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幽霊系彼氏  作者: 千幸
本編
2/4

中編

 わたしは今まで、イヅナの怒ったところを見たことがない。

 ーー? そう思ったところで、ふと違和感を感じた。果たして、本当にそうだっただろうか。不可思議な違和感に背中を押されて記憶を辿ろうとすると、決まってある地点で唐突に霧がかかったように記憶が曖昧になる。


 覚えているのは、身体の奥まで凍えるような、鋭利な冷気。あれはいったい、何だったのだろうか。


□□□


 がやがやと賑やかな河川敷の一画を人の波を縫うように歩く。横を見ればずらりと一直線に露店が軒を連ねていて、香ばしい匂いや甘い香りが絶えず鼻をくすぐる。行き交う人々は皆楽しそうで、けれどどこかそわそわと落ち着かない様子なのは、もうすぐ花火が打ち上がるからだ。かく言うわたしも、間違いなくその一人なのだが。

 しゃり、と歯を立てた瞬間に感じた強い酸味に思わず顔を顰める。手元には真っ赤なりんご飴。せっせと舐めて、ようやく中の果実まで達したと思ったら、やっぱり姫りんごはとてもすっぱい。しかしすぐに外側の蜜の甘さが押し寄せてきて、口の中でとろりと酸味と混ざり合った。


「もうすぐ始まるね」


 傍らを歩くイヅナがぽつりと呟く。さほど大きい声でもないのに周囲の音にかき消えてしまわないのは、それが頭の中に直接響くように聞こえるからだろうか。

 うん、と相づちを打ってイヅナを見上げる。


「楽しみ?」


「うん。花火は好き」


 そう言ってイヅナはわずかに目を細める。普段、騒々しい場所や人混みをあまり好まない彼ではあるが、こういった類の賑やかさは嫌いではないようだ。心なしか、色味の無いはずのイヅナの頬が少しだけ紅潮しているような気がする。

 ーー良かった。胸の奥で安堵する。本当、誘って良かったと思う。こんなに楽しそうなイヅナ、なかなか見られないし。勇気を出して誘った甲斐があった。

 イヅナと出掛けるのは久しぶりだ。しかも花火大会なんて何年ぶりだろう。どうしよう、何かちょっと、デートみたいで照れる。周囲もやはりカップルが多くて、何となく自分たちも周りからはそんな風に見えるのかなとか、そんなことを考えてしまう。

 賑やかな周囲の様子に懐かしさを感じて目を細める。そういえば昔、こんな風にイヅナと花火を見に出掛けたことがあった気がする。目を閉じれば浮かんでくる。たくさんの人々の熱気、ソースの焼ける匂い、どおん、どおんとお腹の底まで響きわたる花火の音、そしてーーぽとりと、音もなく地面に落ちたりんご飴ーー。


「わっ」


 ぼんやり歩いていたせいか、前から来た人にぶつかってしまった。慌てて振り返りごめんなさいと謝って、再び前を向いたときーー先ほどまで傍らにいたはずのイヅナの姿がなくなっていた。


「あれ」


 驚いてきょろきょろと辺りを見回す。もしかして、はぐれたーーそう不安が胸をよぎったとき、リコ、と名前を呼ぶ声が頭の中に響いた。あ、とちいさく声を上げて少し先で静かに佇むイヅナに駆け寄る。同時に出た謝罪の言葉に彼は緩く首を振って応えた。

 気を付けないとね、と互いに頷いて歩き出す。傍らにいるイヅナとは肩や腕が触れてもおかしくない距離感なのに、彼に並ぶ右腕にはなんの感覚も触れてこない。代わりに、人の波にさらされている身体の左側ばかりに人間らしい熱気を感じた。それが、ひどく寂しいことのように思える。

 ちらりと傍らの穏やかな横顔を見上げる。そして、気づかれないように細く息を吐いた。

 先ほどのように、はぐれそうになってしまったのは実は初めてではない。前から後ろから寄せる人の波にもまれて傍らの幼なじみの姿を見失ってしまったのは今ので二回目だ。人の間を縫うようにせこせこと歩くわたしと、他者との接触を気にせず進むことの出来るイヅナでは気を付けていても気づけば距離がひらいてしまっていることも多い。昔からそうだ。昔から、イヅナと人の多いところへ行くと結構な確率ではぐれてしまう。だからわたしたちははぐれたときは分かりやすい目印がある場所で待ち合わせをするようにしている。

 ちら、と横に視線を移すと手を繋いだり腕を組んだり、仲の良さそうなカップルの姿が目に入った。再び、細く息を吐く。それは先ほどのものよりも羨望を多分に含んでいた。


 触れたい、と思ったのは一度や二度ではない。男性にしては華奢な手や、少しだけ癖のある髪の毛に。一度で良いから、ぬくもりを通わせてみたいーーそう思って手を伸ばして、そのたびに思い知るのだ。伸ばした手がすり抜けるたびに、イヅナが温度をもたないのだということを。


(いいなあ)


