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ゲイリーの葛藤

 自分の部屋で『世界の美女百選~魅惑の熟女編~最新版』を熟読していたゲイリーは、裏口の扉が開く微かな音を聞き取って顔を上げた。

 普段は絶対に聞き取れない音を拾ったのは、別に耳を澄ましていたせいではない。気が付いたのはあくまでもたまたまだ。

だが、ゲイリーは大急ぎで部屋を出ると、音をたてないように階段を駆け下りた。丁度、台所前の廊下に出て来たリナベルが、鉢合わせて驚いたように足を止める。


「あら、どうしたんですか? 慌てちゃって」

「慌ててなんかないっ」

「だって、鼻の頭に汗かいて―――」

「僕は急いでここに来たわけじゃないぞっ。勿論お前がいるからって来たわけでもないからなっ?」

「……そりゃそうでしょ。わたしは今帰ってきたところだし」

「……」

「で? なんですか? お腹が空いたんですか?」

「あ? ああ……」

「仕方ないなぁ。マイラにお昼作ってもらったんでしょうに。中途半端な時間に食べるとご飯時にお腹いっぱいで食べられなくなっちゃいますよ」


 小言を言いながらも、基本的に面倒見のいいリナベルは、台所に戻って食料品の棚をあさり始める。その後について行きながらゲイリーは、あーうー、と唸った。


「そのぉ、なんだ。お前は昼飯をもう食ったのか、リナベル?」

「……は? ああ、お隣で軽く作って食べてきましたよ?」


 隣に入り浸っているのみならず、食事の用意までしているらしい。

 ゲイリーはムッとして眉をひそめた。

 隣家で自分の食べる分だけ作るわけにもいかないだろうから、シオンの分も作ったに違いない。休暇扱いとはいえ主人であるこの自分、ゲイリーの食事を他人に任せているくせに、シオンの世話をするとはどういうことだ。


「シチューが少し残っていたから温めましょうか? パンを切ってチーズとハムを挟んでもいいけど―――結構お腹空いてるんですか?」


 振り返ったリナベルに、パンだ、と答えたのはシチューを作ったのがアイラだからではない。パンの気分だったからだ。断じてそうだ。


「あー……お前の分も作れよ?」

「え? わたしはそんなお腹減ってない―――」

「いいからっ」


 押し被せるとリナベルは不審気に首を傾げたものの、おとなしく皿を二枚用意する。手際よく動くリナベルの姿を見ながら、ゲイリーは口を開いた。


「あー……シオンのところではあいつと一緒に食ったのか?」

「……? ええ、」


 不機嫌に黙り込むとリナベルは、ゲイリーが使用人がシオンと同席したのが気に食わないのだと受け取ったらしく、薄い肩をそびやかした。


「あのねぇ、使用人風情が身の程を知らないと思ってるんでしょうけどね。わたしがそうしたいわけじゃないんですからね?」


 言い訳かと思えば強気で言われて、ゲイリーもカチンとくる。だが、主人として寛大な心で受け止めてやろうと一つ息をついた。


「はい。出来ましたよ。自分の部屋で食べるんですか? それとも食堂?」


 ゲイリーはレモネードのカップとパンの皿が二人分テーブルに載っているのを見て、尊大な態度で踏ん反り返った。


「わざわざ運ぶのも面倒だろうから、ここで構わないぞ」

「はぁ? てか、何当たり前のようにわたしに運ばせる体になっているのよ。一応、わたしは休暇中なんですからね? もう本当にずーずーしいんだから」


 リナベルはぶつぶつ言っているが、こいつの文句が多いのはいつものことだ。ゲイリーが気にしないで椅子に腰掛けると、リナベルは戸惑い顔になった。


「え、ちょっと、本当にここで食べるつもり?」

「そう言っただろう。何か問題でもあるのか」

「いえ、な―――い―――です、けど……」

「じゃあいいだろうが」

「だって……わたしもここで食べるんですよ?」

「別に構わない。シオンとは同席しているんだろうが。僕とじゃ不満だとでも言うのかっ?」

「や、そういうわけじゃ―――」


 煮え切らない態度にイラッとする。じろりと睨んでやると、リナベルは居心地悪そうに座った。


「まぁ、主人の僕と一緒に食べるのは僭越で緊張するだろうがな。それは当然のことだから仕方ない」

「……あはは、は……」


 気持ちはわかると鷹揚に頷いてやると、リナベルは乾いた笑いを返してくる。はっきり言って面白くない反応だが、ゲイリーはいつものようにリナベルの心情は無視して、パンを口に運んだ。腹は膨れているが仕方ない。それよりも本題だ。


「あー、最近ずいぶんシオンと親しくしているようだな」

「……というわけでもないんですけど……」

「だって、一緒に食事するんだろうが」

「あー、それはまぁ……だから……向こうが友達と言ってる、というか―――」


 友達っ! 

