呪いで覆い尽くしていった。
意識を朦朧とさせながら自我を保ち続けた。
けれど、ほづみは生命の源を失ってしまった。
「私はほづみを仮死状態のまま封じた。けれど、願いの力でほづみを蘇らせなければ、どのみち助からなかったと思う」
ふと見た朱莉は、暗い表情で俯きながら、私の話に耳を傾けている。
「ほづみって、結構無茶するところがあるのか?」
「そうね。誰に似たのやら」
薄く微笑もうとして、うまくいかず、ぎこちない笑みになる。
対照的に、朱莉はニヤリと口角を上げた。
「さあな」
朱莉は両腕を広げ、足を地面に伸ばした。
私はほづみを結界の中で眠らせた。植物状態のまま、死ぬ間際の身体を保たせた。けれど、魂の源泉を破壊されたほづみには、もう、ほづみの肉体しか残されていない。無駄だとわかっていても、かすかな希望にすがりたかった。
「私は、怒りに任せて何度もルナークを殺した」
右足を上に組んで、ベンチにもたれた。
朱莉もつられてベンチにもたれる。
「ルナークは何度殺しても、私の前に現れた。八つ当たりにはちょうどよかったかもしれない」
「おいおい……」
「でも、それで何かが解決するわけではない。だから、私はルナークの力の一部を奪い、私の厖大な魔力をもって、あなた達を蘇らせようと試みた。けれど、ルナークの力は、悪魔の力だ。どんな願い事にも、必ず代償がいる」
私には、どうやっても代償をなくすことができなかった。
「私の身勝手な願い事で、世界には災厄の呪いが降り注がれた。人はこころを病み、絶望に支配され、互いに殺し合い、憎しみ合う……。今まで以上に、世界の呪いは濃くなってしまった。いま、世界には、おびただしい魔物が氾濫しているはずよ」
ほづみ達を蘇らせても、〈元通りの〉あなた達が還ってくるという保証はない。
テセウスの船のように、一見して同じ船でも、組み立て直された船は、本当に同じ船といえるだろうか。ほづみや、美月、朱莉、魂が解き放たれたあなた達が、たとえ蘇ったとしても、同じ人間とは限らない。
それでも、あなた達に生きていてほしかった。
「……その後は?」
「魔力を使い果たし、最期は拳銃で自害した。でも、生きている」
おそらく、私の身体は、魔力を込めた拳銃でも殺せなかったのだろう。
そうして現実逃避している間に、魔物に魅入られてしまった、と。
これなら辻褄が合う。
「なあ、ひとつ質問してもいいか?」
「……何? どんな罵詈雑言でも、私は受け止めるわよ」
何を言われるか想像しただけで、胸が痛い。
虚ろな目になり、俯いてしまう。
「そんなんじゃねえよ」
朱莉は深い溜息を吐いた。
「アンタがしたことは、身勝手な選択かもしれねえ。でも、それはアンタが正しいと思ってやったことじゃねえのかよ」
「それは……そうだけど」
「だろ? アタシやほづみや美月は、アンタのおかげでいまも生きている。それに、魔物が増えたことは、アタシにとっちゃ、メリットしかねえ」
「どうして?」
魔物が増えれば、そのぶん誰かが魂を壊す。
新たに生まれた魔物は、別の魂を食らうかもしれない。
一体、どこにメリットがあるというのか。
「ハ、魔物のせいで、どこの馬の骨とも知らないやつが死のうが、そんなことはどうでもいい。アタシとは無関係さ。むしろ、生き永らえるための獲物が増えるわけだ。アタシにとっちゃアンタの願い事は好都合なんだよ。だからよ、少なくとも、アタシはアンタに感謝はしても、アンタを恨む筋合いはねえよ」
「……朱莉。あなた、結構、現実主義なのね」
「利己主義者と言ってもいいんだぜ?」
「それを言うなら個人主義よ」
「どうだか。アタシってやつは、案外、悪人かもしれねえぜ?」
朱莉は肩をすくめ、白い歯を見せてニヤリと笑った。
私は朱莉の言葉に「そう」とだけ呟いて、右手で頬杖をついた。
朱莉は両足を交互にふらふらと振り子のように動かす。
「なあ。アンタは……アタシ達を蘇らせたことに、後悔してるのか?」
「いいえ。自分の行いに怒りや憎しみを感じるけれど、後悔はしていない。〈私の〉望みを叶えたのだから。でも、私が生き残るのは想定外だった。魔物に魅入られた私が、ほづみと一緒にいようと思うには、あまりにも無理があるから」
