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女神降臨

 リナベルは血の気の引いた顔で女神に呼びかけた。卑小な自分が女神と対峙する恐ろしさに声が震えるが、魔女として人間としての責任がある。


「天地創造の女神……リナジェさま」


 視線を据えられて次の言葉を失ったリナベルに、女神は笑みを刻んで見せた。美しいが酷薄な笑みだ。


『我を呼んだはそなたであったか。憎き男の血を引く娘。そなたに宿る微かなコレシュの魂に惹かれて参ったが、さて今更何用だ』

「あ、あの……お詫びを―――人の犯した過ちをあなたとコレシュに―――」

『おかしなことを言う。人間は驕り昂ぶって神々への恐れや敬う気持ちを捨てたのであろう。赦しを請うてなんとする。コレシュは石となり果て今更どんな詫びも届かぬわ』

「どれだけ言葉を尽くしても足りないくらい、申し訳ないと思っています。赦して欲しいというのが、どれ程虫のいい話かもわかっています。でも、本当に―—―」

『黙れ。人間は己の愚かさゆえに滅びるのだ。このコレシュを祀るたった一つ残った神殿が崩れ落ちたその時こそが、人間どもの最期となろうぞ。安心せよ。コレシュを継ぐ娘。そなたの寿命が尽きるくらいまでは、この神殿もなんとか保とう』


 女神の冷たい哄笑が高らかに響く。

 リナベルは声を励まして、お願いです……っ、と訴えた。このままでは世界は滅びてしまう。


「一度コレシュによって救われたのに、その恩恵を踏み躙り無に帰したのは、わたし達の力が足りなかったせいですっ。でもっ、お願いですっ。もう一度—―—もう一度人間を赦してください」

『くどいわ。遠い昔、そなたと同じように我の前に身を投げ、人間を庇った我が娘は己の眼を差し出したぞ。それに匹敵する犠牲をたかが人間のそなたが出せると思うてか。人間の一番重い命を差し出したとて、コレシュの髪一筋程の値打ちもないぞ。そもそもこの神殿が朽ち果てるまで猶予をやることにしたは、そなたの中に懐かしきコレシュの色を見たからよ。そなただけを取れば並みの人間より憎い程じゃ。のう、我が娘を奪ったカリディアンの血を引く娘。見るがよい』


 そう言って女神が錫杖を床に打ち付けると、先端にフワッと青い光の珠が生まれた。それが数えきれない程の小さな光に割れ、宙に散らばっていく。まるで星のようだ。

 女神は中の一つを指で弾いた。するとその場に人影が生まれた。ボロボロに破れた服にどす黒い血がこびりつき、必死に何かから逃れようと這っている姿は、さっき見た中にもあった血族のものだ。

 女神が次々に光を弾くと、その度に新たな人影が生まれた。十字架に磔られて炎に焼かれる親子。後ろ手に縛られ首に縄をかけられた老女。石を投げられ血を吐く乙女。

 吐き気がするほど恐ろしいその光景の数々は大公たちにも見えていて、皆が息を呑むのがわかった。蒼白になって立ち竦むリナベルの前で、同じ血を持つ者達が呻き苦しみながら声を発する。


『助けてっ、この子だけは……いやぁっ!』

『何故私達がこんな目に……っ!? 人殺しっ!』

『こんなことをする人間達のために世界を守る必要などないわっ。死んでもお前達を呪ってやるっ! 呪ってやる……っ!』

『こんな国など滅びてしまえっ!』


 そして全員が繰り返して言うのは、たった一つの同じ言葉だ。


『逃げて、逃げて—―—っ、その身に私と同じ血の流れる者よ。あなただけでもこの恐ろしい場所から、酷い国から早く逃げてっ!』


 リナベルを囲んで口から血を滴らせ、血走った目を見開いて、次々と祈るように零れる願い。鼻を衝く血肉の焼ける臭い、爪の剥がれた指で痕が付く程掴まれた足首の感触。五感を刺激する苦悶の姿は、先程の傍観者としてのやりきれなさとは別の衝撃をリナベルに与える。


