第6話 【噂と噂】
食べたいパンを選び、いつも頼む名物コーヒーとともに会計を通し、空いている席に着く鷹一と友助の二人。
二人が席に着くのを見計らったかのようにクラシックのような曲が流れ始めた。
「さて、さっそくいただくか」
「そうするか、いただきます」
友助が席に着くと、早々にいただきますと、自分が選んだパンを食べ始める。
友助に続き、鷹一もまずコーヒーに口を付けてから、パンへと手を伸ばす。
「ん~!いつ食べてもここのパンは美味いなぁ」
「俺はここの店のコーヒーが好きだけど、たしかにここのパンは美味いよな」
そして優雅な時の中で、存分に『喫茶ジェリー』のパンを楽しんだ鷹一と友助。
鷹一が追加で頼んでいた食後のコーヒーを飲んでいると、食後にスマートフォンで何かを検索していた友助が声を上げ、勢いよく立ち上がった。
「あっ!思い出した!」
友助の声で店内にいた他の客が一斉に鷹一たちの席に向く。
少なくない人数から非難されるような視線を受けた友助はへこへこと頭を下げながら静かに座り直した。
友助が座り直したのを確認すると、鷹一は声をひそませながら注意する。
「なんなんだよ、急に。他のお客さんの迷惑になるだろ」
「いや悪い悪い。さっきの男のことを思い出してさ」
「さっきの男?」
「これだよこれ」
そう鷹一が聞くと友助は今まで自分が見ていたスマートフォンの画面を見せてきた。
その画面はどこかのニュースサイトの二年前の記事を表示しているようで、見出しには「25連続KO勝利に幕。鬼才、完全敗北!」と書かれていた。
その画面を下にスクロールしていくと、先ほどぶつかった男にそっくりな人物の写真が載っていた。
さらに下へスクロールすると記事の本文があり、そこにその人物の名前が書かれているのを見つけた。
「來野、祭?」
。
25歳でスーパーミドル級の当時のチャンピオンに勝利し、華々しくプロデビューを飾り、その後は階級を上げ、ライトヘビー級とクルーザー級をメインに活躍していたプロボクサー。
記事によれば、デビュー後の6年間、25試合25KOですべての公式戦にて勝利しており、その戦闘スタイルから『鬼の左手、仏の右手』と呼ばれていたという。
だが、記事の試合で公式戦初の負けを喫してしまったと書かれていた。
試合相手は日本人のプロデビュー戦の無名の若手だったという。
鷹一が一通り記事を読み終わるのを見計らったのか、友助が記事に書かれていない話を補足してきた。
「その記事含めて他のどこも取り扱っていない噂なんだけど、そのボクサーな、所属ジムといざこざがあって負けさせられたんじゃないかって」
「負けさせられた?」
「いわゆる八百長なんだけどな」
友助の話はこうだった。
來野はこの記事の試合の少し前に暴力事件の容疑をかけられたという出来事があったらしい。
その事件は來野が友人と行きつけの居酒屋で起こった出来事で、実際は酔った友人と酔った他のグループの男性が言い争いの末、いつの間にやら殴り合いの喧嘩に発展してしまったというものだった。
來野自身は友人を止めようとしただけで、一度も手を出していないというのに、周囲の目撃者と酔っていた男性の誤認識で來野が疑われてしまったという。
当事者の友人と店側の証言で冤罪は免れたが、一時期出てしまった負のイメージが後々足を引っ張り、それが所属ジムとのいざこざの原因になったんじゃないかとボクシングファンの間で話題になっていたということだった。
それに、と友助が付け加える。
「俺もその記事の試合を見に行ってたんだけど、なんか判定とかに違和感あったんだよ。対戦相手の有利に判定されたりとかね」
「そんなことがあったのか」
「それにその試合の後から公式戦に一切出なくなったりとかで蒸発説やらクビ説やらの噂が出たけど、結局所属ジムからも協会とかからも発表なかったからいつの間にか話題にならなくなって今まで忘れてたんだよ」
友助が言うには、一時期ネットでそこそこ大きな話題になっていたものの、その後の続報もなかったため、いつしか記憶の片隅からも消えていたという。
「しかしこの街に来ていたとは。世界は広いが世間は狭いってことなのかもね」
友助は頭の後ろで手を組みながらしみじみと語る。
「何を悟ったようなことを・・・」
鷹一はそんな友助の姿に少し呆れながら、残ったコーヒーをあおる。