「ふうん」
「それに、あの地獄の日々のように、ほづみを殺し続けてしまうかもしれない。ほづみは優しい笑顔の裏側で、私のことを憎んでいるかもしれない。そう思うと、私は消えてしまったほうがいいと思っていた。でも、ほづみが私に生きてほしいと願う限り、私はどんな苦痛にでも耐えながら生き続けなければならない」
ほづみは私の永遠の不幸を願い、同時に、私の永遠の幸福をも願った。
私の罪は決して許されないはずなのに、ほづみは私に手を差し伸べてくれた。
「今度は、私がほづみを救う」
「なあ、それなんだけど……」
私ははっと顔を上げる。息を飲み込んで、朱莉の方を掴んだ。
「ほづみに何かあったの?」
「おい、落ち着け。アンタ、目がマジになってて、怖いんだよ!」
いけない。ほづみのことになると、つい感情が先走ってしまう。
強く歯噛みして、こころを鎮めた。
薄紅色の瞳から放たれる光を鎮める。
髪を指先でくるくると弄り出す。
「ごめんなさい。それで、ほづみはいま、どうしているの?」
「ああ、ほづみは、美月の家にいる」
「そう。なら安心ね」
おもむろに立ち上がると、一瞬にして朱莉と同じ制服に着替えた。
瞳の色は、いつもの闇色に戻しておく。
「どう?」
異空間を通じた転移の魔法だ。
ほづみに自慢するために、何度も練習したことは秘密にしておく。
「へえ、ずいぶんと精度が高いな。一瞬裸になったのは気のせいか?」
「気のせいよ」
朱莉は目をぱちくりさせる。
「アンタ、戦隊物とか魔法少女物とかに憧れているタイプだろ」
「ええ。どうしてわかったの?」
「勘」
私は無表情を保ちつつも、内心は同類を見つけたと思い、少し高揚していた。
「なら、忠告しとくよ。正義の味方なんてものは、この世に存在しない。でも、悪の組織なんてものはいくらでもいる。神様っていうのは理不尽だよな。アタシ達のことを救おうなんて言葉は口ばっかりで、結局はアタシら自身でなんとかしなければならないんだからさ」
「その点に関しては、私も同意する」
朱莉は気だるげに立ち上がり、うんと伸びをした。
「ちょっと散歩がてら、話でもしようぜ」
「少しくらいなら、いいわよ」
私は、先導する朱莉の後ろに着いて歩き出す。
「あなたは、普通の人間が魔物になる瞬間を見たことがある?」
「……美月が魔物になったときくらいかな」
「なら教えてあげる。学校の生徒が次々と消えていることは知っている?」
私は、吹奏楽部の生徒が魔物に変化した瞬間を見たことがある。その後、私とほづみ、美月を除いて、誰も彼女のことを覚えている人物はいなかった。朱莉はそもそも彼女と面識がないのかもしれない。
「アタシは、よく知らない。でも、たまに、不自然な感じはした。魔物かと思って警戒したら、やつれた生徒がぼうっとして座っていただけだったことがある」
「もしそれが本当なら、いますぐその生徒の悩みを解消しなければならない。もし、精神が手遅れの状態まで疲弊しているなら、強大な魔物になる前に、そいつを殺さなくてはならない。でもこれは最終手段よ」
「そっか。まだ、生きているといいな」
朱莉は夕日を眺めながら歩を進める。
「この世界の人々は、呪いを身体に溜め込んでいる。私達がしている指輪やペンダントの類は、ルナークと契約したときに生まれる。宝玉の輝きは魂の輝きよ。目視できるように表出させただけ。ただ、私達の魂は、指輪の結晶の中にあって、魔法を使う度に磨り減らされる。だから、普通の人間よりも、物理的にも、精神的にも、脆くなっている。それと、私達は人であることを捨てているから、魔物に近い存在になっている。魔物は本来、人間のこころを持たないもの。だから、魂に穢れが溜まりやすい」
朱莉はのんびりと歩きながら、ちらりとこちらを振り返った。
「人間も魔物も、魂の本質は同じ。人のこころが極端に荒めば、人は人でなくなる。そうして、誰からも忘れ去られ、人と人との因果を失い、いつしか、魔物になってしまうのよ。そうでなくとも、人のこころの穢れは行き場を失い、小さな魔物を生み出していく。これが、ルナークが黙っている世界の秘密よ」