 吐き気を堪えきれず手で口を覆ったリナベルに、女神が歩み寄った。その途端、呻き苦しむ人々が消える。


『どうだ。己が親族の苦しみ悶える姿は? 言っておくが我が作ったのではない。全て現実にあった姿ぞ?』

「ど……して……」

『これは皆、彼らの命運が尽きて黄泉路を辿る時に集めたコレシュの魂の欠片よ。魂に刻まれた記憶の数々は気に入ったか、娘?』


 優しいと言っていい口調だった。女神は酷く愛しげにリナベルの頤に手をかけた。


『これが人間の仕打ちぞ。そなたはこれを見てもなお人間を守りたいと思うのか?』

「……」

『そなたが—―—そなたが望むのなら、我が力で人間どもに同じ苦痛と恐怖と絶望を与えてやってもよいぞ。それを見て溜飲を下げたいとは思わぬか』

「……いいえ、わたし……は……」


 リナベルは何度も唾を呑んで、仲間たちの蒼褪めた顔に目を向けた。彼らの表情は今見たことへの衝撃の大きさを物語っていた。言葉もない四人の顔を順に見て、最後に黄金の壁の向こうに転がっている教会兵達に目を向ける。皆生々しい光景に凍り付いていた。


 正直に—―—本当に正直に言えば、魔女というだけで何の罪もない人々が受けた過酷な仕打ちの数々は、絶対に赦せない。いや、された本人ならともかく部外者に過ぎないリナベルが、赦す赦さないと考えること自体がおこがましいだろう。それでも言葉を探すとしたら、一族を奪われた最後の魔女という立場から言えるのは、決して赦せないの一言のみだ。


 だが、それでも—―—。リナベルは唇をきつく噛み締め、女神に視線を戻した。


『どうした、愛しく憎い娘』

「……あなたに人への恩情を乞う身です。わたしも—―—人への恨みは忘れようと思います」


 食い縛った歯の間から搾り出すようにそう言い切ると、口の中に金臭い味がした。


「わたしの一族は悲惨な目に遭い、人を恨み呪って……死んでいったけど。祖母にはあなたに我々の力の足りなさをお詫びしろ、と……言い聞かされてきたんです。わたし達よりあなたの方が辛い思いをされてる筈だから、と。だから、かつて人間を信じたご自身を後悔して欲しくないから—―—魔女は、人間は絶対にあなたの信頼をもう一度取り戻さなければならないんです。そのためにもう一度—―—」


 女神の顔から表情が消える。


『同じ過ちを繰り返し変わらないのが人間よ。そなたが人としてそちらの側に立つならば、滅びを待つのみの世界を見ているだけは辛かろう。恩情じゃ。今ここで死ね』


 言うなりシャラララ……と錫杖の鈴が鳴り、閃光が走った。たった今までリナベルのいた場所に紫電が落ちる。間一髪で飛び退いたリナベルは、続く衝撃を避けながらとっさに水で厚い氷壁を作って身を守った。

 普通の雷と違い、水で通電しなかったのは幸いだった。もしそうでなかったら、リナベルだけでなくずぶ濡れの他の者達も影響を受けていた筈だ。


 氷壁で一息ついたリナベルに女神は目を眇めた。


『それで我が力を逸らせると思うてか』

「違うっ、違いますっ。ただ聞いて欲しいんですっ。過ちの多い愚かな人間の織り成す世界の景色は—―—あなたを苛立たせることばかりかもしれないっ。けれど、あなたが作ったこの未熟で道半ばの世界を、それごと愛して欲しいんです!」


 息を切らして叫んだリナベルに続いて、私からもお願いするっ、と叫んだのはゲオルグ大公だった。


「人間はあなたへの感謝を抱き、必ず外れた道を正すっ。王族としてお約束するっ」


 だが、その言葉は女神の眉一つ動かせなかった。


『王族、とな。人間が勝手に作った自分達の長やその一族が、神にとって何らの重みを持つとでも思うてか。片腹痛いわ。卑小な人の身で我に向かって声を発したその勇気だけは認めてやろう。それを土産にそなたも死ね』

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