禁書館
結局無事に下に下り立った二人は、周囲を見渡して言葉を失った。
シオンが用意していた蝋燭に照らし出された室内は、さながら博物館のようだった。古い書物や石板が整然と並んでいる。その全てが今や死に絶えた古い神々の教えや、魔女に関する記録だと思うと、自然と鳥肌が立ってくる。
「……すごいな。これが全部禁断の書物か……」
「……確かにね」
恐る恐るといった手付きで近くの石板の埃を拭っていたリナベルは、熱心に古い本の革表紙を見比べているシオンを振り返った。
「ねぇ、そういえば―――なんでこういうのが大学に保管されているのかしら。あなたみたいな好奇心旺盛な学生は、いつの時代にもいたでしょうに。いくら厳重に隠してもこうやって忍び込めるのよ?」
リナベルの問いにシオンは明らかに上の空で、ああ確かにね……、と答えた。
「教会に任せたら絶対に跡形もなく廃棄されるから、昔の学者が頑張って手元に集めたんじゃないのかな。それよりこれ、一応大まかに分類はされてるみたいだ。ここは各地の神殿の没収財産録だ」
「こっちは魔女の……迫害の記録ね」
何気なく開いた本には、無味乾燥に年月日と処刑された名前が並んでいた。同じような本が山のようにあるのを見て、背筋が凍る。
「酷いわ……同じ国に住まう人間をこんなに虐殺したのよ。まるで罪人のように……っ」
祖母から聞いた話が生々しく、そして歴然と目の前に迫っていた。
魔女の負ってきた険しい歴史を見れば、自分がこの世にただ一人の魔女としていかに厳しい立場かがわかる。
「リナベル……大丈夫?」
気が付けばシオンが肩を抱くように覗き込んでいる。
「顔色が悪い。少し座って休んだ方がいいよ」
シオンの顔は心配そうなだけだったが、リナベルはギョッとしてとびすさった。
「ななな、何よっ?」
「何って、少し休んだ方がいいって―――」
「大丈夫よ。さっき言ったでしょ、不埒な目でわたしを見るなって。あっち行きなさいよ、さっさと例のもの探しなさいよ、しっしっ」
薄暗い蝋燭の火で顔色までわかるものか。そんなもの、乙女に近付く言い訳に決まっている。
にわかに復活した身の危険への警戒心で思わず声が高くなり、慌てたシオンに口を塞がれてリナベルはじたばたした。
「ちょっ、静かに……っ。見つかったらどうするんだよっ? リナベル、頼むから落ち着いてっ」
確かに冷静になればその通りだ。リナベルはバツの悪い思いで頷き、シオンから身を離す。
「わ、悪かったわよ。もう大声出さないから離れてちょうだいっ。そして時間ないんだからさっさと調べるわよ」
今度こっちを見たらただじゃおかないと散々脅しつけた上で、それぞれが資料の山に向き直る。だが、さして広くもない室内とはいえ、全てを見るのは不可能だ。ある程度見た上でリナベルは溜め息をついた。
「どう? それらしいのはあった?」
「いや……ざっと見た感じでは」
「そうよね。そりゃ全部見たわけじゃないけど、『サイクスの書』関係は見当たらない。強いて言えば、この辺にクゲル村の神殿に関する本が何冊かあるけど、中身は歴代神官長の業績とか……儀式式目とかが殆どね。それも専門用語が多過ぎてよくわからないわ。神殿内でだけ使われていた神聖文字の本は、わたしには読めないし」
「そうか。こっちも色々見てみたけど、深く調べれば面白そうな本や石像が埋もれている感じだよ。ただ……『サイクスの書』に触れているものはなかった。時間さえあればもっとちゃんと調べて見つけられるのに」
だが、それはどうだろうか。リナベルは眉を寄せて室内を見渡した。
「う~ん。ざっと見たところ、ここにあるのは神殿の成り立ちや、神々の神話や―――魔女の行いや、彼女達の受けた迫害の歴史よね。でも契約神話は見当たらない。早い話が天地創造の女神リナジェと娘のコレシュに関する内容は、一つも見当たらないわ」
「確かに。不自然なくらいだ。もしかしたら他の場所にあるのかも」
「他って? ここ以外に心当たりあるの?」
いや、と首を振ったシオンは、リナベルが何気なく口にした、それにしてもすごい圧迫感ねぇ、という言葉に顔を上げた。
