11 常夏の魔物(SUMMER VACATION) ※お遊び回
二〇一七年一月五日、午前八時頃。
駅の改札口からはぞろぞろとサラリーマンや旅行客が溢れ出ていく。
美月は我先にと改札を飛び出していき、腕を大きく広げた。
「青い空、白い雲、真夏の太陽! ……じゃなかった。真冬の太陽だね」
美月は駅前を駆け回りながら、さんさんと降り注ぐ太陽を拝んでいる。
「いい天気」
私達四人は、美月の提案で、温水プールへ旅行に出かけることにした。観光ガイドによれば、流れるプールやジャグジー、軽食コーナーなどを楽しめるらしい。近場にはゴルフ場があり、テラスから野山を一望できる。ホテルやレストランが併設していて、リゾート地としても充実しているという。
「ねえ、美月」
「どったの、かなえちゃん」
「いま、冬よね」
「そうだよ」
「暑くない?」
ほづみと朱莉はコートとマフラーを脱いだ。ほづみの上着は私が預かる。
私は漆黒のサマードレスを自宅から転送し、すぐさま着替える。
私はほづみに目配せすると、きらきらした瞳でこちらを見上げている。
「ほづみも着替える?」
「うん。お願い、かなえちゃん」
ほづみには純白のサマードレスを着せた。私と色違いよ。
私は追加で転送した麦藁帽子をほづみに被せた。
「えへへ、ありがと、かなえちゃん」
ほづみはくるりと一回転してみせる。
「どうかな、似合う?」
「ええ、とても似合っている」
私はほづみを抱きしめたい気持ちを我慢して、視線はそのままに、背を向けた。
私もお揃いの麦藁帽子を被る。ほづみには紅リボン、私には青リボンが麦藁帽子を囲むようにしてついている。
「アタシは別にいいや」
朱莉はブラウス一枚になって、上着を異空間ポケットに放り込んだ。
私もほづみの上着を異空間ポケットに収納する。
「あ、かなえちゃん、ほづみん、それ、いいなあ!」
美月が私にせっついてきた。
「ねえ、かなえちゃん。あたしも、あたしも!」
「自分で何とかしなさい」
「えー、ケチ」
美月はだらだらと汗を流している。早く上着を脱ぎなさい。
ほづみは駅前のパン屋のショーケースを覗き見している。
私が駅前に聳え立つ五メートルほどの高さの時計塔を見上げると、午前八時十五分を示していた。朝早く出発した私達は、満足な食事をとっていなかった。悪魔の私は空腹を感じないけれど、人間のほづみはお腹が空いてくるころなのかもしれない。
「ほづみ。ひとつ、買う?」
「いや、ちょっと気になっただけで……えへへ」
「そう?」
「バスの中でお弁当食べるから、平気だもん」
「……そう?」
ほづみはおしりを突き出して、ショーウインドウにべったりくっついている。
私は黒髪の毛先を指先でくるくると巻いた。
「ねえ、ほづみ。どうして徒歩なのよ」
私の知る場所なら、異空間を通れば、多少のズレはあっても瞬時に移動できる。それなのに、わざわざ交通費を払ってまで、電車やバスを乗り継いでいく必要があるのだろうか。
「かなえちゃん。電車やバスに揺られるのも旅行だよ。朱莉ちゃんは寝ちゃったけれど、外の景色を見るのも楽しいよ」
「それもそうね」
「あと、何でも魔法に頼ってばかりじゃだめだよ」
「わかった。でも、荷物は、ほとんど異空間ポケットに入れてある。いつ魔物が襲ってくるかもわからないし、魔法を全く使わないわけにはいかない」
異空間ポケットのおかげで、私達はほとんど手ぶらよ。便利なものね。
「うん。今日はなるべく魔法は使っちゃだめだよ」
「ほづみが言うなら、そうする」
私は小さく頷いた。温かい風に吹かれる。私は麦わら帽子を左手で押さえた。
駅前の大型モニターには、異常気象のニュースがテロップで流れていた。
私はバス停の前で佇みながら、モニターをじっと見つめている。
「まさかとは思うけれど、魔物の仕業だろうか」
背後からゴトン、と音がした。
私がのんびりと振り返ると、ほづみと美月がはしゃいでいた。
「ほづみん、うりゃっ!」
「ひゃ! 冷たいよ、美月ちゃん」
上着を脱いだ美月は、自動販売機の前で、ほづみの頬にミネラルウォーターのペットボトルをくっつけて遊んでいる。……羨ましい。
「あ、かなえちゃんも飲み物いるかい?」
「ええ、頼んだ」
「何にする?」
「あなた達と同じもので」
「あいよー」
ゴトン、とペットボトルが落ちる。