私は早歩きをして、朱莉の隣まで来たところで歩調を合わせた。
「私がルナークに問い詰めて無理矢理聞き出したことよ。間違いないはず」
「……そうか」
朱莉は小さく溜息をついた。
「この世界から人間のこころがなくならない限り、私達は戦い続けなければならない。でも、人が人であるためには、こころを失うわけにはいかない。美月がこころを捨てきれなかったように」
「薄々わかってはいたけれど、はっきり言われると、なんだかなあ……つくづく嫌になるぜ」
「そうね」
私は小首を傾げながら、夕日に染まる朱莉の背中を眺めつつ、歩き続ける。
「私は世界に呪いを振り撒いた。聡明なあなたなら、これが何を意味するか、容易に想像がつくはずよ」
「ふん。だから、アタシには関係ねえっての。アタシはもとから人間じゃねえし」
「なら、私の話は時間を無駄にしたかもしれない」
「そんなことはねえ。もとから暇だったし」
朱莉は焼き鳥の串を蒼い蝶の魔物に鋭く投げつける。
蒼い蝶は串に裂かれ、その身を崩れさせた。
僅かな生命の破片が宙を舞う。
朱莉はくるりと半回転し、ニヤリと悲しい笑みを浮かべた。
「生き物っていうのは、欲望に忠実で、いつだって残酷なもんだよな」
私と朱莉は異空間を通り、結界からはぐれた魔物を蹴散らしながら歩く。
ふと、結界の内部に侵入した気配を感じ取る。
私と朱莉は歩を止めて、宙に浮かぶ巨大な魔物を見上げた。
「何よ、あれ」
奇妙な顔が描かれた四角い砂達が集まり、不可思議な形になる。キュビズムを思い起こさせる魔物は、あちこちを不規則に飛び回り、私と朱莉を翻弄した。
「しょうがねえなあ」
朱莉は二丁拳銃を交互に撃ち、魔物を砂塵に変えていく。
私は敵の突進を見計らい、魔物を足場にして宙を舞った。
指輪から竜巻を引き起こし、砂の魔物を弾き飛ばす。
朱莉は足に力を入れ、硬質な床に小さな音を立てた。
「よっと」
朱莉は、跳んできた四角い砂の塊をハイキックで粉砕する。
「後ろよ」
私は朱莉に襲い掛かる一体の残党を見逃さず、ショットガンで風穴をあけた。
地面で一回転し、受身の勢いで立ち上がる。
朱莉がにこにこしながら手を挙げているので、ハイタッチした。
「サンキューな」
「そういえば、あなた、異空間への扉を出せるの? 魔物を狩りにいくのなら、それくらいはできないと困ると思うのだけれど」
私が首を傾げていると、朱莉は右手に握った銀色の拳銃を掲げてみせた。
「まあな。この銃があれば、表の世界と裏の世界を行き来できる。もともとアタシの本体はオーパーツのようなものだから、これさえあればなんとかなる」
「その銃は何なの?」
「さあ。アタシにも分からねえ」
「そう」
私は銃を別の異空間に収納し、美月の家まで歩いた。
美月の家に、ほづみがいないか覗いてみる。
「おい、見えるか?」
「いたわ。でも、様子がおかしい」
私は胸の詰まる思いで、影からほづみを見下ろしていた。
美月はダイニングで食事をテーブルに並べている。
ほづみは寝室のベッドに座ったまま動かない。
「ほづみん。ご飯、できたよ」
美月が呼びかけると、ドアから小さな声が漏れた。
「……うん」
「ほらほら、シチューに卵焼きもあるよ」
「……そうだね」
「いただきます。早く食べないと冷めちゃうよ」
「……いただきます」
美月は腕を広げたくらいの大きさの白テーブルを引きずり、寝室に移動する。
ほづみの隣に座り、ベッドで食事をはじめる。
ほづみも食事を突き始めるが、一口が異様に小さかった。
「ごめん、ちょっと熱かったかな?」
「……そんなことないよ」
美月は笑顔を貼り付けて、ほづみに食事を勧めている。
でも、ほづみは僅かな反応しか示さず、ベッドに座っている。
私は携帯で時刻を確認した。
午後一時、遅めの昼食をとっているのだろう。
「ほづみが魔物になるのも時間の問題かもな」
私はほづみの胸元に目を凝らした。
ルナークの瞳があしらわれたペンダントをしていない。チェーンが見えない。
ほづみからは魔力の波動を感じられない。
隣に視線を移すと、美月は、かつての指輪をしていない。
どういうことだろう。
ほづみのペンダントを破壊しても元に戻ったのは、私の結界の中だったから?