 幸せそうな恋人たちを見るたびにそう思う。当たり前のように繋がれるぬくもりに、交わされる確かな温度に。ーーわたしたちには決して得られないもの。

 ふと、嫌なことを思い出して眉を寄せる。「無駄」ーー昔、そう評した人がいた。共にいても何も生まない、ふれあうことすら出来ない関係など、無駄なのだと。



「いたっ」


 不意に、前方から来た人に思い切り肩がぶつかってしまった。わずかによろけて、そのまま人波に流されてしまう。慌てて体勢を整え、ようやく辺りを見渡したときには、見知った幼なじみの姿はすっかりなくなってしまっていた。

 嘘でしょ……、と本日三度目の失敗に唇を噛む。先ほどのようにどこからかイヅナの声が響いてくるのを期待してしばし待ったが、そう何度も運が良いわけではないらしい。どうやら、本格的にはぐれてしまったようだ。


 ため息を吐いて踵を返す。仕方ない。とりあえず待ち合わせ場所に移動してイヅナを待とう。やみくもに探し回るより、その方が得策ーーそう考えたときだった。


 ーーどおん、と。

 あ、とちいさく声を上げて空を見上げる。同時に上がる二発目、ずしんとお腹に響く花火の音。


「始まっちゃった……」


 ぽつりと呟いた声はひどく情けないものたった。

 ああ、始まってしまった。イヅナと一緒に見るはずだったのに。


 途方に暮れながらどおん、どおんと打ち上がる花火をぼんやりと見上げる。周りからは絶えず歓声が上がっていた。仲の良さそうなカップル、家族連れ、友人同士ーーいいなあ、みんな楽しそう。でも、わたしだって、共有するはずだったんだ。イヅナと。すごいね、感動するねって、そうーー。


「ねえ」


 唐突に、誰かに肩を掴まれた。驚いて振り返った先にいた男の子。なんとなく見覚えのあるその顔に一瞬、誰だろうと固まってしまった。

 そんなわたしをよそに、その人物は笑って話を進める。


 来てたんだ、とか。一人なの? とか、ぽんぽんと続けられる質問にうまく返事を返せないでいると、不意に彼が目を細めてもしかして……と続けた。


「あいつと来てんの?」


「あいつ、って」


「隣のクラスの。ほら……気味の悪い」


 最後の台詞はぼそりと、吐き捨てるようだった。そこで、ああ、と悟る。この人、同じクラスの人だ。先日、夕暮れの教室でイヅナと一緒にいた人。


「一人ならさ、一緒に見ようよ」


「……一人じゃ、ないので」


「なに、やっぱあいつと一緒なんだ?」


 彼は明らかに気分を害したようだった。居心地が悪くて眉を寄せる。どうしてこの人は、こうもイヅナを敵視しているのだろう。


「別にさ、本気じゃないんだろ?」


 ぽつりと呟かれた言葉に首を傾げる。


「ていうか、あいつ実体ないしな。そりゃ、本気だったら引くわ」


 最後は嗤うようだった。その態度に顔を顰める。な、なんでこの人に、そんなこと言われなきゃいけないのーー。


「あ、なたには、関係ない」


 精一杯強めた口調は、情けなくも少しだけ震えてしまった。言い返されたのが意外のように瞬いて彼が口を閉じる。しかし続く言葉に、彼は更に気分を害したようだった。


「どうして、あなたに、イヅナの何が解るの。何も知らない人に、わたしたちのこと、とやかく言われる筋合い無い」


「んだよ、それ」


 言い捨ててわたしが踵を返すのと、彼が手を伸ばしたのは同時だった。痛い! 遠慮なく掴まれた手首を引かれる。体勢を崩してよろけた瞬間、片手に持っていたりんご飴がぽとりと地面に落ちた。


 暗い地面に落ちた赤。食べかけのりんご飴ーーあれ、前にもこんなことがーー。



「何してんの」


 声は、頭の中に直に響いた。



「イヅ……」


 言い掛けて、止まる。突然現れたイヅナがわたしを背に隠すように二人の間に立ったからだ。隠すといってもイヅナの身体は向こうがうっすら透けて見えるから、クラスメイトの彼がイヅナの向こう側で表情を硬くする様子がうかがえた。

 しかし、それだけではない。唐突に冷えた空気にたまらずぶるりと肌が粟立つ。イヅナが現れた瞬間、何の前触れもなく周囲の空気が冷えた気がした。熱気と興奮で熱いくらいだったのに、いきなりーー。


「はなして」


「何を……」


「手」


 短く、イヅナが告げる。ふと視線を落とせばいまだ掴まれたままの右の手首が指圧で白くなっているのが目に入った。遅れて、ああ、痛いなと自覚する。そのくらい、いろいろな感覚が一瞬飛んでしまった。

 掴んでいた本人もようやく我に返ったように瞬いたが、イヅナの言葉を理解すると何でおまえにそんなこと言われなきゃならないのかと低く唸った。その態度に冷気がいっそう増したような気がした。


