スマートフォンのこと
久しぶりに書き始めました。
ふと周りを見ると、気づくことがある。一様に下を向く人々。歩きながらでも、食事中でも、彼らの視線はあるひとつのものから離れない。まるでつい目で追ってしまう好きな人のように、あるものをただ見つめている。彼らはそれを指で触り、様々に移り変わる画面に意識を集中している。それはひとに触られることにより、ひとに検索結果を伝えたり、動画を見せたり、他人と連絡をとったりする。
ここまで話せばわかるかもしれないが、そのあるものとはスマートフォンのことである。ここ数年間の間にまたたく間に広まっていったアイテム。大学生でこれを持っていないという者はおそらくすぐには見つからないだろう。私は中学生のころに初めて家族で一個の携帯電話を持っていたころをふと思い出す。あのころから約10年、当時の私からすればとんでもなく早く技術の革新が進み、今や一人で複数のスマートフォンを持ちうる時代となっている。
さて、今や生活必需品になりつつある、というかもうなっている?スマートフォンだが、批判もある。あまりにも身近になってしまったがために、スマートフォンにのめり込む若者が急増しているとのことなのだ。昔からネット中毒になる人間はいたが、今ほどの広がりは見られなかった。だがスマートフォンはパソコンのようにインターネットが自由に使えつつ、使う場所を選ばないという性質がある。この性質のためにインターネットに触れる時間が大幅に増え、今のような事態になっているような感じがする。
なんでこんなにスマートフォンに時間を割くのか、他の事に時間を使え、若いのにもったいない、とか思う方もいるだろう。違うのだ。私たちのような若い世代にとって、スマートフォンに時間をかけるのはある程度は当たり前に日々行う、いうならば習慣であるのだ。私たちにとって、スマートフォンは進化した電話などではない。今の私たちの口であり、耳であり、目なのだ。スマートフォンによって私たちの世界は本当に大きく広がった。世界の真裏に住む人と連絡をとることも、ほんの5分前に起こった出来事を知ることも、文字通り手に取るようにわかる。人体に備わった新たな感覚器官ともいえるものへとなったのである。新たな感覚器官。なんともいい響きではないか。私たちは否が応にもこれらと向かい合わなければならないのだ。
と、ここまでスマートフォンを支持してきた。その上で一言だけ言っておきたい。毎日スマートフォンを眺め、下を向く諸君。時には上を向き、周りを見渡してみてはどうだろうか?きっとそこには、手のひら大の画面には収まりきらない景色、経験、出会いが、そこにはあるはずだから。
テーマとかもらえたら幸いです。