隣の自販機では、朱莉が釣り銭のレバーをガチャガチャといじっている。
「おい、つりが出ないぞ」
ほづみが近寄り、赤いランプを確認する。
「ありゃりゃ、おつり、もうないみたいだね」
「この、アタシの二十円返せ!」
朱莉が足を上げて、自販機を蹴り飛ばそうとする。
美月はその足を持ち上げた。朱莉はたじろいでいる。
「だ、だめだよ朱莉ちゃん! ストップ!」
「ちぇっ、わかったよ、しょうがねえなあ。ツケにしといてやる」
私は欠伸をしていると、美月が私の頬にペットボトルをくっつけた。
「ひゃ」
「イエーイ、かなえちゃんの驚いた声、かわいい……イテ」
私は美月の鼻をつまんだ。
「そろそろバスが来るはずよ」
バスの後部座席に乗り込んだ私は、お弁当を開いた。
私とほづみが一緒に作った、手作りの鮭弁当よ。
ちゃんとトマトやキャベツも入れてあるわ。
ほづみは私の左隣、美月は私の右隣、朱莉はほづみの左隣に座っている。
私は箸を手に取り。ほづみの口にご飯を運んだ。
「はい、どうぞ」
「えへへ、ありがと」
ほづみは小さな口を開いて、食材にぱくついた。
私がほづみの照れ笑いにうっとりしていると、美月が軽く肘打ちをしてくる。
美月はにやにやして、私に顔を近づけてきた。
「いやあ、お似合いですなあ」
バスが動き出し、美月の茶髪が触れ動く。
「何? 美月もやってほしいの?」
「ちがーう! いや、まあ、やってほしくないわけではないけどさあ……おふっ」
私は箸の頭の部分で美月の右胸を強めに突いた。
美月は両手で胸を隠すようにして、私に寄りかかった。
「あーもう、かなえちゃんといい、ほづみんといい、朱莉といい、みんな、可愛すぎて、あたし、萌え死んじゃう!」
「物騒なこと言わないで。安心しなさい、その指輪があれば、そうそう死ぬことはない。腕の一本や二本程度なら、すぐに再生できるはず」
「うげ、それはそれで怖いって!」
「でも、あまり無理をしたらだめよ。私は悪魔、あなたたちは人間なのよ。身体が吹き飛んでしまったら、ひとたまりもないわ。……美月はお弁当、食べないの?」
美月は頭をぐりぐりと私の胸にこすり付けてきた。
その間に、私はほづみの口へとプチトマトを運ぶ。
美月は身を乗り出して、朱莉に元気よく呼びかけた。
「朱莉、あたしのお弁当、ちょうだい!」
朱莉はぐっすりと眠っている。美月は笑顔のまま、口をぱくぱくさせた。
「ありゃ、おーい、朱莉? 寝ちゃった?」
「寝ている……」
美月は呆れて前のめりになる。私はほづみの口にご飯を運ぶ。
「はあ……。まったくもう。相変わらず、寝付きが早いんだから」
「どうして美月の弁当を朱莉が持っているのよ」
「いや、うん。あたし、整理とか整頓とか苦手だからさ」
「そうなの? あなたの家、結構、綺麗なのに」
美月は頭を上げ、ほづみを指差した。ほづみは目をぱちぱちさせている。
「聴いて驚け! あたしの家は、いつもほづみが掃除してくれているのだ!」
「そう」
「あいたっ!」
私は美月の頭にデコピンした。
「自分の不摂生を自慢しないで」
「美月ちゃん、ちゃんと自分で掃除しなきゃだめだよ」
美月は頭の後ろで手を組み、へらへらしてごまかした。
「あはは、そう褒められると照れるなあ~」
「褒められているつもりなの?」
「あはは、手厳しいなあ」
美月は飄々として笑っている。一発殴ればバカが治るだろうか。
「ねえ、朱莉ちゃん、起きて!」
ほづみは朱莉を揺さぶっている。起きない。
結局、美月と朱莉は、バスが到着してからお弁当を食べた。
私達は海水浴場の更衣室に集まっている。
予想以上に客が多く、人間の熱気が立ち込めている。
三段式のコインロッカーが連なっていて、足元にはプラスチック製の水を弾く板が敷かれている。その場で着替える人もいれば、個室になっている更衣室で着替えている人もいる。
私は瞬時に着替えようと指輪を構えた。けれど、美月が腕を掴んで制止する。
「いやいや、こんな見え見えのところで魔法使うのはまずいよ」
「……そう」
簡易結界で人払いするつもりだったけれど、それはそれで不自然かもしれない。
「やっぱり、こういうのは一人ずつお披露目するものだよね」
美月は更衣室に飛び込み、水着に着替えはじめた。
「あ、やっぱり一人じゃ大変かも」
「仕方ねえなあ、アタシが手伝ってやるよ」
朱莉が肩を竦めて歩き出し、更衣室に吸い込まれていった。
