道がなければ作ります
穴をくぐり抜けたシオンがそれ以上その件に触れないまま歩き出したのをいいことに、リナベルも無言で後に続いた。ただ気付かれないように背中に向けて思いっきり顰めっ面をしてやらずにはいられない。
まだ成長の余地はあると信じたい。いや、成長してみせる。為せば成る、と言うではないか。強い意志の力でいずれ、出るところが出てくびれるところがくびれた、めりはりのある身体になってみせるのだっ!
決意も新たに拳を握っていたリナベルは、振り返ったシオンに慌てて愛想笑いで誤魔化す。
「あ、あーら、何かしら。べ、別にあなたに向かって舌を出したりなんかしてないわよぉ……?」
「……ああ、なるほど。あはは……いや、別に好きな顔をしてくれて構わないから」
力のない笑いを見せて、シオンは、それよりここが禁書館の筈だ、と足元を指差した。
「なるほど。いよいよね」
「うん。俺が先に下りる。足場がないから飛び降りるしかないけど、君はちゃんと受け止めるから安心して俺の胸に飛び込んでおいでね」
「え!? ちょっと待ってよ。そうしたら帰りはどうするの? 足場がないって、戻れないじゃないのよ?」
「そうなんだよね。まぁ、そこまで考えてなかったんだけど、調べた後にこの場所に用はないからね。そこはまともに扉から出ればいいんじゃない?」
「にしたって、天井に穴あいたまま入り口の鍵は開いてるなんて、あまりにお粗末でしょっ!?」
「ああ、大丈夫。天井の穴は今来た道をもう一度辿って閉めておくから。鍵は―――ほら、学長が閉め忘れていたってことに―――」
「甘いわよっ」
本当に知的欲求だけで計画性もなく行動を起こしたのかと、リナベルは頭を抱えた。侵入者の存在を欠片も疑わせないのが、危ない橋を渡る時の鉄則ではないか。
「ちょっと待ってよ?」
「あ、バレても君のことは絶対言わないって。そこは安心してもらいたいと―――」
「待ちなさいっつーの。わたしはともかく、あんただってバレたらただじゃすまないんでしょっ? 退学とか言ってたじゃない」
「うん。……でもここで見たい物を見た後なら、もう退学になっても―――」
「バカ言わないでよっ。こんなくっだらないことで退学なんて大事にしてどうするの。とりあえずバレないようにすりゃいいのよ」
リナベルはシオンが先走らないよう、彼の上着の裾を引っ掴んで必死に考え込んだ。とにかく帰りもここから戻るのが絶対条件だ。
「リナベル……?」
不穏な空気を感じたらしいシオンが恐る恐るといった調子で呼びかけてくるが、リナベルは無視して考え続け、すぐに結論を出した。要するに梯子的なものを作ればいいのだ。というよりそれしか方法はない。
「な、何?」
「シオン。あんた、自分に気のない女の子がいくら刺激的な格好をしてたとしても、我を忘れて襲い掛かったりしないわよね?」
「はぁ?」
「というか、欲望に打ち克つ男気は持ち合わせていると、信じていいんでしょうね?」
「何の話か、ちょっと理解できないんだけど……」
「わたしの服で縄梯子的なものを作ろうって話よ。ここの柱に結び付ければ下と行き来できるでしょ? さっきの物置き部屋に戻ればマントがあるから、帰りはそれで誤魔化せるし。問題はあんたが乙女の下着姿に血迷って、ケダモノに変身しないかってことよ。勿論、わたしの繊細で可憐な神経がもたないかもしれない不安は、この際措いておくにしてもねっ」
早くも不審者を見る目をしたリナベルに、シオンは不服そうに口を尖らせた。
「まさか。俺はその気もない女性に無理強いするようなロクデナシじゃないよ。勿論、俺のために脱いでくれたらいつでもすぐその気になるけど」
「そう。それはおおいに慰めだわ」
「でも、だったら俺の服を使えば―――」
「いいえ、わたしの着てるドレスの方が強い生地で出来てるの。用意してくれたあんたには悪いけど」
言うなりリナベルはスカートの裾を扱いて布地を弱めた。なんとか裾の方だけで事足りれば、と願っていたが、裂きやすい方向は縦だとわかり、仕方なくそっちに力を込める。思った以上に耳障りな音が大きく響いたが、なるべくゆっくりやって音を殺すしかない。
体重を支える程の強度を作るには、上下繋ぎのドレスを丸々使わなければならなかった。鋏を使わず生地を裂くのはかなり大変で、手のひらが真っ赤に腫れ上がっていく。途中から見かねたシオンが代わってくれたが、女性の服を脱がすならともかく破くことになるとは、とブツブツ言いながらも男の力は流石頼もしく、あっという間に長い紐が出来上がる。
途中途中に足場になるよう固結びで瘤を作れば、即席の縄梯子の完成だった。柱にしっかりと結び付けて、静かにずらした天井板の隙間から垂らすと、床に届く。
「さぁ、行きましょう。多分大丈夫だと思うけど、一人ずつ下りた方がいいわね。所詮布だもの。あまり強度は期待出来ないでしょ」
「俺が先に行く。途中で切れたら君は下りないでさっきの部屋に戻れ。いいね?」
「なんでよ?」
「君を下着姿で廊下を歩かせるわけにはいかないよ。とにかく、そこまでの覚悟と信頼を見せてくれた君を、俺が守ってみせるから。危ない橋を渡るのは俺一人で充分だ」
自分の台詞に酔っている観のあるシオンに、リナベルは冷たい眼差しを向けた。
「別にそこまで悲壮ぶらなくていいけどね。そもそもあんたの用意が悪いからこんなことになったんだっつーの。ついでに、ここまで来て何もせずにおめおめ帰るなんて、冗談じゃないわよ。でも……切れそうだと思う? 補強した方がいいかしら?」
下着の上にシオンの上着を借りた自分の珍妙な格好を見下ろしたリナベルは、慌てたシオンに止められた。
「い、いや大丈夫っ。てか、これ以上刺激的な格好になるのはやめて下さい。いくら俺でも理性が保てなくなる恐れがあります勘弁して下さい本当にっ」
最後は息継ぎなしで捲くし立てられて、リナベルも、ま、まぁそうね、と頷いた。
確かにこれ以上露出を増やしたらいらぬ災いを招きそうだ。
下着とはいえ腕と肩以外隠れている上に、シオンの上着を着ているから肌を晒しているわけではない。だが、普段は見せない下着姿で、身体の露わな線を出している頼りなさは、想像以上だった。
これ以上やるべきではない。熱中すると周囲が見えなくなる自分の性格をちょっぴり反省しながら、リナベルが笑って誤魔化すと、シオンはほっとしたように息をついた。
「君といると本当に飽きないよ。心臓がいくつあっても足りないっていうか……本当に、君って―――」
「な、何よ?」
どうせろくでもないことを言われると身構えていたリナベルは、最高だよ、と返されて目を白黒させた。
「まぁ、君のせっかくの犠牲を無駄にしないよう、早く下りて調べようか」
「え、ええ……ていうか、こっち見ないでちょうだい。もし不埒な目を向けたらどうなるか―――わかっているでしょうね? 抵抗のすべもないかよわい乙女を、力尽くで辱めたと世間に広く公表するわよ? そうしたらあんたは身寄りもない貧相な家政婦と、責任とって結婚するハメに陥るんだから。そうならないよう、疑わしい行動は控えてちょうだい」
「……それは俺的には全く問題ないような―――」
「なんか言ったっ!?」
「い、いや、見ないように気を付けます……」