第1景
街壁の高さは、街の豊かさの証である。
街の豊かさとはつまり、人の住まう数であり、またその往来の多さである。
故に、この高さ11ハードの壁を持つ街、イドゥシヤンに点在する宿屋はとても儲かっている。
そしてその主が美人であるならばなおさら。
「従って、オレがいつものように閉店後に訪れてたかりにきても全く問題ない。と」
そう呟いて、CLOSEDの看板がかかったドアに手をかけた。この街に戻る日程を伝えていたおかげか、鍵はかかっていない。
カタン……キィイ……
しかしあまりにもあっけない音を上げて開いたドアに不信感をおぼえ、つい二度三度扉を揺らしてしまう。いつもなら鳴っていた、聞きなれたカウベルの音がしない。まるでお帰りをいってくれるようでとても好きな音だったのだが。それにそもそもあのカウベルは来客を告げるための道具だ。それが無いということはこの店の主がオレに気付いてくれないってことになるんじゃ、
「あんまり遅い時間はね、はずすことにしたの」
どうやらドアのきしむかすかな音だけで気づいてくれたらしい。少し奥から声がして、視界の端で光がともる。感じていた孤独の不安を払ってくれる優しい明かりだ。魔法は使い手によって性質を変えるなどというが、こういった感触もその一端なんだろうか。
「そっか、お前にはこれでも五月蝿いんだっけか」
「実はあなたの心音なら街に入ったところで判別できるわ」
「うそ!?」
「うそよ。良いから早くあがりなさいな。お湯を沸かしてあるわ」
「あ、助かる。……あれ、えっと、」
「いつもの部屋。タオルとかも用意してあるわよ」
「う、うん」
なにかふに落ちないものを感じながら、荷を宿の中に引き入れて背負いなおす。
疑問に思うことは多いが、付き合いで行った店で染み付いた香水や煙草の臭いだって落としたいし、旅装をといて身軽にもなりたい。砂漠越えでベタベタガサガサする身体を洗わせてもらえるなら大歓迎だ。
部屋の真ん中に鎮座する樽に貯められた湯気を立てるお湯に小躍りしつつ、荷物おいて中から出した大きな風呂敷の上で服を脱いでいく。
それなりに落としたつもりでもやはり砂漠越えは甘くなく、そこかしこからそれなりの量の砂が落ちた。後でホールの掃除をするべきだろうか? あいつなら済ませているような気もする。だが今はとにかく身を清めることだ。両手と顔の汚れをまず落とし、続いて全身をお湯に浸けよく絞ったタオルで拭っていく。そして用意されていた幅広の桶に入り、手桶で湯を浴びる。こんな贅沢をさせてくれる宿を他には知らない。これも店主が精霊魔法に通ずるハーフエルフで、オレがその個人的な関わりを持つことによる。そんな運命に感謝しつつ、最後に樽に残った湯に頭を突っ込み、心行くまで髪を洗って。
タオルで全身を拭いて一緒に用意してあった着替えに袖を通した。多分出発前に預けた荷物だろう。一月程経つはずなのにかび臭くないところを見ると、洗濯でもしてくれたのだろう。ただ下穿きまで出てきた件には突っ込むべきだろうか。
「さて、あいつのところにもどりますか」
ともあれ、輪郭をいかつくするために口に入れていた綿を吐き出すと、まるで生まれ変わったように爽快な気分だ。はやく話がしたい。
「それにしても今回は長かったね」
「キャラバンと合同で砂漠越えだからね。その分護衛もいたし安全だったけど」
出されたチーズをつまみながらそんな言葉をこぼす。宿のホールは酒場や食堂を兼ねているが、大概の人間が寝静まっている今は貸し切り状態だ。
ハーフエルフというやつは本物のエルフ程では無いにせよスローペースな人生を送っている。馴染みでありこの宿屋の主であるアンテも、幼少から人間の間で過ごして来たため比較的人間的な生活を送りはするが、それでも睡眠は三日に一度程度だ。本来なら誰もが寝ている時間だが、帰ってきたばかりで興奮が冷めてないオレもアンテも、こうして話していてすぐに寝てしまうような心配はない。
「それでさっきの心音の話だけど」
「だからあれは嘘よっていったじゃない」
「でも妙に用意が良かったような」
「まあ聞こえるというのは嘘だけど、精霊に頼んであるの。知り合いが街に入ったときは教えてもらえるように」
「へぇ」
蒸し返した話は意外な事実に突き当たった。そんなことができるとは魔法という奴はつくづく便利だと思う。そのせいで人に恐れられるだなんて言うけど、普段は一人で行商人をしている身分としては羨ましくてしょうがない。
ただ、面白い話を聞けた半面で少しばかり気まずいこともあり、顔を背け居住まいを正した。街に入った時間がわかるということは、街に入ってからなにをしていたかの察しがつく可能性がある。
「なのにこんな時間までこないんだもの。どうしたのかと思ったけど、店に入ったときに匂いでわかったわ。変なお店に行ってたのね」
あんのじょう、ばれた。
見切り発車する連載小説です。書き溜めなし。火曜分。