「離せ」


 ひやり、と今度は明確な冷たさが手元に伝わってびくりと肩が跳ねる。イヅナの手が掴まれた手に重なるように置かれている。冷気の元はそこからのようだった。

 驚いたようにクラスメイトの手が離れる。唐突に自由になった手首は余韻で色が変わってしまっていた。


「……っ、化け物」


「なっ」


 とっさに反応してしまったのはわたしだ。そして、失礼なことを言うなと食ってかかりそうになったわたしを止めたのは、イヅナの静かな声だった。


「あんたさ」


 低い声。あまり聞いたことのない硬質で重いそれが頭の中に直接響くと、ざわりと背中の辺りが騒いだ。そして、それは目の前の彼も同じだったようだ。


「そんなだから、駄目なんじゃない」


「なにを……」


「まあ、程度が知れてるとは思ったけど、これ程とはね」


 そう言ってイヅナはおもむろに視線を落とした。向かう先はわたしの手首。しっかりと掴まれた痕が残る、右側の。

 その意図を知ってか、クラスメイトの彼がぐ、と言葉に詰まった。怯んだような視線がイヅナに向かう。


「あんたにはやらないーーリコを傷つけるのは、絶対に許さない」



□□□


 どおん、どおん、と背中の向こうで花火が上がっている音が聞こえる。

 そっと、少し前を歩くイヅナの背中を見上げる。肉付きの薄い背中。そこに先ほどまでの冷たさは感じられず、いつも通りのイヅナそのものだった。

 あの後、気づけば周囲の注目を集めてしまっていて、それに怯んだクラスメイトの彼が先に逃げるようにその場を去った。捨て台詞は「勝手にやってろ」だ。実に意味が解らない。そして、そのまま二人で何もなかったように花火見物をする気にもなれなくて、歩き出した足は気づけば帰路についていた。

 イヅナは何も言わなかった。ただ一言、ごめん、と。ただそれだけを告げて歩き出したイヅナは今はわたしの前を歩いていて、その表情をうかがい知ることは出来ずにいる。


 ーー化け物。

 ふと先ほどのクラスメイトの言葉が唐突に脳裏をよぎって思わず眉を寄せた。やっぱり、ちょっとびしっと言い返してやるべきだったかもしれない。

 多様な種族が共存するようになった現代においても、いまだに偏見の目というものは少なからず存在する。中には人間至上主義を掲げる団体も少数だがあるわけで、こういった言葉の暴力も全くないわけではない。


(だって、でも、あんな言い方はひどい)


 イヅナは怒らない。だからこそ、許せない。イヅナのこと何も知らないくせに、あんなーー。


「リコ」


「えっ」


 思考を遮るように響いた声に驚いて顔を上げる。考え事をしていたせいか、気づけば二人の距離がだいぶ開いてしまっていた。

 慌てて駆け寄って、ごめんと謝罪する。そんなやりとりにイヅナが小さく苦笑した。


「またなんか、いろいろ考えてたでしょ」


「え?」


「怖い顔してる」


 そう言われて、うっ、と言葉に詰まる。図星だ。しかし、そんな風に指摘されるといささか居心地の悪いものがあって思わず俯いた。そんなわたしの頭上にぽつりと降ってきた言葉は、意外なものだった。


「ありがとう」


 言葉の意味をとらえそこねて、一瞬固まる。あれ、どうしてお礼を言われるんだろう。


「だって俺のため、でしょ?」


 昔から、リコが怒ったり泣いたりするのは俺のためにばっかりだ。そう続けたイヅナが何故かひどく儚く見えて、むくむくとせり上がってきた不安に思わず口を開いた。


「い、いや、だった?」


「ううん、まさか。嬉しかったよ。そりゃ、初めは戸惑ったけど」


 困惑して、けれど嬉しくて、それ以上に申し訳ない気持ちになった。

 そう続けたイヅナはおもむろに右手を上げると、それをわたしの右手に重ねた。力任せに握られて、痣になってしまったそこに透明な手が撫でるように行き来する。もちろん感触は感じないが、いつものほんのりとあたたかいような感覚は伝わって何だか少しくすぐったい。


「もう、冷たくないね」


 わたしの言葉にイヅナが首を傾げる。


「手。さっきは、すごく冷たかった」


 思い出すのは先ほどの、氷に触れたような冷たい感覚。硬い言葉や冷めた態度ーーあれはきっと、イヅナの怒りだ。


「……ごめん。怖かった?」


 ささやくような呟きに少しだけ考えて、ゆるゆると首を振る。


「怖くない。だって、わたしのためでしょう?」


 イヅナは探るような視線をこちらに向けた。しばらく無言で見つめ合って、やがて細く吐かれた吐息とともに逸らされる。そして再び落ちた沈黙にちいさな波紋をもたらしたのは、わたしのひとつの問いかけだった。花火大会、鋭利な冷気、地面に落ちたりんご飴ーー断片的によみがえってくる記憶の欠片が、沈んだ記憶を呼び覚ましていく。


「ね、イヅナ。あのね、もしかして、前にもこんなこと、あった?」



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