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ディラの風景

 石畳にブーツの音を響かせながら、買い物かごを片手に歩いていたリナベルは、さっきのゲイリーの絶叫を思い出してほくそ笑んだ。


 市場でたまに顔を合わすゴーエン家の女中から聞いたマチルダお嬢さん情報が、思わぬところで役に立ったものだ。

 マチルダ・ゴーエンはこの街の若い男性からマドンナ扱いされている、十八才の令嬢だ。虫も殺さぬ儚げな美女の風情だが、家の中ではすぐにヒステリーを起こして、手の付けられないワガママお嬢さんとは女中談。

 それでも多くの若者の例に洩れず、ゲイリーが彼女に憧れているのはとっくに承知だ。ぼんくらゲイリーにはある意味お似合いだとも思うが、どうでもいい。今頃、奴は、マチルダへの好意をなんで家政婦ごときに知られているのかと、疑心暗鬼になっているに違いない。


「家政婦だからこそお見通しなのだよ、ふっふっふっ」


 住み込みで働く家政婦や使用人は、主家のあらゆることに精通しているものだ。そしてその情報が、同じ立場の人間の間で面白おかしい噂になるのも自明の理。やり玉に上がらないのは余程できてるご主人か、無口な使用人の場合に限られる。


 リナベル自身はアウグストン家の話を外でほとんどしないが、それはリナベル自身が働き始めて間もない新入りだからだ。無口なわけでは決してない。

 だが今日は、ゲイリーのあれやこれやを暴露してやりたい気分になっていた。


「十七才の花の乙女になんつーことを言うんだ、あのクソ馬鹿ゲイリーは」


 左右に揺れる濃茶色の三つ編みを片方取って目の前にかざす。


「どこがうんこ色よっ。綺麗なもんじゃないっ」


 クセは強いが艶のある髪をじろりと睨んでから背中に払いのけ、リナベルは鼻息荒く息巻いた。


 自分のような身寄りのない若い娘が、住む場所付きの働き口を得たのは幸運だったが、そこに傲慢で世間知らずなナルシスト坊やがいたのは計算外だった。余計な手間ばかり増やしてくれる彼のお蔭で、どれ程この繊細な神経を逆撫でされたことかわからない。

 そもそも、アウグストン家くらいの家なら家政婦二、三人で回すのが普通なのだ。奥様は今探しているところだと言っているが、おそらくこの先もリナベル一人のままだろう。二人分の働きをこなせると知っていて、ケチな奥様が新たな使用人を入れるとは思えない。


 苛立ちのあまりずんずん歩いていたリナベルは、その時柔らかく響く鐘の音に歩調をゆるめた。教会堂の鐘だ。時を知らせる荘厳な音色は、教会嫌いの、正確にはアウストラ教嫌いのリナベルも気に入っていた。


 少し高台にあるアウグストン家から下の市場に向かう途中には、ディラの街並みを一望できる場所がある。そこにさしかかると、リナベルは立ち止まって美しい景色を見渡した。


 家々の向こうに青く煌めく海が穏やかに凪いでいる。左手には王家の出城を囲むように貴族達の住居が広がり、少し離れたところに大聖堂の尖塔が突き出している。右手に目を移すと、広い敷地を持つ多くの研究所や、リンカーティン王国で唯一の大学が点在していた。


 ここ、リンカーティン王国の港町ディラは、大陸一の学問の都市なのだ。聖職者が教師を務め、国が資金を出している国立大学は、独自の自治権を許されており、国中から優秀な若者が集まっている。王家直下の研究機関や教会専属の研究所が多くの学者や技術者を抱え、文化の香り漂う街だった。

 規模の割に人口が多いので、貴族でない限りどこの家庭でも一人や二人下宿人を置くのが一般的だが、金持ちはそれをしないで家政婦を置く。


 リナベルは半年前にたった一人の身内である祖母を亡くし、生活のためにそんな金持ち一家の家政婦になったのだ。優しくも厳しかった祖母の顔を思い出すと、今も涙がこみ上げる。

 最後の魔女だった彼女に仕込まれて、才能の乏しいリナベルも魔法が使えるようになったのだが、あの頃のスパルタぶりはすごかった。今にして思えば自分の死期が近いと知っていたのかもしれない。


「おかげで今の働き口をみつけたんだから、有難いけどさぁ……」


 どうせだったらゲイリーのようなワガママ坊ちゃんの操縦魔法なんてもんを教えてほしかった。そんなものがあるならば、の話だが。


「あるわけないけどねっ」


 自分で自分にツッコミながら、再び市場に向かって歩き出す。

 人間を操る魔法なんてものは、この世に存在しないのだ。

 リナベルはさっきまでとは違う種類の険しい表情を浮かべた。


 リンカーティン王国をはじめ、大陸の東に位置する国々の多くは、かつて多神教で呪術的要素の色濃いサライン教を信奉していた。その頃は、魔女と呼ばれる人たちもたくさんいて、占いや治療の分野で能力を発揮していたそうだ。


