遺言
「じゃあシオンが夢中になっている『サイクスの書』に関する謎を二人で解き明かそうとした結果が、この状況というわけか」
ゲイリーは偉そうに、なるほどね、と頷いた。
「そう聞くと、こんな辛気臭い場所に迷い込んだのもわかるよ。ただ、お前を連れて来てどうするんだ? 親友でもあり、知性と勇気を兼ね備えている僕に頼った方が、余程役に立つじゃないか」
「知性と勇気……」
「そうだ。お前は学校の成績のことばかりあげつらうがな、勉強だけ出来たところで生きていく力にはならないんだぞ。本来、知性とは臨機応変に対応し、他者との関わりの中で生き抜く人間力というものを―――」
「はいはい、なるほどねー」
どこぞで自分に都合のいい論説を聞いて、これだっ! と思ったのだろう。喜々として演説を始めたゲイリーを軽くいなして、リナベルは溜め息をついた。
魔女の件には触れずにおいたせいで、根本に不透明さを残す説明となったが、単純なゲイリーを言いくるめるのは簡単だ。いつもは腹立ちまぎれに言い負かすばかりだが、ちょっと方向を変えれば調子に乗せるも、納得させるも楽勝だった。
リナベルは諸々わかったつもりのゲイリーに、ともかくっ、と顔の前に立てた人差し指を振って見せた。
「シオンが戻るまでもう暫らくかかるでしょ。その間、ただボーっとしてても仕方ないし、もう一度辺りを調べてみない?」
「ああ、そうだな。『サイクスの書』に関係ありそうなものと、この奥に入る手段を探した方が効率的だ」
さっそく動き出そうとしたゲイリーは、だがすぐに振り返った。
「おい、ちなみに『サイクスの書』に関係ありそうなものって、どういうものなんだ?」
そんなことはリナベルにだってわかる筈もない。だが、なんかそれらしいものを探しなさいよ、と尻を叩いたところで、ゲイリーは顔色を変えた。
「リナベルっ」
「な、何よっ? キャーッ!」
言うなり突き飛ばされたリナベルは、床に倒れ込み憤怒の表情で振り返った。危なく黄金の壁のでっぱりにぶつかるところだったのだ。
文句を言ってやろうとしたリナベルは、だが倒れ伏したゲイリーの姿を見て血相を変えた。
彼の周囲にこぶし大の石が幾つも散らばっている。慌てて駆け寄ると、ゲイリーの額には大きなコブが出来ていた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫っ!? ゲイリー、しっかりしてっ、やだちょっと!」
コブが出来る打撲は大事には至らないというが、ぷっくり腫れている額を見て冷静ではいられない。必死に呼びかけていると、ゲイリーは呻き声をあげて目を開けた。
「ゲイリーっ、痛いっ? どうっ? 気持ち悪くない? ねぇ、大丈夫?この指何本か見える?」
「う……? 二、本……」
「よかったっ! もう吃驚させないでよっ!」
「僕は―――どうなったんだ……?」
「なんか崩れた石にぶつかって気絶したのよ。あ、そういえばこの石ってどこが崩れたのかしら。やだ、ここにいたら生き埋めになるとか言わないでしょうねっ!?」
ギョッとして周囲を確かめたリナベルは、どこが崩れたかを素早く見てとった。壁や天井ではなく、石扉の表面に刻まれていた模様の一部が落ちたらしい。構造にたいして影響のなさそうな部位で多少は安心していると、その間に自分のおでこを触ってコブを確かめていたゲイリーが、ひと際大きな呻き声をあげた。
「ゲイリーっ! どうしたのっ?」
「どうしたって……この腫れ上がりよう! ただ事ではないだろう……っ」
「まぁ、派手にコブが出来上がっているけど―――」
「だろうっ!? ぼ、僕はもう駄目だっ」
「ええっ!?」
「こんな場所で命を落とす運命とは……人生ってのは儚いものだな。ああ、しかもお前を守るために我が身を投げ出すとは、僕はなんて男らしい行いをしたんだろう……こんな時、人は打算や策略をめぐらす暇もなく、持って生まれた高潔な人格が自然と顕れ出てしまうんだな。冷静に考えてみれば、どこをどう見ても良いとこなしの使用人を守るため、何一つ瑕疵のない、それどころか素晴らしい人格と輝かしい将来性を持つ僕が命を失うというのは、いかにも世の無常を感じさせる出来事だ。いや、お前は実はまあまあ美人だけれども。いや、まあまあというか、かなり美人だが、それでも僕が使用人のために命を投げ出すというその行いの美しさ、素晴らしさは全く色褪せないけどなっ」
「……」
「おい、リナベル。お前は僕のお蔭で助かったと世間に広めていく義務と責任があるんだからな? あ、そうだ、僕の死後は両親より先に僕の部屋に入ってまずい物はこっそり始末しておいてくれよ。あー、そのぅ……ベッドの下のやつだ。言っておくが決して中身を見るんじゃないぞっ? いいか、ここではっきり誓えっ。絶対に絶対に見るな。ああそれから、僕の遺品としてシオンの奴には青銅の鳥を渡してくれ。亡き勇敢な友の思い出にな」
それだけ喋れたら死にはしないと言ってやりたいが、口を挟む隙すらない。ゲイリーはその後も思う存分演説をぶった。
「あとはそうだな……あっ、部屋の本棚の上から二段目の右端の本の奥に隠してある紙も処分しろ。くれぐれも父や母に見つからないようにな。あと……」
散々喋り散らして、あれはああしろ、これはこうしろと注文を付けていたゲイリーが口籠もったので、リナベルは目を眇めた。まだあるのかとイラッとしたのだ。死にそうにもない奴の思い込みに振り回されて、いいかげん面倒臭い。
だが、文句を言おうとしたリナベルは、口を開きかけたところでまた邪魔をされる。
「あ、あとお前には僕の……をやる」
「はぁっ?」
あまりの小声に聞き返すと、ゲイリーは腹を立てたように顔を赤らめた。
「ちょっとなんなのよ?」
「だから指輪をやるって言ったんだっ。僕の形見として……」
「……」
「お、思い違いするなよっ? 別に特別な意味があるわけじゃないからなつまり僕の家政婦としてよく勤めた褒美というかぼ、僕を失う哀れなお前へのなんというか、その僕との思い出のよすがとしてであって深い意味はないからな」
すさまじい早口にリナベルは眉を寄せたまま固まって、言われた内容を理解しようとした。
指輪って何よ? まさかあのマチルダ・ゴーエン嬢に贈ろうとしてシオンに相談してたやつ? そういえばマチルダに贈る前にリナベル扮するリーナによろめいて、あの指輪は宙に浮いていた筈だ。
吟味に吟味を重ねた思い入れのあるあの指輪を、気位の高いゲイリーが使用人に残すっていうのっ!? ……ありえない。
リナベルが黙り込んでいる間にゲイリーは居た堪れなくなったらしい。癇癪を起こして怒り出した。調子に乗るなだの勘違いするなだの、捲くし立てるゲイリーを宥めることすらままならない。
完全に持て余していたリナベルは、すまないが、と突然割って入った声にうんざり顔で振り返った。
「早かったじゃない、シオン―――。……っ!」
息を呑んだリナベルに、文句を言いつつも横たわったままだったゲイリーも不審げに顔を向けた。そのままリナベルと同様に息を呑む。
そこには全く見知らぬ男が立っていたのだ。