もしかしたら、魔物に関する記憶が消えているのかもしれない。
魔物との関わりがなければ、不自由のない生活を送ることができる。けれど、呪いが振り撒かれてしまった現状では、魔物に対処する力がないのは危険かもしれない。好都合と見るべきか、不都合と見るべきか……。
「朱莉、あなたもペンダントや指輪をしていないけれど」
「まあな」
「どうして指輪をしていないの?」
「あたしは二丁拳銃がその類の代わりになっていた。美月に砕かれて死んだけれど、アンタのおかげでこうして生きている。一応、アタシの愛する二丁拳銃は持っているけれど、昔のようなモノじゃない。あたしはどうしてか知らないけれど、坂場朱莉という人間になった」
「けれど、あなたは魔物との関わりを断絶してはいない」
「あー、それは、あれだ。魔物を倒して生命力を確保すれば、美貌を保ったまま、永く生きられるだろ?」
「そう。興味ない」
本当だろうか。嘘を吐いている様子ではない。
「そもそも、ほづみや美月が純粋な人間になってペンダントや指輪を失っているのに、何故あなたはその怪しげな銃を持ったままなの?」
「さあ。分からないものは、分からない。たぶん、ルナークから貰ったものじゃねえからじゃないのか?」
「納得いかないけれど、そういうことにしておくわ」
少なくとも、ほづみと美月が契約していないのなら、二人は魔物と関わることなく生きていける? いいえ、それはおかしい。
「これは推測だけど、あなたが魔物のことを覚えているというのなら、ほづみと美月も魔物のことを覚えているわよね」
「まあ、そうなるな。魔物について、話をしたこともある」
「だめじゃない」
「だめって、何が?」
「あなたには関係のないことよ」
「いや、アタシにも関係のあることだと思うけど」
「……はぁ」
天を仰いだ。離れようとしても、近づいてくる。私の身体には、いったい何本の因果の糸が巻き付いているのだろうか。悪魔に魂を売り払っても、社会の因果から逃げることはできない。闇を抱えて幸せから遠ざかろうとしても、幸せは私に巻きついてくる。抗うことはできない。みじめな気分だ。
「聞いて後悔しない?」
「そんなもの、聞いてみなきゃわからないだろうが。ちょっと考えればわかることさ。聞かないで確実に後悔するのと、聞いて後悔するかもしれないのと、後者のほうが後悔しない確率は高いだろう?」
「確率だけの問題ではないのに」
「わかってる。いいから、早く聞かせろ」
後者のほうが、後悔の度合いが高いかもしれないことには、あえて言及しないようだ。なら、不本意だけれど、一緒に迷宮をさまよってもらおう。
「私だけが、中途半端な魔物のまま生きている。でも、魔物に襲われる危険性は何も変わらない。無力な人間のまま魔物から襲われるのを待つか、人間として力と引き換えに人間を辞めるか。無論、私は二人を魔物から守り通すつもりでいる」
「何を気にしてるのか知らないけどさ。アンタの身体、結構便利なもんだぜ。美貌を保ち、病気にもならない。魔力の管理さえ気をつければ、半永久的に生きられる。なにせ、いまは、強力な魔物がたくさん沸いて出てくるんだぜ? あんたにとっては、いい時代なんじゃねえか?」
「余計なお世話よ。私は魔物になってまで生きていたいとは思わない。料理の味も他人のこころもわからないような悪魔に生きる価値なんてない」
「そこまで言わなくても……」
さて、どうしようか。
ほづみと美月が丸腰のままというのは気がかりだ。
その気になれば、私の指輪をコピーして渡すことも……私の指輪?
