シオンにばれた!
水の滴る洗濯物を干し終えると、リナベルは空を見上げた。さっきまで晴れ渡っていた青空に雲が増えている。
くだらない話で時間を取られて干すのが遅れたが、きちんと乾くだろうか。秋の太陽はすぐに沈んでしまうのだ。長時間生乾きだと臭いもつくし、仕事の遅れも取り戻さねばならない。
リナベルはちょっと下唇を噛んで考えると、人差し指を口元に当ててフッと軽く息を吹いた。
たちまち風が起こり全てを乾かす。
「おおー、完璧」
からりと水気の飛んだ盥に洗濯物を取り込もうとしたその時、リナベルはギョッとして固まった。
「……驚いたな……」
掠れた声でそう言って現れたのは、つい今しがたゲイリーを引っ張って行ってくれた筈のシオンだった。彼は呆然とした様子で歩み寄り、吊るしたままの洗濯物を触って完全に乾いているのを確かめると、何度も唾を呑み込んでから口を開いた。
「……こ、これ……って……」
「……」
「君、が? 君が……やった、んだよ、な……?」
振り返ったシオンと目が合って、リナベルは血の気の引いた唇を震わせた。言葉が見つからない。絶対に隠し通さなければならない秘密を見られてしまったのだ。しかも知り合いに。頭の中が真っ白だった。
「どう……やったの?」
真っ青になって黙り込んだリナベルの姿に、シオンの方は少し気を取り直したらしい。それでも上擦るのをなんとか抑えようと努力しているのが丸わかりの声で、核心をついてくる。
リナベルは強張った表情が少しでも笑顔に見えるよう祈りながら、おそるおそる口を開いた。
「何の話ですか? 何か必要な物がありました? 飲み物を用意しましょうか」
誤魔化せるものなら誤魔化しきりたい。だが勿論、そう上手く運ぶ筈もなかった。
シオンは眉をひそめたまま答えを待っている。それでもリナベルからまともな説明が見込めないと知り、彼は真剣な顔で再び口を開いた。
「つい今しがたまでびしょ濡れだった洗濯物が一瞬で乾いている。君が―――やったんだろ? どうやったかは……わからないけど……」
「ま、まさか。そんなことあるわけないじゃ、ないですか……」
「君はこうなっても全く驚いていなかった」
「そんな、ことは―――」
「俺が見たのは、君が唇にこうやって指を当てて、息を吹いたら風が巻き起こり……全てを乾かしたんだと、思う……どうやったの?」
「……」
問い詰める声はいつもの柔らかさを取り戻していたが、その眼差しは探る色も露わで、瞬きも惜しむようにリナベルから離れようとしない。今まで向けられたこともない値踏みされる視線に、リナベルは凍り付いていた。
「あれは、魔法?」
「……」
「君は魔女なのか?」
「……」
絶体絶命だった。子供の頃、祖母に寝物語で聞かされた魔女たちの過酷な弾圧の歴史が、リナベルの脳裏に甦る。
「そんなに震えないで。大丈夫、教会に、いや誰にも言うつもりはないよ、リナベル」
シオンは穴が開く程みつめていた目を、ふわりと弛めた。そのままリナベルのすぐ傍に歩み寄り、乱れた髪をそっとかき上げて、耳に優しくかけてくる。
まるで愛撫するような手付きで触れられても、リナベルの心はみじんも安らがなかった。彼に知られてしまった内容はあまりにも重大な秘密だ。言わないと請け合ってくれた言葉がどれ程信用できるものなのか。彼が洩らせばリナベルの人生は破滅しかない。
眼鏡で鎧っているとはいえ、怯えた目の色はシオンにははっきりと見て取れる筈だ。だがそれを見せれば言い逃れの余地もなく、魔法を認めたことになると思い至る気持ちの余裕はなかった。
その時、シオンがふと表情を改める。
「ゲイリー」
発した声は普段のものに戻っていた。声につられるようにリナベルが振り返ると、そこには仏頂面のゲイリーが立っていた。
「何やっているんだ、シオン。なかなか戻ってこないから来てみれば、なんだか妙な雰囲気だな」
距離の近い二人をじろじろと見やりながら、ゲイリーが文句をつけてくる。
