仕事の邪魔です
外は秋晴れの上天気。カラッと乾いた空気が清々しい。
だが、リナベルの気分は曇天模様だった。
「……あのですね。そこを通りたいんで、どいてもらえます?」
「あ? ああ」
洗い上げて山と積んだ洗濯物の盥を抱えてよろよろ外に出ると、後ろからついて来る気配がする。わざとそちらを見ないまま物干しロープに向かうと、願いも虚しく、はぁ~、と思わせぶりなため息が背中に浴びせられた。
「にしても、お前になんか想像も出来ないよ。僕は自分が夢を見ているんだと思ったね」
「……」
「この世の美というものの全てを体現していた。いや、そんな言葉じゃ足りないな。体現じゃない。あれこそが『美』なんだよ。『美』そのものなんだっ」
「……」
「まさに奇跡だよ。なにしろ会場中の男が彼女に見惚れていた。僕は奴らの嫉妬の念が自分に集中するのをはっきり感じたね」
せっせと働いている最中に延々と戯言を浴びせられ続け、いいかげんうんざりしたリナベルは、とうとう後ろを振り返った。
「ちょっと。いったい何なんです? さっきからくっだらないことをグダグダグダグダと……っ!」
「な、なんだよ?」
「皿洗いしている時もっ、窓拭き中もっ、洗濯している間もっ。人の後を追っかけ回してどういうつもりなんですかっ? うわ言みたいにアホ話を延々聞かされたら、こっちの頭が変になるわっ」
「ア、アホ話とはなんだっ。しかも追っかけ回して、って誰がお前なんかをっ。失礼なことを言うなっ。僕がいつそんなことをしたっ?」
「してたでしょっ!? 台所にずっと居座ってたかと思えば、家中の窓拭きに親鳥にくっついて歩く雛みたいにつきまとうし、今度は裏庭まで来て、喋ることといったら『美』がどうの『奇跡』がどうのって、いったい何なんですかっ?」
ここらでガツンと言ってやらねば仕事にならない。手伝うわけでもないのに付きまとわれて、いつもの予定より既にだいぶ遅れている。魔法を使えないのがイタイのだ。
リナベルは裏口の石段に座っているゲイリーの真ん前に仁王立ちして見下ろした。
「わたしはねぇ、暇持て余してる誰かさんとは違って、仕事が山ほどあるんですっ。忙しいんですっ。時間がないんですっ」
「べ、別に邪魔してないだろうがっ」
「邪魔なんですってば。その無駄な情熱をたまには勉強に向けたらどうなんです? そうしたら落第もしなくて済むし、ご両親も喜ぶでしょうに―――」
「うるさいっ! お、大きなお世話だっ!」
ほらほら、もっと怒ってさっさとこの場を立ち去れー、と一心に念を送るが、願いは通じなかった。
ゲイリーはリナベルの思惑通り怒りはしたものの、立ち去る気配は全くない。おそらく何を言っても無視していたリナベルが反応したからだろう。勢いづいて喚きたててくる。
「だいたいな、そんな口うるさいガミガミ女だから、彼女の素晴らしさが理解できないんだ。まぁ、それも当然のことだよ。リーナはお前なんかが想像したこともないくらい、繊細な人だからな。しかも目の前で見たらお前の目玉が潰れてしまう程の美人だぞ? 彼女はその美しさをひけらかそうともせず、飢えたケダモノのような男どもの視線に怯え、眸を潤ませていた……っ」
「はぁっ!?」
「リーナは羞じらいながら頬を染め、僕だけを頼れる男と見込んで、躊躇いがちに告白してきたよ。三ヶ月も前から僕を見つめていたとね。いじらしいと思わないか?」
なんの夢物語だ、それは?
