シオンの名推理
「何か犯罪でも―――」
「してません」
「この先、その予定が―――」
「ありませんっ」
「うーむ。これはサイクスの書の謎よりも難問だ。年頃の娘が何故その美貌を隠すのか―――」
「……」
「若い娘は虚栄心が強いものだ。誰でもちょっとばかり自信のあるところをひけらかすものだが、これ程の美しさを無駄にするその心は? うーん、謎だ。この世で最大の謎と言えるかもしれないな。なにしろ、何のメリットもないんだし」
「ちょっと」
一人ぶつぶつと考え込んでいるシオンに、リナベルはうんざりと割って入った。
「そのポーズで唸っているとインチキ探偵みたいにしか見えませんけど―――。というよりあのですね、シオンさん。別に謎なんて何もないんですよ? なんというか、単に引っ込み思案の人見知りってだけで……。ですからね、、わたしのことは誰にも言わないで下さい。できたらシオンさんの記憶からも抹消してもらえると有難いんですけど」
押さえられたままだった手を振りほどいて眼鏡をかけると、やっと落ち着いて話せる。とにかくこれ以上マズイことにならないよう、リナベルは全力で頭を回転させて説得を始めたが、シオンはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「な、なんですか、シオンさん」
「うー……ん、君が何を考えているのかなー……と」
「は?」
「ん? この三ヶ月、毎日のようにゲイリーと口喧嘩をしている君が、引っ込み思案の人見知りってあり得ないし。君のことを、厳密にはアウグストン家の家政婦である君のことを俺が話す相手として可能性が高いのは誰か。まず浮かぶのは我らがゲイリーだ。ということは、君が話して欲しくないのはゲイリーってことになるね。どう? 俺の名推理は」
「別、に……」
「だがここでの疑問は、何故ゲイリーなのか、だ。おそらく君の素顔を見せた方があいつのアタリは和らぐよ? 可愛い女の子に弱いのはあいつに限らないけど、特にわかりやすいタイプだしね。でも君はそんなこと百も承知だろ? 自分の武器はわかっている筈だ。てことは、男に惚れられると困る事情があるってことだ」
なんだかよくわからない方向に脱線している気がする。男に惚れられると―――云々は全くの見当外れだったが、実は魔女なんですぅ、と言うわけにもいかず、リナベルは口をへの字にしてその名推理とやらを聞いていた。ところどころ当たっている部分もあるだけに始末に困る。
こちらの内心には気付かずシオンは得々と続けた。
「俺が思うに、君にはもう誰か約束した男がいるんだ。そいつとはわけあって長いこと会えない状況にあるんだろうね。旅に出ているのか、いやそれともいわれのない罪に問われて牢獄に繋がれているのかもしれないな。離れ離れになって逢うことも許されず、夜ごと枕を濡らす二人。切なく月を見上げながら、この月をあの人も見ているだろうか、と胸を疼かせる恋人たちの情景が目に浮かぶな」
「……」
「そいつ、いやその運命の恋人に操をたてて君は輝く美貌を隠し、他の男を拒んでいるというわけだ」
「あの……ですね―――」
こいつはバカだ。今まではゲイリーの親友という認識しか持っていなかったが、長々と馬鹿らしい想像を聞かされて、リナベルの確信が深まる。
やはりゲイリーの親友なだけあってまともな人間じゃなかったのだ。ぼんくら坊ちゃんに似合いの間抜けなロマンチシスト。
「ところがね。ここに一つ問題が生まれてしまう。俺としては生き別れた恋人説は捨てがたいが、整合性がとれないんだ」
「……」
「君が男に惚れられたくないと思っているとして―――まあ、その筆頭が一番身近なゲイリーだというのはいいとして―――俺は君の素顔を知ってしまったわけだ。確かに君は俺にも忘れてくれと言ったし、本気で言ってるのも感じた。つまり君が男に惚れられたいと思ってないのは信じられる」
「……はあ」
「なのに何が引っかかるのか? それはね、君の様子が恋する乙女に相応しくないからなんだ」
「……」
「俺も多少なりとも恋愛経験はあるからね。その辺は君も知っているかもしれないけど」
「……まあ、そこは有名ですからね。いろんな意味で」
「あはは、やだな。俺の悪評が耳に入ってるの? そんなの信じちゃ駄目だよー。何を聞いたのか知らないけど、だいたい噂は大袈裟なんだからさ」
ルシル・サシャ嬢とヘレナ・グラーフ嬢がシオンを奪い合って掴み合いのケンカをした、とか。
