13 崩壊(COLLAPSED)
二〇一七年一月七日、午前二時頃。
私はこれ以上、ほづみのこころを壊さないために、また、私のこころに巣くう魔物がほづみを襲わないように、ほづみと距離を置くようになる。口も利かない。けれど、学校で、ほづみはひたむきに私のもとに寄ってくる。美月に目配せするものの、反応がない。美月は結界を解くと言った手前、私の結界を解かなければならないのだが、結界を解いてしまうと、災厄の魔物が外に出てきてしまう。美月は自分の力では封じられない上に、魔物の封印を解いてしまうと、私の肉体や周囲の人々がどうなるかわかったものではない。だから、美月は複雑な気持ちでいる。私を殺すか、見送るか。
電気を消した自宅で、私はひとり、携帯を握り締めていた。
確証はないけれど、私が世界と別れる理由付けにはちょうどいいだろう。
私は電話をかけた。
『もしもし。ちょっといい?』
『……ああ、もしもし? こんな時間にどうした?』
少し眠たげな鈴白の声が返ってくる。
『こんな時間でなければ話せないことよ。あなたの探している魔物に、こころあたりがあるのよ。直接見てもらうのが早いと思うのだけれど』
『すぐ行く』
『ありがとう。場所はメールで送るわ』
電話を切り、あらかじめ用意しておいたメールを鈴白に送信する。
私は鈴白を学校付近の公園に呼びつけた。
結界を貼り、人払いは済ませる。
幻惑の魔物を召喚し、結界の中に足を踏み入れた。私の魂は、こころは、小さな指輪の中に収斂されている。なら、この指輪さえ壊してしまえば、私の命と引き換えに、災厄の魔物を封じることができる。祈りの代償は想像以上に重たいものだった。私がさらに凶悪な魔物を生み出し、人々のこころを呪い、負の連鎖を生み出すことは、絶対に阻止しなければならない。
「深海の魔物の正体は〈もうひとりの私〉かもしれない。だから、仇を討ちたいのなら、私を殺しなさい」
私は鈴白に拳銃を差し出し、左手の中指に嵌めた指輪を見せた。
「指輪を撃てば、私は死ぬ」
髪をかきあげながら、おだやかに告げた。
これで、ほづみは私の放ったこころの鎖から救われ、結界も解けるだろう。
「いや、しかし……」
「何を迷っているの?」
「御人の命を無碍にするわけには……」
「私は人ではないわ。欲望に身をやつした、ただの悪魔よ」
「どりゃああ!」
駆けつけた美月は、威勢のよい声を張り上げて、結界を斬りつけた。
「……まったく」
私の目論見は、うまくいかなかった。
鈴白が逡巡しているうちに、美月が嗅ぎ付けて、幻惑の結界をジャスティス・ソードで両断した。
傍らでは、朱莉が次々とルイイロタテハを撃ち落としていく。近所迷惑を考慮してだろうか、ご丁寧にサプレッサーまでつけている。
そして、ほづみが……私の元まで、一直線に駆け寄ってくる。
やめて、ほづみ。私はもう、自分の罪悪感に耐えられない。
でも、想いは届かなかった。ほづみは私をしっかりと抱きしめた。ほづみはぽろぽろと涙を流していく。
「わたしは、かなえちゃんとお話したくて、かなえちゃんとお友達になりたくて、でも、かなえちゃんはどんどん離れていっちゃう。わたしね、早朝、たった一人で学校に行くのは、寂しくて、切なくて、仕方がなかったんだよ。美月ちゃんは元気ないし、朱莉ちゃんは勝手にどこかへ行っちゃうし……。ごめんね、変なこと行ってるよね。わたしなんかが傍にいたら、迷惑、だよね」
ああ、そうか。私は、本当の意味で、ほづみのこころを考えられていなかった。
「ほづみ、ごめんなさい。私はまた、ほづみを傷つけてしまうかもしれない。それに、私が貼った結界を解けば、この世界を災厄の魔物が浸食してしまう。魔物になっても、本当にどうにもならないことは、世の中にいくらでもあるのよ」
「わたし達はみんな、何でもできるわけじゃないよ。神様じゃないんだから。かなえちゃんがそうやって思い悩むってことは、かなえちゃんが人間だって証拠だよ」
私はほづみに諭されてしまった。私は何か言い返そうとしたけれど、美月は私の肩をぽんと叩いた。
「しょうがないなあ。かなえちゃんの結界は、あたしが別の案を考えるよ。だから、ほづみんと仲直り。OK?」
私は美月に頬をこすり合わされた。朱莉は鈴白の傍で私達を護衛している。
「俺には、何の罪もないお前を殺すわけにはいかねえよなあ」
威勢のいい言葉とは裏腹に、鈴白はその場にぺたんと座り込んだ。
「変なことを言い出してごめんなさい。私は最期まで自分の命を有効活用したかっただけよ」
私はそっけなく言い放ち、髪の毛を右手の甲でかき上げる。
「アンタさ、命は、飯を食うときもそうだけど、粗末に扱うもんじゃねえ。……アタシが言えた義理じゃねえけど、何の手段も講じないで、さっさと命を投げ出すってのは、命を粗末に扱ってるってことだ。死ぬときは、名を残すときでいい。前みたいに犬死にするなんて、アタシはごめんだ」
朱莉は溜息混じりに述べた。
私は、泣きつかれたほづみを抱えて転移し、自分のベッドへとおもむろに寝かせた。
「鈴白……あなたは……」
私は……鈴白が指輪をはめているのを見逃さなかった。