私はほづみの左手の薬指に目をこらしてみる。
すると、私がプレゼントした指輪が嵌められていた。
けれど、指輪はほとんど輝きを失ってしまっている。
魔力を感じなかったのはこのためだろう。
あの指輪はレプリカ、私の魂の破片が入っているだけ。だから、ほづみがしている指輪の魔力が失われても、ほづみには何の問題もない。強いていうなら、魔法が使えなくなることと、ほづみの生命力の補填ができなくなることくらいよ。
あの指輪があれば、ほづみは代償なしに半不老不死と魔力を手に入れられる。
ほづみがそれを望まないというのなら、指輪を捨てればいいだけのことよ。
ほづみなら、私のことを受け容れてくれるはず。いいえ、受け容れてくれなくてもいい。あんな悲しい表情をしたほづみを放ってはおけない。
でも……、ほづみに拒絶されることが、たまらなく怖い。
私はいつもそうよ。不器用で、ほづみのことを影で守ろうとするばかり。周囲に敵を作り、他人を利用し、人生を捨て、ほづみのことを愛そうとしている。この思いは、決して伝わらないかもしれない、それでも構わないと腹を括っていた。その結果がこれだ。何も成長していない。詰られるのが怖い、いままでの努力が無駄だったと思いたくない、けれど、一度だけでもいい。勇気を持って、人を信用し、人と仲良くしなければならない。
「難しいものね」
「何がだよ?」
「人付き合いのことよ」
「あー、アンタ、自覚あるんだ。アタシらじゃなかったら、アンタの感じ悪さに怒るヤツは、ごまんといそうだな」
「ぐっ……反省する」
朱莉の言葉が、私の胸に突き刺さる。
同時に、こころの痛みは、私を突き動かす原動力にもなった。
「行くわよ」
意を決し、部屋の中に飛び降りた。
「あ、おい! 勝手に入ったらまずいんじゃないか?」
朱莉は気配を消して、後に着いてくる。
「ほづみ。ちゃんと食べないと、健康に支障が出るわよ」
私に気づいたほづみの顔が、ぱっと明るくなる。
「かなえちゃん……? かなえちゃん! かなえちゃんだ!」
「一日ぶりね、ほづみ」
ほづみは、ベッドで嬉しそうに小さく飛び跳ねる、
ほづみの笑顔を見るだけで、こころが満たされていく。
……後は、美月か。
「げほっ、ごほっ!」
美月はびっくりして、シチューを喉につかえさせている。
美月の背中を擦った。
「しっかりしなさい」
「うう……」
ほづみの指輪に目を落とす。……やはり、濁り切っている。
「ほづみ、手を出して」
「こう?」
ほづみの指輪に手を翳す。
多めに魔力を注入すると、指輪は翡翠色の輝きを取り戻した。
「ほづみ、美月。迷惑をかけたことは謝る。安心して。あなたたちは私が守る。だから、ルナークの話に耳を傾ける必要はない」
ほづみを抱きしめる。ほづみの甘い香りが広がる。
ほづみが傍にいると、素直な気持ちになれる。
美月は陸に揚げられた魚のように、口をぱくぱくとさせていた。
「ぎゃあ、お化け!」
「くっ……あながち間違ってはいないけれど、納得いかない!」
私が胸の痛みに耐えていると、ほづみは頬を膨らませた。
「もう、美月ちゃん、ひどいよ。かなえちゃんは、かなえちゃんなんだよ」
「あはは、ごめん、ごめん」
美月は頭の後ろで手を組み、のんきな表情で左右に揺れている。
ほづみは、私の黒髪をそっと撫でた。じんわりと、目頭が熱くなる。
ほづみのアイスブルーの瞳が小さく揺れた。
「でも、美月ちゃんの気持ちもわかってあげて。わたしが目を覚ましたとき、牛さんが、かなえちゃんは死んじゃった、って言うから、わたし、ショックで倒れそうになっちゃった。じゃあ、かなえちゃんを生き返らせて、って言ったら、牛さんが、いまはできない、力の回復には時間がかかるっていうんだもん。わたしも美月ちゃんも魔法が使えないし、魔物は襲ってくるし、大変だったんだよ。危なくなったら、朱莉ちゃんが駆けつけてくれたけれど」
「ほづみん。あたしも、あたしも」
美月が自分の顔を指差して自己主張している。
「うん。美月ちゃんも、料理包丁で応戦してたよ。人間業とは思えない動きをしていたような気がしたけれど……わたしの気のせいだよね」
「いやいや、あたしのことを舐めてもらっちゃ困るよ、ほづみん。美月ちゃんは、このためだけに買った長包丁を振り回して、魔物をギッタギタにやっつけてやりましたとも!」
「美月ちゃん、二メートルくらい跳んでたよね……? 魔物に体当たりされても顔色ひとつ変えないし」
「いやー、さすがにあれは死ぬかと思ったわ。でも、痛みの消し方はなんとなく覚えてるんだよね。まあ、かすり傷程度だし、大丈夫っしょ!」
私は眩暈がしてきた。馬鹿につける薬はないものだろうか。
「どのあたりに当たったの?」
「えっと、お腹のあたりだけど」
「ちょっと見せなさい」
「ひえっ、わかったよ……くすぐったいのは、勘弁しておくれよ」
ほづみに見えないように、美月の服をまくった。
酷い痣があり、内出血が起きている。
「酷い……」
「あはは、ばれた? ほづみんには内緒ね」
「黙って」
「……はい」
美月に強力な治療魔法をかけた。内臓に多少の損傷があるかもしれない。放っておいて死なれたら困る。
美月の身体が完全に癒えたのを確認して、ベッドに腰掛ける。
「ありがとう、かなえちゃん。おかげで元気ハツラツだよ!」
美月はあっけらかんとした笑顔で手を挙げた。礼のつもり?