「そうか……そうかもっ」
「な、何?」
いきなり壁や床にへばりついて調べ始めたシオンは暫らくして、あった、と声を上げた。石積みの壁面に仕掛けをみつけたのだ。
「この部屋は外からの印象に比べて狭いんだよ。他の階に比べても」
「で、これは何かある、と」
「そう。……なんだけど、あれ?」
シオンが抜き取った石の奥は空洞になっていた。ひじ程の深さで突き当たりだが、中には何もない。蝋燭を近付けて覗いても、四角い穴が静かに口を開けているだけだった。
ぬか喜びにがっかりしつつ他を探したが、手掛かりは見つからなかった。
「どうしてもここが怪しいんだよなぁ……」
穴の前に戻って来たシオンが改めて唸る。リナベルも傍に近寄って首をひねった。
「でも、何度も見たけどおかしいところなんて―――あ」
「どうした?」
「ねぇ、これ……」
穴にばかり気を取られていたが、はずした石の裏側に模様が刻まれていたのだ。指先で微かに感じる程度の溝に顔を寄せたリナベルは、すぐにシオンを振り返った。
「文字みたいだけど掠れてて読めないわ。わかる?」
「神聖文字っぽいな。読めるところだけ言うと……セ……セイレン……グ、グァ? グァラ? グァラテ、スタ……?」
「それってセイレングァランナスティエスタ、じゃない? 門の女神のキメ台詞っていうか」
「キメ台詞って……」
「確かそうよ。門の女神キエネって知らない?」
「名前は知ってる。でも神話に出てくるのは一回か二回の無名な女神だったよね?」
「知らないの? キエネは契約の神話でも陰で重要な役目を果たしている女神よ? 確かこの辺に―――あった」
部屋の隅にあった門の女神の小さい石像を持って来る。
手のひら大のそれは、右手に錠前を左手に槍を持ち、何より大きな特徴として髪の一筋一筋が火を噴く蛇になっていた。
キエネは神々の世界と人間界、冥界の三つの境界を守る女神だ。人間が行ける別界は死後の冥界のみ。彼女はそれを厳格に守らせる門番の役を果たしており、寝ている間も蛇のどれかが目を覚ましていて、違法者を見逃さないという。
その女神の像をシオンに手渡して、リナベルは説明した。
「キエネは天地創造の女神リナジェが世界を作り変えようと決めて門を閉じた後も、リナジェの娘コレシュを通してあげたの。だからコレシュは人間の窮状を知り、母女神に訴えることが出来たのよ」
「そんな話、初めて聞いた」
「そうか。そうよね。契約神話で多少は一般に広まっているとはいえ、それって『サイクスの書』だけなんだっけ。だからキエネの名前が出てこないのね」
「ああ。創世神話には出てくるけど。リナジェが天地を創り、昼と夜を分け、生き物を地に置いた後、三界を隔てる門を作って女神キエネに守らせたって記述があるよ」
「ええ。雷の神ソランの雷で鍵を鋳造したのよね」
もう一つ、キエネの名が登場するのは冥界の王カンナッタがリナジェに焦がれて天界に行こうとした時、神としてただ一人門を通されなかったという場面でだった。
カンナッタは冥界を創りそこの王に納まっていたが、神話では無口で青白くこけた顔立ちの陰気な神とされており、太陽の女神とも称されるリナジェと婚姻を結ばんと欲して、拒まれたという。
リナジェと並ぶ力を持つカンナッタを決して通すなと命じられたキエネは、それを成し遂げたのだ。神話にキエネの名が出てくるのはそれだけだと言うシオンに、リナベルは頷いた。
「さすが勉強してるだけあってよく知ってるわね。でも、カンナッタを通さないため門を動かした呪文が『セイレングァランナスティエスタ』だとは知らないの? まぁ無理もないわね。神話の登場人物だけで三百人以上だもの。その中でも登場回数少ないし」
一応気を遣って慰めてやろうとしていたリナベルは、無視されてムッとする。だが文句を言いかけたところで口を開けたまま固まった。シオンが女神像を穴にそっと差し入れたのだ。支えることなく奥まで入ったところで、ガタンと何かが動く音がした。




