侵入者たち
リナベルの脳裏に、子供の頃、祖母に聞いたことが甦る。
魔女とは元々、女神の娘コレシュの神殿に仕えた巫女であり、コレシュの魂の欠片を授けられた存在だと祖母は言っていた。その時に自分達と他の魔女の違いには触れていなかったので、大公に聞かされた話も衝撃的だったが、重要なことは他にある。
祖母いわく、娘を失った女神にはもう人間の声は届かないが、コレシュと同じ色の魂を宿した魔女の声だけは、多くの魔女が細い糸を縒り合わせるように力を合わせれば届くかも……、とのことだった。
魔女の受難の時代、何故女神さまに助けて貰おうとしなかったのかと聞いた幼いリナベルに、祖母はこう言った。
『人間の愚かさゆえに変貌した世界を見せたくなかったのさ。それに、魔女はコレシュの魂の一部を預かって、受け継いでいるとはいえ、女神とコレシュを裏切り続けた人間の一員だろう? そんな自分達のために助けを求めるわけにはいかないよ』
自分のせいで、娘を失った女神の怒りをいたずらに募らせることになったらどうしよう。
神話の中の神罰関連の挿話が次々と頭に浮かび、血の気が引いて行く。
その前に、たった一人の声が女神に届くだろうか。
その時、不安と緊張でガチガチになっているリナベルに向かって、シオンが迷いの見える揺らぐ声音で、やらなくていいんじゃないかな……、と言った。
「確かに……女神やコレシュに対して人間は詫びなければならない、けど……君が人間代表としてそんな責任を一身に負う必要はないと思う。魔女は長年に亘って人間に虐げられてきたのに、こんな時だけ頼るのは間違っているよ。馬車の両輪と言うけど、片や仲間を総て失い他人の家で使用人として生きていくしか道のなくなった君と、国民の上に祭り上げられて贅沢に生きてきた王族とじゃ、責任はどちらにあるか明白じゃないか」
「シオン……?」
「矢面に立った君が、女神の怒りを一身に受けたら? 人間にやられるか女神にやられるかの違いはあるけど、中身は同じだ。そんな人間のために君が危険を冒す必要はないと思う。それに……君に何かあったら、俺は親友に顔向け出来なくなるからね。あいつは綺麗なリーナのためじゃなく、リナベルのために危険を冒してこんなとこまで来たんだ」
踏み込んだことを話すうちに気持ちが固まったのか、シオンは強い目を大公とブルグント侯爵に向けた。
「そもそもリナベルのおばあさんと伯母さんを探していたのは何故ですか? 所在が掴めなくなったからというのはわかりますが、それにしても一刻を争うような口振りでした。何か他に事情があるんじゃないですか?」
展開の目まぐるしさに気を取られ全くそんな疑問を持っていなかったリナベルに引き比べ、流石に冷静な部分を持っていたシオンの問いに、大公は一瞬ぐっと鋭い眼差しを向けた後、溜め息混じりに苦笑した。
「まいったな。君の言う通り、確かにこちらにも事情はある」
リナベルとシオンは瞬きもせずに続きを待つ。
「つまり、さっきも言ったが私は王位継承権第一位でな。ついでに言うと現在たった一人の継承権保持者なのだ。兄の国王陛下と私の身に何かあれば、我が国はクローディア国に完全に支配されることになるかもしれない」
「でも、王様には王女様が二人いらっしゃるし、王子様がお生まれの可能性だって―――」
「いや……これは表沙汰には出来ない王宮内の秘中の秘だが」
そう前置きして語られたのは、想像もしていなかったことだった。七才と四才の二人の王女は突然相次いで両目の光を失ったのだという。長い歴史の中初めてのことで、それだけなら王妃の側の遺伝的なものが疑われたが、王家の血を引く女性達が次々と失明していく事態が起こり、ただ事ではないのがわかったという。
「九十才になる先々代国王の妹ティレル公爵夫人から、昨年亡くなられた私の叔父ノルディン公の二才の姫ブランシェまでもが光を失った。コレシュと同じようにな。他国から嫁いでこられた義姉上は可愛い娘たちの身に起こったことで心を病まれ、もう決して子供は産まぬと――—こんな不幸に見舞われるとわかっていたら二人の王女も産まなかったと言って、殻に閉じ籠もってしまわれた。この状況は我々人間が女神とコレシュを裏切り続けた結果、招いたものだ」
「やっぱり納得いきません。俺には魔女を見捨てた王家が、言い方は悪いですけど自分達に火の粉が降りかかってきたら、慌ててリナベルに頼っているとしか思えないです」
度重なる暴言に流石に顔色を変えたブルグント侯爵が一歩踏み出したが、シオンは退かなかった。
損得も考えず自分を庇ってくれる姿に、リナベルは感動しつつも割って入る。
「シオン、ありがとう。でも……大丈夫」
「リナベル?」
「確かに王家の人が今になって焦ってるっていうシオンの見方が正しいのかもしれない。けどね、魔女も人間の一員として……責任はあるし、女神に酷い事をしたのよ? それは謝らなくちゃ。赦してもらえるかはわからないし、そもそも声が届くかも不明だけど、わたしにしか出来ないのならわたしがやらなくちゃ」
「……」
「シオン、本当に感謝してるわ。元々学問として研究していただけで、古い神々の存在を信じていたわけじゃないでしょ? なのに本気で心配してくれて――—すごく精神的に支えて貰ってる。ついでにあそこで転がってるゲイリーにもね」
色々思う所はあるが、やるしかないのだ。蒼褪めつつもきっぱりと言ったリナベルは、ゲオルグ大公を見た。
「この池の中に入ればいいんですか?」
「あ、ああ……リナベル、すまない……」
「あなたに頼まれたからやるんじゃありません。祖母の遺言ですから」
だが、リナベルが足を踏み出そうとしたその時だった。動くな、の声と共にバタバタと荒い靴音をたてて十人近い男達が現れたのだ。嘘だろ、と呻いたシオンを振り返ることも出来ず、リナベルは口元を覆った。初めて見たが、何者か一目でわかる。足元まであるアルマという白い長衣を紐帯で締め、金糸でアウストラ教の戒律『信じよ、さもなくば滅びよ』を縫い取った、赤いマントのようなカズルをまとったその姿。幾度も聞いた教会兵そのものだ。
「なんと、こんな所でネズミを五匹見つけたぞ。一匹残らず捕らえろ。最悪殺しても構わんっ」
先頭に立ったいかつい男の指示で、兵達が一斉に剣を抜く。
殺気立った空気に大公が呻いた。
「我らの正体はバレてないらしいが、このままでは――—」
「私にお任せを」
「だが———神殿を血で穢すわけにはいかないぞ」
距離を詰めてくる兵達に、焦りを帯びた声で大公が唸るがブルグント侯爵は、多少はやむを得ないでしょう、と言い捨てて剣を抜いた。ええい仕方ないと言わんばかりに、大公も剣を抜く。
「神の僕に刃を向けるかっ!? 死よりも尚恐ろしき神の怒りに触れてみよっ!」
高らかに宣言したいかつい男の声が響き渡ると、間の悪いことにゲイリーが呻きながら目を覚ました。近くにいた教会兵に剣を突きつけられ、状況の読めないまま不機嫌に払いのけようとする。
「ゲイリー、やめろっ!」