絶句したリナベルの前でゲイリーは得々と続けた。
「控え目な彼女が勇気を振り絞って会話するさまは、喩えようもなく可憐だったね」
「……」
「しかも、彼女は切なく掠れた声でこう言った―――っ。『他の女性と一緒にいたのにごめんなさい』とね。僕に逢いたい一心で、震えながら夜会に参加したっていうのに、この慎み深さっ。信じられるか、リナベル? 僕は彼女にこう言ってやりたかったよ。『心配には及びません。野蛮な男達から怯えた小鳥を守るのは紳士として当然のこと。僕だけのためにその麗しい歌声を聞かせて下さるのならば、嵐の海に船出することも厭わないですよ』とな。いや、『他の女性のことなど思い悩まないで下さい。あなたと過ごす一瞬を得るために、僕を愛する女性たちを永遠に傷つけてしまったとしても、その罪を背負うのは僕だけでいい』というのもいいな。それとも、もっとわかりやすく『あなたと過ごしている方が他の女性といるより楽しい』と言うべきだったか?」
興奮のあまり両手を風車のように振り回して熱弁を振るうゲイリーに、リナベルはげんなりと肩を落とした。何が哀しくて自分自身を対象にした勝手なアホ話に付き合わされなきゃならんのだ。しかも実際は、リナベル扮するリーナの前ではあんなにあたふたしながら、しどろもどろに話すのがやっとだったくせに、大きなことを言うものだ。いっそ、あの時の会話を一言一句違わずにここで披露してやりたい欲求に駆られる。
それを堪えて、そんな素晴らしい人のことをわたしごときが聞いても仕方ないんじゃないでしょうかね? と言うに留めたのは、ひとえに鍛え抜かれた鋼の理性のおかげだ。こいつと関わってから日々人間性を鍛錬している気がする。
ゲイリーはこちらの気も知らず、弛みきった顔で、うーん、と勿体ぶった声を出した。
「確かにお前なんかに話しても意味ないんだけどな。逆立ちしても敵わない女性の話を聞かせるのは酷かもしれない。なにしろ、彼女の美しさときたら―――この世の最上の美、『美』そのもの―――」
なんたることだ。振り出しに戻ってしまった。もはや何度目か数えるのも嫌になる同じ話の繰り返しに、リナベルは、ちょっと、と口を挟んだ。
「だぁかぁらっ。そういう話はね、誰か暇持て余してるお仲間として下さいよっ。なんだってわたしにするのよっ? 同じ次元で恋バナできるお坊ちゃんが、いっくらでもいるでしょーがっ!?」
「そ、そりゃいるけど……別にいいだろっ? 僕の話を聞くのだって我が家の家政婦として当然のことだろ? 文句ばかり言うなっ」
「はぁっ!?」
「どうしたの?」
不毛な闘いに突入しかけたところで割って入ったのはシオンの声だった。
声がしたから裏に回ったんだ、と言いながら裏木戸を開けて勝手に入ってくる。
「ほら、よかったじゃないですか。暇人仲間が来ましたよ?」
「あれ、何の話?」
リナベルの雑な振り方に、シオンは怒りもせず首を傾げて笑った。
「相変わらず二人、仲いいね。ずいぶん楽しそうじゃないか。ちょっと妬けるなぁ」
「「はぁっ!?」」
「ほら、息もぴったりだ」
のほほんと言われると噛み付く気力も失せてくる。ゲイリーも同感だったようで、仏頂面で話を替えた。
「お前それ、何を持っているんだ?」
「ああ、これ? リナベルにちょっとしたお土産。女の子の間で美味しいって評判の焼き菓子なんだって。おやつにどうぞ」
紙包みを渡されてリナベルがとっさに受け取ると、ゲイリーは胡乱げに眉を寄せた。
「……なんでリナベルに土産なんか持って来るんだよ。おかしいじゃないか」
「え? おかしくないよ。好みがわからないから甘いのや茶葉の入ったのや、色々入っているからね。今度気に入ったのを教えてよ、リナベル」
「何言ってるんだ、シオンっ。こいつはただのうちの家政婦じゃないか。悪いもんでも食ったんじゃないのかっ? なんでそんな風にこいつに気を遣ってるんだよっ?」
「本当に口が悪いな、ゲイリーは。そんなんじゃリナベルに嫌われてしまうよ?」
「は? バカ言うな。こいつに嫌われるとかどうでもいいんだよっ。僕がこいつを嫌ってるんだっ」
聞き捨てならないとばかりにゲイリーが吼え立てても、シオンはどこ吹く風だった。今までリナベルは、傲慢で自意識過剰のゲイリーが幼馴染みを振り回しているものとなんとなく思っていたが、身近で二人の会話を聞いてみるとそうではないらしい。