残っていたコーヒーを飲み切ったとき、近くのテーブル席で談笑していた妙齢の女性三人組の会話が耳に入ってきた。
「・・・それよりも聞いた?3丁目の高橋さんの息子さん、1週間前から家に帰ってないんですって」
「そうなの?嫌ねぇ、最近の子は何考えてるのかわからなくて怖いわ。非行か何かかしらね」
鷹一がちらりと盗み見ると神経質そうな細身の女性が、知人に起こった出来事の話をしている。
その話を聞いたふくよかな女性が嫌な表情をして話しているが、細身の女性がその言葉を否定する。
「それがそうでもないみたいよ」
「え?どういうことなの?」
「高橋さん家、家族仲も悪くなかったし、息子さんの私生活も問題なかったんですって」
「ということは家出とかじゃないのね」
「家出じゃないなら誘拐とかなのかしら・・・」
今まで相槌を入れながら静かに聞いていた三人目のおっとりとしていそうな女性が心配そうに言葉を発する。
だが細身の女性はそれも難しい顔をしながらあいまいなことを言う。
「どうなのかしらね。一応警察に届け出たそうなんだけど、これといった成果なしで、手掛かりのひとつも見つかっていないそうなのよ」
細い女性がそう言うと周りをキョロキョロと見まわし始めた。
鷹一はそれに気づくとゆっくり目線を外して、聞き耳を立てる。
「ここだけの話、もう亡くなっているんじゃないかって」
「嘘・・・」
「やだ・・・」
「亡くなったとかはただの噂だけど、怖い話よね~」
その話を聞いておっとりした女性とふくよかな女性は口を押えてお互いに顔を見合わせる。
聞き耳を立てていた鷹一がぼやく。
「行方不明ねぇ」
「行方不明?」
鷹一のぼやきに気付いた友助がコーヒーを飲み干して、反応する。
「いや、ちょっとそんな会話が聞こえてきたからな」
「他の客の聞き耳立てるとか趣味悪いぞ?」
友助が鷹一の行動に呆れたような声を出す。
少し分が悪いと感じた鷹一が、バツの悪そうな顔をする。
「でもまあたしかに最近はそんな噂もよく聞くな」
「そうなのか?」
あごに手を当てながら思い出そうとしている友助。
だんだんと思い出してきたのか、話し始める。
「たしかうちの大学にもいたはずだよ。別にサボり魔でもないのに急に来なくなったりしたやつがいるみたい」
「それは・・・大学生だとよくいる奴じゃないか?」
「それが誰がやっても連絡がつかないと来た」
詳しく聞くとどれほど親しい友人であろうと連絡がつかない上に、住んでいるアパート等に行っても毎回不在らしい。
「それはたしかにおかしいな・・・警察とかは動いていないのか?」
「動いてるはずだろうけど、どうなんだろうな。まだ戻ってきてないところを見ると・・・そういうことなんだろうな」
鷹一の疑問に友助が少し濁しながら答える。
友助の答えを聞いた鷹一は、嫌な話だと思い、黙りこくる。
「まあ時間が解決してくれる事件かもしれないし、案外ひょっこり現れるのを気長に待つほうがいいのかもしれないよね」
友助はそう言うとすでに空になっているはずのコーヒーカップに口を付け、空になっていることに気付く。
友助が気恥ずかしい表情でごまかしているとき、店先のほうが慌ただしくなってきていた。
鷹一がそれに気づき、時間を確認すると昼食時の時間帯にさしかかっていた。
友助も同じようなことを考えていたのか、先に提案してきた。
「ちょうど食い終わったことだし、そろそろ出ようか」
「そうだな。今日の飯屋探しもしなきゃだしな」
そう言うと二人はそれぞれが食べたトレーを持ち、返却口へと運んでいく。
返却口からのぞくと調理場のほうまで見える設計になっているようで、返却口まで来た時に調理場で世話しなく動いている月島を見つけた。
「ごちそうさまです」
「ごちそうさまです、みうさん!今日も美味しかったです!」
二人がそう言うと、忙しそうにしていた月島が二人に気付き、にっこりと笑ってから会釈を返してきてくれた。
その笑顔を受けた友助が胸の辺りを押さえ、幸せそうな表情を浮かべている。
ハートを打ちぬかれた友助を引きづるように鷹一が出口のほうに向かうと、アルバイトらしき女性が忙しそうにパンを並べていたため、会釈して横を過ぎると、鈴の鳴るような声でありがとうございました!と後ろから元気な声をかけられた。
「やっぱりああいうところが好感持てるんだろうな。また来たくなる」
鷹一も知らず知らずのうちに、『喫茶ジェリー』の魅力にはまっていくのだった。