 だが、状況は一変した。


 文化的先進国クローディアの知識や、輸出入の活発な商取引を欲したリンカーティン王国や他の国々は、狂信的なクローディアの国教アウストラ教を受け入れたのだ。

 アウストラ教は厳格な一神教で、クローディア国王は即位の際に教皇の聖油を受けねばならず、そのうちその王さえも教皇や教会の意を汲む人選で決まるようになり、婚姻や養子縁組による縁戚関係も幾重にも絡まっている。


 その宗教を受け入れたことで、リンカーティン王国は豊かな経済を手に入れた代わりに、幾つかの物を失った。それは独自の文化や習慣であり、あるいはのんびりとした国民性であり、あるいは王家への親近感であったが、一番大きな変化は異端審問だった。厳しい戒律を持つアウストラ教は魔女や魔法の存在を認めず、厳しい弾圧が行われたのだ。


 彼女達が皆捕らわれて火あぶりにされてから二百年近くが経ち、今では魔女や魔法は昔々のおとぎ話扱いになっている。教会の聖職者ですら、そんなものが現実にあったとはもはや信じておらず、純粋に学問的興味や研究のために、古い文献や遺跡の調査をするようになっていた。


 だがリナベルは、過去の酷い弾圧の話を、祖母から耳にタコができるくらい、何度も何度も聞かされている。

 それまで親しくまじわっていた近所の人たちも、関わり合いになることを恐れて皆口を噤み、魔女たちが次々と捕らわれていったこと。

 ちょっとした花占いやおまじないすら見られなくなっていったこと。

 そのうちに、魔女や魔法が人々から忌避されるようになっていったこと。


 祖母は勿論その時代にはまだ生まれていなかったが、幼いリナベルの身に迫るような話しぶりで、魔女たちの受難の歴史を語ったものだ。


 ―――だからね、魔女たちが次々に捕まって火あぶりにされるのを、街の人たちは黙って見ているしかなかったのさ。そりゃ、庇ったら自分が危ないもの、仕方ないさね。でもそれは魔女だけでなく、街の人たちにとっても地獄絵図だったんだよ。誰だって昨日までおかずのお裾分けや、仲良くお喋りしていたご近所さんを見殺しにするのは辛いだろ? そうして辛くて辛くて耐え切れなくなった人たちは、そのうち魔女が迫害されるのは魔女が悪いからだと思うことにしたんだよ。

 例えば魔法で呪いをかけたり、人を殺したりするから嫌われるんだ、火あぶりされても当然だ、という風にね。

 ああ、そうだよ。リナベルの言う通り、魔法でそんなことは出来ないし、街の人たちもそれは知っていたんだよ。でも、そうやって自分を騙さなきゃやってられなかったんだね。人間は弱い生き物だからね。

 人々が自分たちで作った嘘を信じるようになった頃には、もう魔女はどこにもいなくなっていたそうだ。

 あたしはたった一人残った魔女の、自分のおばあさんに仕込まれたけど、絶対に絶対に魔法を人に見せてはいけないと口が酸っぱくなる程言われたよ。

 リナベルも絶対に人に話したり見せたりしちゃ駄目だよ? わかったね?


 祖母のしわがれ声がたった今聞いたかのように、耳にはっきりとよみがえる。正直、今の時代に火あぶりや弾圧と聞いても、若いリナベルにはピンとこなかったが、祖母の教えを守り決して人前では魔法を使わないことにしていた。


「でもなぁ……いくら他人とあまり関わらないようにするっていっても、雇い主の息子を追っ払うわけにもいかないし」


 たった一人の家政婦にくだらない用を言いつけるのが、ゲイリーのオレ様気分を刺激する快感要素になっている以上、奴がおとなしく引っ込むとは思えない。

 勿論、リナベルも嫌がらせや面倒を押し付けられて黙って引っ込むタイプではないから、顔を見ればいつもトラブルになるのも当然のことだ。


 それに―――。


「あのクソ馬鹿ゲイリーをギャフンと言わせてやるのって、実は面白いのよねー」


 リナベルは人の悪い笑みを浮かべた。口の達者な自分が口で負けるわけがないのだ。さっきも見た目に言及されてカチンときたが、冷静になってみれば六・四、いや七・三で向うに与えたダメージの方が大きかっただろう。


「……仕方ない。今回は奴の秘密を暴露するのは勘弁してやるか」


 マチルダ嬢に捧げる曲を作ろうとしたのに、楽器が出来なかったことに気付いて諦めた、とか。『ライバルに差をつけろ! 男に磨きをかける百の方法』というインチキ本をこっそり買ってきて、日夜研究している、とか。希少な香水を手に入れて喜んで振りかけていたら、何故か近所の野良猫たちに大好評で後ろからついてこられて使うのをやめた、とか―――。

 恥ずかしいネタはいくらでもあるが、今回は許してやろう。あの絶叫を思い出すだけで笑えてくる。


「わたしって大人ー」


 自画自賛しながら歩くリナベルの足取りは、自然と軽くなっていた。




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