はあ。疲れた。この短時間で、どうしてこんなに疲れなければならないのよ。
額の汗を拭い、ほづみに寄りかかろうとして、動きを止める。
「ほづみ、少し横にならせてもらってもいい?」
「うん、いいよ。でも、かなえちゃん、疲れているよね。シャワー浴びようよ」
「ええ」
「じゃあ、一緒に入ろうか」
当然のようにほづみが言う。ほづみは私の服の裾を引っ張ってくる。
「ちょ」
「いいから、入ろうよ、かなえちゃん」
ほづみはにこにこしている。有無を言わせない態度である。
額に掌をあてがい、気持ちを紛らわせる。
私はほづみと一緒に、たっぷりとシャワーを浴びた。
魔法で身体を乾かして、自宅から転送した私服を瞬時に着込む。
ほづみはバスタオルで身体を拭くと、服を着替えて、ベッドに腰かけた。
ベッドの上には、ほづみの私服が折りたたまれてある。
私達と交代に、美月は着替えを持ってシャワーを浴びに行く。
「どう? さっぱりした?」
「ええ。肌も髪もツヤツヤよ」
黒髪を手の甲で払ってみせる。
毛先がなめらかに広がり、シャンプーの桃の香りが空気を満たす。
……不思議と、私の嗅覚は機能していた。
もしかしたら、味覚も戻っているかもしれない。
いいえ、そんなはずは……。
ほづみの膝に頭を乗せる。
「ん……かなえちゃん……」
このまま、少し考え事をすることにしよう。
美月といい、朱莉といい、生身の人間が魔法なしに魔物を倒すなんて……。
しかも、身体能力は昔のままだっていうの?
ふざけているわ、こんなの。
仮に、この二人がルナークと契約したなら、どうなっていたのだろうか。
考えたくもない。
「かなえちゃん、おいで」
ほづみは、膝に手を置いている。
「……うん」
誘われたのなら、仕方ない、か。ほづみの膝枕を堪能することにする。
それにしても、ルナークは契約する力を失っているとはいえ、いずれ回復するというのは聞き捨てならないわ。いまは私が契約する力を持っている。でも、そんなことは私が許さない。負の連鎖はここで止める。ルナークをこの世界から駆逐し、私が魔物を殺し続けること。これが私の責任よ。
……ん? 耳がこそばゆい?
「かなえちゃん、動いちゃだめだよ。耳かきしてあげているんだから」
「ちょ、この体勢で?」
そんな……。膝枕だと、耳垢が鼓膜のほうへ落ちてしまうのではなかったの?