「更衣用の個室があるなんて珍しい」
「そうかな。わたしはよく見かけるけれど」
私はハンカチでほづみの額に浮かんでいる汗を拭き取った。
室内は冷房が効いているはずなのに、やけに暑い。
「いやあ、温水プールじゃなくて、海でもよかったかな?」
「じゃあ、夏休みは、みんなで海にいこうか」
「……そうね」
ほづみは私の腕にくっついている。私はほづみの喉元をそっと撫でた。
「お待たせ! どう? 似合う?」
美月はカーテンをさっと開いて、一回転し、腰に手を当ててポーズを決めた。
水色のビキニ姿、フリルスカート、随分と攻めてきた。
ほづみは目をきらきらさせて、にっこりと笑った。
「美月ちゃん、とってもかわいいよ!」
「そう? ありがと、ほづみん」
私は美月のへその辺りをじっと見つめた。
美月は私達の視線に晒されて、少しだけ赤くなり、頬をかいている。
「そんなにじろじろ見られると、何だかむず痒いなあ、えへへ」
「美月……あなた、体重を気にしている割には、ウエストが細いけれど。水着、似合っていると思う」
「そ、そう? 面と向かって言われると、照れるなあ」
美月は口元を緩めた。両手を頭の後ろで組み、ふらふらしている。
「美月ちゃん、胸もあるし、誰が見てもナイスバディだよ」
「ちょっとほづみん、胸は自信ないんだから、あんまり見ないでおくれよ」
朱莉は自分の胸と美月の胸を見比べてから、私とほづみの胸を見た。
朱莉は美月の肩に手を置いて、小さく溜息を吐く。
「美月、気にするな。アタシがいちばん自信ないから」
「あ、ごめん……」
美月は朱莉の頭にぽんと手を置いた。
ほづみはとことこ歩いていき、美月のへそのあたりを突いた。
美月は両手でお腹をおさえて背を丸める。
「うわっ! くすぐったい!」
「えへへ、さっきのお返し」
「うう……じゃあ、今度はほづみんが着替えてよ」
「わかった。じゃあ、かなえちゃん手伝って」
「……え?」
私はほづみに手を引っ張られ、更衣室へと引きずり込まれた。
「いいの?」
「うん」
ほづみは腕を広げてじっとしている。
……こんなのだめよ。
私が指輪をかざすと、ほづみがその手を握った。
「ほづみ?」
「だめ。かなえちゃん、何でも魔法に頼っていたら、便利なことが増えるかもしれないけれど、そのぶん、楽しいこともなくなっちゃうかもしれないよ」
ほづみの掌が私の指先を優しく包む。
「だから、かなえちゃん、早く」
「……ほづみがそう言うなら」
私はほづみの背に身体をくっつけた。ほづみの服を一枚ずつ剥ぎ取っていく。
ほづみのぬくもりが残る衣類を、まとめて異空間ポケットに放り込もうとして、やめた。更衣室の隅にあるかごに入れておく。ほづみの香りが更衣室に漂う。
私はほづみのポーチから水着を取り出し、息を呑んだ。
際どい。美月といい勝負だ。
「かなえちゃん、まだかい?」
「もう少しよ」
私は勢いに任せてほづみの胸にビキニをつける。私の指先がほづみの胸に触れる度に、変な気分になって、息が上がってくる。リボンを背中で蝶結びにする。
下は、眼を瞑って履かせると、同じようにリボンを喋結びにした。
「はあ……。できたわ」
更衣室を出た私とほづみは、美月に散々茶化された。
「かなえちゃん、エロい!」
「うるさい」
ビキニなんて着るつもりは無かったけれど、ほづみが着るというなら、仕方ない。私も少しは気張らないといけない。けれど、身体のラインがくっきりと出てしまうのは、いただけない。
おっさんのような目つきで迫る美月から遠ざかる。
にしても、暑い。室内プールは、こんなに暑いものだったろうか。
「ほづみ」
「ほえ」
ほづみの腕を引いて、中央の流れるプールへと逃げるように浸かる。
温水プールはほどよい温度だった。気温が高いので、ほどよい温水を心地よく感じられる。小学生でもぎりぎり足が着く深さになっている。
ほづみの持っていた紅白模様の浮き輪につかまり、そのまま流されていく。
「あっ、かなえちゃん、ほづみん、ずるーい! あたしも!」
美月はスイカ模様のビーチボールを朱莉にたくし、ざぶん、と入水してくる。
「うっ」
「かなえちゃん?」
入ってすぐに後悔した。一般客もたくさんいるので、視線が辛い。
でも、ほづみを盾にするわけにはいかない。
ほづみと身を寄せ合っていると、別の意味で目立ってしまう。
どうすればいいの?