「またリナベルで遊んでいたのか? いいかげん放っておけよ。本当に趣味を疑われるぞ? いや、女としてこいつを見ているなんて心配はこれっぽっちもしていないがな。最近めっきり女の子と遊んでいないとはいえ、女ったらしの名を馳せるお前がしつこく構うせいで、こいつが勘違いしたらどうするんだ。だいたいリーナのことを聞かせてくれるんじゃなかったのか? 早く来いよ。彼女の好みを色々と教えてくれ」
「あ、ああ」
「リナベルはサボってないでちゃんと仕事をしろよ?」
さっきまで散々仕事の邪魔をしていたくせに偉そうにそう言うと、ゲイリーはシオンを促して踵を返す。
一人残されたリナベルは声もなくその場に立ち尽くした。立ち去り際、耳元で囁かれた「また後で」という声が、脅しのように何度も甦る。現実を受け止めきれずにリナベルはただただ途方に暮れていた。
「普段はあまり着飾ることはない、ああ見えてちょっと気の強いところがある―――と。ふむ。派手好みではないということだな。あとは好きな花とかそういうのはないのか? 好きな色とか、好きな食べ物とか……男から贈られて彼女が喜ぶ物だよ」
「う~ん、そういうのはちょっと……」
ゲイリーは熱心に紙に書きつけていた手を止めて顔を上げた。
「なんだよ。肝心なところが抜けているんだな」
「あー、ごめんごめん」
「他には何かあるか? どんな小さなことでもいいぞ?」
「うーん……今度会った時に聞いておくよ」
「いやっ、それは聞かなくていいっ。お前が彼女に興味を持っているように思われるだろ。僕が自分で聞く」
そう言ったところで大事な事に気付いてゲイリーは目を見開いた。そういえば彼女の家や学校がどこか知らないではないか。それでは今度いつ会えるかもわからない。
「おい、シオン。リーナはどこに住んでいるんだ? それを知らないと会いに行けないだろう」
「会いに行くのはちょっと―――。近くに住んではいるけどね」
「近く? 知らないぞ?」
「うん、最近引っ越してきた、みたいな―――?」
「へえ。じゃあ、サニタナか? ロンド?」
良家の子女が通う女子学院の名を挙げたゲイリーに、シオンは首を振った。
「いや、彼女は学校には行っていないんだ。その……そういった方針でね」
「ああ、厳しい家なんだな。そういえば繊細で楚々とした風情がなんとも控え目だったし、家庭教師の方が彼女に合っている。うん。それじゃあ確かに男が家を訪ねるなんて、もってのほかだろうな」
訪ねる勇気もないくせに尤もらしく頷いたゲイリーは、にへらっと笑み崩れた。
「いやぁ、それにしてもリーナの美しさはただ事ではなかったな。彼女は僕に逢いたい一心で苦手な夜会に顔を出しただろ? あの時、野蛮な男どもに囲まれて僕の胸で震えていた可憐な姿を思い出すと、胸が疼くよ」
「震え……て、いた?」
「彼女は多くを語ろうとはしなかった。僕と向き合っただけで胸がいっぱいになってしまったんだろう……だが、彼女の眸は雄弁だったね」
「へ、へぇ……」
「言葉にせずとも僕への憧憬と強い慕情は滲み出ていたよ。勿論、彼女の方も僕の気持ちは察していただろうね。女の勘というやつだ」
あくまでも都合よく話を捏造するゲイリーに、シオンは多少呆れ顔になった。
「まぁ、お前がそう感じているなら別にいいんだけど―――それじゃ、マチルダ・ゴーエンはどうするんだ?」
「はっ、バカなことを言うなよ、シオン。僕に運命の出会いが訪れたっていうのに、かつての気の迷い、若気の至りを取り上げて責め立てるのはやめてくれ。マチルダとのことは過ちだったんだ」
「そう声高らかに謳い上げられるとこっちも反応に困るんだけれどもね……マチルダとのことって彼女とは始まってすらいなかっただろうに。というかその調子でお前の話を聞かされたら、そりゃリナベルも不機嫌になるよね」
「はぁっ!? 何を言っているんだっ? なんでここでリナベルが出てくるんだよ? あいつの機嫌になんの意味があるというんだ。あいつはただの単なるうちの家政婦に過ぎないんだからな?」
大袈裟な身振り手振りで熱弁を振るっていたゲイリーは、その時ふと言葉を切った。