「慎重に耳かきすれば平気だから」
「そう? なら、ほづみに任せようかしら」
優しい微笑みが自然と浮かぶ。
美月は耳かきの様子を見下ろして、うーんと唸る。
「っていうかさ。耳かきすること自体、耳によくないんじゃない?」
ちょ、そんなことを言ってほづみが耳かきをやめたらどうしてくれるのよ。
格好よく髪をかきあげようとして、動けないのでやめた。
「あにゃ……あなたには関係のないことよ」
噛んだ。恥ずかしい。
美月は噴き出して、爆笑した。
「あはは! いやいやー、奥さんに関係のあることだよね、これ?」
「誰が奥さんよ、まったくもう」
美月は未だにクスクスと笑っている。
ずっと隠れていた朱莉は、美月の右肩を突いた。
「うん、何?」
美月は振り返るが、誰もいない。
「かなえちゃん、何かした?」
「見てわからない? 動けないわよ」
私は笑いを堪えながら、朱莉がそっと美月の左頬を突くのを見届ける。
「……はっ」
美月は勢いよく振り返る。しかし、朱莉は異空間に逃げ込んでいる。
「こらっ、かなえちゃん。震えちゃだめ」
「ごめんなさい……」
ほづみは私の耳を慎重に掃除していて気づいていない。
いつもの無表情に戻ろうとする。けれど、ほづみの耳掃除が頬を緩ませる。
美月はきょろきょろと辺りを警戒している。
朱莉が地面から異空間を通じて生えてきて、美月の太ももをぺろりと舐めた。
「ひゃあ!」
美月は跳び上がった。ほづみは頬を膨らませて、美月をたしなめる。
「美月ちゃん、静かにして!」
「うう……だって……何かがいるんだよう。まさか、魔物!」
「安心しなさい。魔物ではないから。……魔物では、ね」
鋭い目付きを美月に向けて、冷静な声を上げた。
「え、何、なんでそこを強調するの?」
美月の声は、少し震えている。
「ねえ、ほづみん……」
ほづみの影が小さく揺らめいた。
「……美月ちゃん。静かに、ね?」
「ひいっ」
美月はほづみに睨まれて、急に大人しくなった。
ほづみはめったに怒らないけれど、怒るととんでもなく怖い。
激昂したほづみは、その辺の魔物なら素手で殴り倒せるくらい怖い。
何度もほづみにいじめられていたから、ほづみのことはよく知っている。
「……かなえちゃんの鼓膜が破れたら美月ちゃんのせいだよ?」
美月はこくこくと頷いている。
私は強張った笑顔を保つ。冷や汗がだらだら流れ出る。
このままではまずい。朱莉にテレパシーを必死で送る。
『朱莉、もうやめなさい。ほづみに消されるわよ』
しかし、返事がない。
いまの朱莉は普通の人間だから、通じないということだろうか。
もちろん、私が本気を出せば通じるかもしれないけれど、無駄に魔力を使うわけにはいかない。どうしよう。もう放っておくべきか。
「はい、かなえちゃん。反対向いて」
「はい」
寝返りを打ち、ほづみの下腹部の香りを嗅いだ。桃の香りがする。
……何をしているの。これだと、ただの変態じゃない。
しかも、これだと、美月の面白映像が見られないじゃない。
いいえ、そんなことよりも、朱莉を早く止めないと。
私は小さな私の形をした使い魔を一体放ち、異空間にいる朱莉を探す。
……見つけた。この特製人型使い魔なら朱莉と話ができるはず。
『朱莉、面白いけれど、やめなさい。ほづみに本気で怒られるわよ』
朱莉は構えていた銃を下ろした。
「なんだ、アンタか。可愛いな、この使い魔」
『そんなことはどうでもいいのよ。ほづみが本気で怒ったら、並の使い魔を素手で殴り倒すくらいの強さになるわ。悪戯はそのへんでやめておきなさい』
朱莉は私の忠告を聴く気がないのか、私の使い魔を撫で始めた。
『ちょ』
「なあ、この子、貰ってもいいか?」
『……もう、好きにしなさい』
私は意識を現実世界に戻し、ほづみの耳かきを堪能した。
「ふーっ」
ほづみの吐息が耳に吹きかかる。くすぐったさに身悶えする。
ほづみは耳元で囁いてくる。
「どう、気持ちいい?」
「ええ……とっても気持ちいいわよ」
耐えなさい。耐えるのよ。変な妄想はやめなさい。
……私は、何と戦っているの?
「うーん……」
ほづみは私の反応に納得がいかないのか、思案顔だ。
まだ、何かするつもりらしい。かかってきなさい。
「じゃあ、これでどうかな」
ほづみは私の耳を咥えた。
そう、私の耳を。
耳を……。
ちょ、耳?