 ゲイリーは呆れ返って顔をしかめた。口が達者で気の強いリナベルだが、ちょっと男に構われるとすぐに気を許してしまうらしい。シオンがどれほど女にだらしない男かわかっているだろうに、優しくされると逆上せ上ってしまうのだ。全く、情けないにも程がある。


「あのな」


 ゲイリーは主人の務めとして、目の前のボンクラ家政婦に懇々と言って聞かせた。


「リナベル。お前は全くどこまで間抜けに出来ているんだ。あいつの口車に乗って取り返しのつかないことになったらどうする。だいたい、お前みたいな奴が男からちやほやされる筈がないだろう。そういう時は何か裏があると思って警戒しないと、何かあってからじゃ遅いんだぞ?」


 だがリナベルはせっかくの有難い教えに感銘を受けるどころか、無作法にも鼻を鳴らして小バカにしてみせた。


「はあっ!? 何言ってんの? げっひ~ん」

「なんだとっ?」

「だってそうでしょ? なんでもすぐひねくれた考え方しちゃって、バッカみたい」

「僕がバカだというのかっ!? お前はなんて傲慢なんだっ。リナベル、よく考えてみろっ。お前のように男に慣れてない不細工な娘なんかなっ、世慣れた男から見れば単なるカモなんだぞっ? そんな相手に引っかかって何が起こるか、本当にわかっているのかっ? 美しい淑女と違って手軽に遊んでポイ捨てされるだけだ。男なんてのはな、お前みたいな世間知らずの小娘が想像出来ないくらい、その―――なんというか、不埒なところがあって、だな」


 そこまで言うだけで心ならずも顔を赤らめてしまったゲイリーを、リナベルはあっさり切り捨てる。


「そのくらいわかってますけど? 男なんて単純バカだから、愛好家垂涎のエロ本に目が釘付けですものね。なんでしたっけ? そうそう、『世界の美女百選~魅惑の熟女編~』だった。特に過激って評判なんでしょ?」

「なっ、何故それを……っ!?」

「シオンが言ってました。男の夢と浪漫が詰まった奇跡の画集なんですってね」

「い、いや、そっ、それは、だな」

「あー、いいですいいです。詳しい内容説明を聞きたいとは思わないんで。とりあえず男が不埒ってことくらい知ってるって話です」


 再び鼻を鳴らしたリナベルに、今や真っ赤になったゲイリーは上擦った声で噛み付いた。


「ぼぼぼ、僕のことはいいんだよっ! そそそれよりっ! 男ってものがそういうものだとわかっていて、何故シオンにそんなに気を許すんだっ。もしかして本当はそういう展開を望んでいるんじゃないのかっ?」

「はぁ~っ!? そんなわけないでしょっ」

「どうだかなっ。僕の友人相手に物欲しげな素振りで気を惹こうとして、あまり恥ずかしいことにならないよう、せいぜい気を付けるんだなっ」

「バッカみたい。誰もが自分と同じ考え方だと思わないで欲しいわ―――」


 なんとか攻撃材料を見つけてもリナベルは全く動じなかった。それどころか呆れ顔で肩を竦め、やれやれとばかりに首を振っている。ふてぶてしい奴だ。

 ゲイリーは鼻に皺を寄せて、親の仇であるかのようにパンに齧りついた。

 いつものように売り言葉に買い言葉でやり合ってしまったが、いくら腹立たしいとはいえ、リナベルがシオンの毒牙にかかるのをみすみす見過ごすわけにはいかない。

 だが、いくら親切に言って聞かせてもリナベル本人に警戒心がなく、しつこく説得しようとすれば変にこちらの思惑を裏読みされそうで、どうすればいいのかわからないのだ。


 もし―――もし万が一にもこのボンクラ家政婦が血迷って、僕が自分に関心があるとでも勘違いしてしまったら―――そんな屈辱には耐えられないっ!


 猛烈な板挟みに陥ったゲイリーは、しれっとした表情でパンを食べ終わったリナベルを睨みつけ、立ち上がった。椅子が大きな音をたてる。


「な、何よ?」

「ふ、ふ、不愉快だっ」

「は?」

「妙な勘違いを起こすなよっ? お前のような、この世のものとも思えないブサイク女っ、いやもはやゴミだな、ゴミ女だ。そのゴミ女が僕に関するありえない不遜な想像をすることは、絶対に許さないからなっ!?」

「はあっ? 何言って―――ってちょっと? もう食べないの? ねえ、なんなのよ? あんたが作れって言ったんじゃないのよ。もうわけわかんないっ!」


 ゲイリーはリナベルの抗議を無視して、さっさと逃げ出した。三十六計逃げるに如かず、だ。

 とりあえず言うべきことは言った。あまり響いて見えなかったのが不安だが、リナベルもそこまで愚かではあるまい。主人にここまで言われたらそれに応えるのが使用人の務めだろう。


 勝手な理屈でそうきめつけたゲイリーは、うるさい親のいない自由を再び満喫すべく、『魅惑の熟女達』が待つ自室に足早に戻ったのだった。




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