一般客に紛れ、美月がクロールをして近づいてくる。
波の水しぶきが一般客の小学生にかかり、目元をこすっている。
「おろ?」
美月は小学生に近寄り、何事か話しかけている。
美月が気をとられているうちに、身を……身体を隠す方法を考えないと。
なすがまま、波に流されていき、ビート板代わりに持っている浮き輪が人工の岩肌に引っかかる。
「よいしょっと」
ほづみは浮き輪に乗っかった。すっぽりとお尻が輪の中に収まっている。
とても可愛い。
ほづみと一緒にプールを一周したところで、朱莉が呼びかけてくる。
「おい、ちょっと上がれ」
私がプールから上がると、ほづみも着いてきた。
「げっ」
美月が凄まじいスピードでクロールして近づいてくる。
朱莉はニヤリと不適に笑った。
「おい、迷惑だろ、少しは落ち着けっての!」
朱莉はビーチボールをふわりと空に上げ、アタックの構えを取る。
魔力が込められ、ぶん、と放たれたアタックは、美月の頭に直撃した。
「へぷっ!」
ビーチボールらしからぬ波紋を立てるとともに、美月は沈んでいった。
周囲の一般客は、大して驚いた様子もなく流されていく。
悪は滅んだ。
朱莉は仁王立ちして大笑いしている。
「よい子はプールサイドでジャンプしたらだめだぞ」
「よい子はビーチボールで剛速球を打てないと思うのだけれど」
ほづみがちらりと振り返る。
「美月ちゃん、大丈夫かな?」
美月のいたところから、泡がぼこぼこと出ている。
「指輪をしている以上、水に沈んだくらいでは死なないと思うけれど」
噂をすれば、美月が水面からひょっこりと顔を出す。
「ぷはっ! 何? 何なの?」
「ほらね」
ほづみは小さく溜息をついた。私はほづみを後ろから抱きしめる。
「冗談はさておき、魔物の気配がする」
「ええ、わかっている。暑さの原因もこれだと思う。でも、害意を感じない」
「そうなんだよな……」
朱莉は汗をだらだらと流しながら、小さく頷いた。
美月は今頃になって、へろへろと上陸している。
「多分、すぐ近くにいると思うんだが……」
「あつーい」
ほづみは暑くて、私の腕の中で伸びている。
ふと、ほづみが、言葉を漏らした。
「太陽さんが見える」
「太陽?」
見上げると、ハリボテの太陽が燦々と輝いていた。眩しくはない。
「うげっ、魔物!」
美月は決壊を貼り、ジャスティス・ソードを構えて、太陽の落書きを見上げた。
太陽の落書きは、パラパラマンガのように形を変えて、浮いている。
「……あれ? 襲ってこない?」
美月は、剣を構えたまま、しまらない表情でハリボテの太陽を見つめる。
朱莉は小さく欠伸をした。
美月は緊張感のない声で、朱莉に目配せした。
「うーん。ねえ、朱莉ちゃん。あれ、何?」
「さしずめ常夏の魔物ってやつだな」
「常夏の魔物?」
「ところ構わず夏場のような猛暑にしちまう魔物だ。人間だったころは寒い地域に住んでいたみたいだが、魔物になってまで夏にする意義はあるんだろうか?」
「さあ。あたしにはわかんないけどさ。こいつ、人を襲うの?」
「そんな気はねえみたいだけどな……」
「じゃあ、ほっといてもOK?」
「けど、魔物は魔物を呼び寄せるからな……」
「じゃあ、可哀想だけど、倒さなきゃだめ?」
朱莉は呆れて、眉尻を下げた。
「可哀想って……だって、仮にも魔物だぜ?」
「何も悪いことをしていないのに、斬るっていうのはちょっと……」
「刑法の原則つっても、魔物は、もう人間じゃねえからな?」
「あたしの正義の問題だから!」
「ふうん。ま、ヤバそうな魔物が寄って来たら、そのときに片付ければいいか」
美月は結界を解くと、今度はジャグジーに浸かり出した。
「泡がぼこぼこー」
ほづみは腕の中で伸びている。
「あつーい。さっき見えたけど、ここって、軽食コーナーがあるよね」
「お、暑さに疲れたらそこでかき氷でも食べようぜ」
「うーん……あついよー」
「すぐにでも行ったほうがよさそう?」
「うんとね……がんばる」
「無理はしないで?」
「うん……」
せっかちな美月は、「ひゃっほい」と叫びながら、テラスに出て行った。
私の視力なら遠くまでよく見える。
外には、連なる山々と、広大なゴルフ場が目を引く。
天気がいいためか、プレーしている客が見える。
パットを外したサングラスをかけたおじさんが、首を傾げていた。
山の稜線に輝く真冬の大要と、常夏の魔物とが、互いに草地を照らし続ける。