「ちょ、ほづみ、何を」
「えへへ」
身をよじらせて、両脚をもぞもぞと下方に動かした。かけ布団を足先で持ち上げると、ふわりと広がり、腰の下辺りに掛かる。
私の耳たぶに、ほづみの暖かい吐息がかかる。ほづみの甘い桃の色香が私の理性を鈍らせる。耳たぶを吸い上げる小さな音が脳を溶かし、ほづみの唇の感触が、呼吸を荒くさせる。
「あっ、そこは、だめ……」
ほづみ耳たぶを、ぺろりと舐めた。
私の意識は、天に昇っていった。
暗闇が続いている。
胸が締め付けられるように痛い。
「はっ」
「あ、かなえちゃん起きた」
瞼を開くと、目の前でほづみが一緒に寝ていた。
深呼吸をして、少し落ち着きを取り戻す。
手を伸ばせば届く距離にいるほづみが、ぱちぱちと瞬きしている。
「イエーイ! かなえちゃんも、ほづみんも、二人ともエロいね!」
「変なこと言わないで。そんなつもりじゃないわよ」
「えー、本当に?」
美月はベッドに頬を乗せて、私とほづみの寝顔を拝んでいた。
美月の栗色の瞳が、型辺りまである栗色の髪の隙間からのぞいている。
美月の右耳の上辺りには、月食をかたどったものだろうか、黒い金縁の円の中に、金色の三日月が描かれたアクセサリーをつけている。アクセサリーからは、小さな青いリボンの足が二本出ている。美月の着ているブラウスの胸元にも、同じアクセサリーが括りつけられていた。
私がじっと美月の胸元を見下ろしていると、美月は小首を傾げた。
「ん、これ? あたしが作ったんだよ。真鍮にポスターカラーで色を塗って、リボンをつけてみた。ほづみは似合うって言ってくれたんだけど、どうかな」
「ええ、似合っているわよ」
「そお?」
美月は照れて、頭を少し引っ込めた。
ほづみが布団の中にもぐりこむ。もぞもぞと動いて、私のお腹の上あたりから、ひょっこりと顔をのぞかせる。……くすぐったい。
「美月ちゃん、手芸が得意なんだよ」
「うん、まあね。毎年、ほづみんとマフラーとかニットとか編んでいるからね。今度、かなえちゃんにも編んであげるよ」
「ありがとう。楽しみにしておく」
「へへーん、任せたまえ」
美月は自慢げに胸を張り、そのまま顔を引っ込めた。
……さて。
小さく溜息を吐き、眠っていたときの記憶を手繰り寄せる。
私は、毎夜、悪夢にうなされていた。
ほづみや美月には、おそらく、気づかれていない。
その場を取り繕い、私はほづみの黄金色の髪の毛を右の掌ですくった。
「ほづみ……こうして一緒に寝るのが、とても懐かしく感じる」
ほづみの髪に触れていると、自然とこころが落ち着き、口角が上がる。
「わたしも。どうしてだろう、かなえちゃんとお別れしてから、ちょっとしか経ってないはずなのに」
ベッドの中で、ほづみと手を繋いだ。
小さくて、暖かくて、柔らかな感触が伝わってくる。
「よう、アンタ。十五分ぶりだな」
なにやら朱莉の頬には張り手の痕があった。美月がやったのだろう。
……まさか、ほづみ? そんなはずはない。あるわけがない。
朱莉、あなたとも仲良くなりたい。でも、どうすればいいのかわからない。
私は首を巡らせて、朱莉のほうを向いた。
「ねえ、朱莉。私のことは、かなえでいい」
「……えっ」
朱莉は、急に、しどろもどろになった。
「えーと、その、なんだ……かなえ?」
朱莉は、指先を突き合わせて、顔を真っ赤にしながら俯いている。
何、何なのよ、この可愛い生き物は。ほづみの次に可愛い。
朱莉の制服の大きなポケットから、私の使い魔が顔を覗かせた。
私の指揮を離れた二頭身の私が、ポケットの中でぐうたらしている。
見ているだけで、気持ちが和んだ。
「その子、いくらでも作れるけれど、可愛がってあげなさい」
「ああ、そうするぜ」
「これからもよろしく頼むわ、朱莉」
私はほづみの髪の毛を撫でた。ほづみは小さくはにかむ。
朱莉は、私とほづみがくっついているのを眺めて、少し寂しそうにしている。
ほづみは小さくまばたきした。
「朱莉ちゃんも一緒に寝たいの?」
「えっ、いや、そんなわけないだろ」
「……ほづみ」
ほづみをしっかりと抱きしめた。誰にもほづみは渡さない。
朱莉が露骨にしゅんとする。ぐっ……そんな顔をしてもだめよ。
「えへへ、かなえちゃん、そんなに強く抱きしめたら、寝返りが打てないよう」
私は無言で、少しだけ力を緩めた。
ほづみが抜け出そうとするものなら、がっちりと捕まえる。
このまましばらく眠ってしまおうか……。