「それはルシルと夜会に行く予定の日に、ヘレナとキスしたってだけだよ。そもそも夜会のエスコートを引き受けただけでルシルと付き合ってたわけでもないし、ヘレナにはキスして欲しいって頼まれたからしただけで」
ゾフィー・トラン嬢の兄に、今後妹に近寄ったら命はないと思えと脅された、とか。
「ルディ・トランは頭がおかしいんだ。俺が奴の妹に近付く必要があると思うかい? 彼女が年頃の娘らしく恋を夢見たって仕方ないし、俺は求められた白馬の王子としての役割をゾフィーのために演じただけだ」
「『だけ』、『だけ』って、かなりろくでもない男の言い逃れにしか聞こえませんけどね。少なくともわたしはお近付きになりたくないかんじです」
「そう言わないでよ。まあ、清廉潔白とまでは言わないけど、神に誓って君に悪いようにはしないよ。俺の魅力は、自分から転がり込んでくるタイプの女の子にしか効力を持たないからね。どう見ても君はそのタイプじゃないよ、リナベル」
リナベルは、神に誓ってという言葉に眉間を寄せた。アウストラ教になって以来、この国の神は一人きり。昔なら誠実の女神シレネーや真実の神ヒューイに誓いを立てたものだが、今やそれらの神々は忘れられ、他の教えや魔女を許さぬ弾圧をする宗教が幅を利かせている。
「あれ? 怒らせちゃったみたいだけど、褒めたつもりだったのにな」
リナベルの険しくなった表情を読み取ったシオンが首を傾げた。
「他の子みたいに、お高く留まっている格好で内心は触れたら落ちる準備万端の、いわゆる格好つけてる男好きとは違うって言ってるんだよ? 君はそういう軽い女の子と違って、男顔負けの知性と魅力の持ち主だってね。その美貌は措いておくにしても」
「……それはどうも」
思った以上に女性に辛口だ。どうやら一筋縄ではいかない男らしい。ただの女ったらしかと思えば、本のためゲイリーの誘いを断って夜会に行かないと言っていたし、かと思えばわけのわからない推理をする間抜けなロマンチシストぶりを発揮する。どうにも読めない、嫌な性格だ。こいつに比べたら単純なゲイリーの方がなんぼかマシだろう。
リナベルは仕方なく、ろくでもない男の誓い程当てにならないものってないですからね、と悪態をついた。まさか『神』が気に入らないなどと言うわけにはいかない。誤魔化されてくれたのかわからないが、シオンはヘラッと笑った。
「まあ、俺の信頼性はともかく、俺がそれなりに女性心理に詳しいってとこは誰もが認めるところだよ。その俺が感じるんだ。君は恋してないってね。となると、君が人目を避ける理由は秘めたる恋人の存在ではなく、他にあるということになる。それは何か。気になって当然だと思わないか?」
「……その結論に至るまでずいぶん回り道しましたね。間違ってますけど。理由なんかありませんから」
動揺を見せないようきっぱりと言い切ってやる。だが、シオンは口端を上げて満足気に笑った。
「予想通りの反応だ」
「……?」
「なるほどね。―――わかったよ。君の秘密を探るのはやめておこうか。女の子は少しくらいミステリアスな方がいい」
「……」
「ただ―――そうだな。君とは今後も仲良くさせてもらうよ」
「それって……」
「とりあえず五日後の午後から半日付き合ってもらいたいんだ」
「そんなの無理です。わたし、仕事が……」
「ああ、大丈夫。その日はうちの女中を二人、代わりによこすから。断れないと思うけど? 俺の口が滑ってあちこちでアウグストン家の家政婦について喋ってしまったら―――」
「わ、わかりましたっ」
何を考えているのか知らないが、面倒な相手に弱みを握られてしまった。他人に注目されるのはまっぴらだ。
渋々了承したリナベルは恨めしくシオンを睨んだ。
「そんなの誰も信じないと思いますけどね。変に噂を立てられるのもうっとうしいから、一応今回はあんた……じゃなかった、シオンさんの話を受け入れます」
「あはは、あんたでいいよ。仲良くしたいって言っただろ? 名前もシオンでいい。シオンさんなんて他人行儀な言い方をされたら、俺は悲しくて何をしちゃうか―――」
「ちょっとっ?」
「だからね、シオンでよろしく」
「……この調子でなんでも言いなりになると思ったら大間違いですからね」
「そんなこと思ってないよ? 仲良くしようね、リナベル」
できればこいつをボコボコに殴りたい。せめて思い切り怒鳴りつけたい。だが、そのどちらも叶わないリナベルは、渾身の恨みを込めて上機嫌なシオンを眼鏡の奥から睨むのが精一杯だった。