一幕 学校
神様が同居をして一週間が経過していた。
一週間前の風呂場の件に関して、俺はよく覚えていない。多分、神様が弁解してくれたのだろう。
それと最近の神様というと、やっぱりというべきか姉貴にすごい気にいれられているらしく、すげえ可愛がられている状況。それと……あんな姉貴は今まで見たことがない。
あのあと、姉貴が買ってきた大量のいろんな種類の服をお試しに着ているが、俺がよく見るのはやはり白ワンピで、本人いわく一番着心地がいいみたいだ。
夜の十時には俺のとなりの部屋に行き、就寝。
かといって早起きでもなく、朝は俺が学校に行く直前に「おはよ~」と階段から下りてくる。
こんな感じにこの一週間はとくになにも変わったこともなく、過ぎている。
俺も毎日通う学校にもいくらか慣れてはきたが、いまだに友達とかもいなく、唯一変わったのは、入学式の次の日に獲得した窓際の一番後ろの席という漫画でいう主人公ポジションになったぐらいだ。
クラス全体の雰囲気もそんなに悪くもない。ガラの悪い不良なんてもってのほか、俺にとっては非常に落ち着く。
賑わう生徒も、キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴れば一斉に皆が席につく。
それから数分の間隔がしてから先生が、入ってくる。
「はーい、ホームルームを始めます」と大きな声で言いながら、担任の女性教師こと小田幸子先生がみんなを静かにさせて教壇に立つ。
清潔感につつまれた黒いスーツに楕円形のメガネが印象的で、先生たち生徒たちのあいだでも美人だと評判がある。
それだけに清純さがにじみでるショートカットの黒髪を短く後ろで結んでいるのもまた、いいと噂もある。
さらに生徒の相談に応じたり、褒める時もあれば、叱る時はきちんと叱る一面を兼ね備えている。そこもまた人気の一つと言えるのだろう。
俺たちの担任になった時は男女共に喜んでいたぐらいだし、たしかなものだ。
「では、まずは、突然なんだけどね、転入生を紹介しようと思います」
この発言に教室内が歓喜に沸く。
「誰だろう誰だろう!」「男子か、女子か、女子だったらいいな~」と周辺から聞こえてくる。
先生が「入ってきていいよ」と廊下にいる転入生を呼ぶ。
俺は興味がなかったが内心、こんなタイミングで、とかぐらいは思っていた。
ガラガラ、と引き戸がゆっくり開く。
大勢の人がいても、目立つような背中まである金髪。
同い年か? と思えるような小柄な少女が見えた時、教室がどよめいた。
あれ?
「じゃーさっそくだけど、自己紹介をお願いします」
先生にチョークを渡され、腕を伸ばして、なるべく上のほうに名前を書いていく。
書き終わり、生徒のほうに振り返る。
「神代早麻じゃ、よろしく頼むぞ」
なんで神様が? そして、なんか偽名使ってるし……事情はあとでいいか。
「神代さんは海外から来たそうなので、わからないこともたくさんあると思います。ですから皆さんで教えてあげてください。わかりましたか?」
これにみんなは「はーい」と答え、神様もぺこりとお辞儀をする。
多少だぼだぼになっているセーラー服は、なんか可愛らしさがでていた。
学校内でまだ見たことのない膝下スカートと礼儀正しいし。
「では神代さんの席はそこの窓際の一番前です」
先生に指示された席に神様が歩きだす。
そんな俺の周辺からというか全体から「めっちゃ可愛くない?」「髪きれ~私もあんなふうになりたーい」「お人形さんみたーい」「あとで話しかけてみない?」「ハーフかな」「飛び級か、なにかか?」「『じゃ』が語尾の子リアルで初めて見たわ」「金髪ロリかよ~たまんねー」といろいろ飛び交っていた。最後のは無視で。
俺は少し誇らしかったが、なに食わぬ顔でいると突然――。
神様が指定された席にたどり着くや、そのまま座らず、その場で回りみんなのほうへ向き、一言で宣言した。
「忘れておったが妾は神様じゃ、以上」
それを聞いていた、俺を含めてクラス中が神様から視線をはずせず唖然となっていた。
神様は気にせず、依然とした態度で着席した。
先生も行事説明を放棄して、一緒にぽかんとしていたが、すぐに「あっ」と気を取り直して話に戻る。
どういう意図があるのか、俺にはわからない。だから、あとでまとめて聞くことにする。
とりあえず、肘をついて先生の話を聞いていると、となりの女子が小声で前の女子の背中を突っついて呼び、会話をし始める。
「ねえ今のなに、ウケ狙い?」
「わかんないけど、そうなんじゃないの」
「そうならさ、今時ありえない発言だよねー」
単調なギャルみたいなしゃべり方、名前はたしか……花野美咲だったかな。
ウェーブのかかった茶髪。端整な顔立ちなのだが、元がわからないくらいに顔の全面は化粧をばっちりしている。
入学式の時のホームルームで前の席だったが、その時はスッピンだったから、元は見たことはある。感想は言わないでおく。
この学校は化粧をしてはいけない決まりはないが、たしか香水は禁止されている。
理由は前に匂いに関して勉強に集中できない抗議があったらしい。とはいえ、学校内で化粧をしている人は稀でそうそう見かけない。
花野さんは普段からも前の席の内山さんに愚痴を吐いては、悪口混じりの会話ばかりしている。
そんなせいもあるのか、俺とはまた違う意味で教室の生徒から避けられている感じになっている。
同類とは思わない。思われたくないのではない。それだと、俺は悪者になってしまう。
そうではない。同類ということは比べられて、俺と同レベルになるということでもある。
だから俺は花野さんたちと同類とは思わないのだ。
自分が上だとか下だ。とかは些細な争いなんか、向こうも望まないし、正直いうと俺と同類だったとしたら向こうは嫌がると思う。だからやめておく。
そんなよくわからないことを考えているあいだにホームルームも終わり、先生が退室する。
「じゃー次の授業の用意をしておくように。以上です」
生徒たちは次の授業の用意など、すぐにする生徒なんていなく、思い思いに友達と話したり、売店に行ったりする。
俺も同時に神様のほうに見やると、
「あれ?」
神様はすでに教室にいなくなっていた。
ドアのほうに目をやると神様のなびいた金髪だけ見えた。
いろいろと聞きたいことがあったが十分間の短い休憩なわけだし、後回しにして授業の用意だけして、窓の外を眺めていた。
そこでまた花野さんと内山さんの会話が聞こえてくる。
「感じ悪くない? ワタシ話しかけようと思ってたのにー」
「たしかにねー。あれはないない」
「でしょー? 絶対性格悪いしーあれー」
「それ、美咲言いすぎー」
二人は談笑する。二人が立ち上がる素振りなんて見せてもいないのは知っている。
会話。周りの生徒にも声はまる聞こえだし、俺と同じように冷たい横目線で睨めつけていた。
二人は気にも止めず、続けている。
傍から見ればただの雑談、でも内容がもし身内の悪口だと知れば虫酸が走る。
怒りに震えて、頭に血がのぼって、拳を机の下で握りしめることしか俺にはできない。
たった一週間しか神様のことを見ていない、まだなにも知らない、知っていることと言えば、子供のような感性と動物と目で話せること、あとは、ラーメンが好きなことぐらいで……まだまだ知らないことばかりだ。
でもそれは……この状況を見過ごしていい理由にはならない。
「くそ……」
俺は誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。
「じゃあー、せっかくだしーあだ名つけてあげなーい? ワタシたちでー」
「いいね、美咲。ナイスアイデアだと思うわ」
花野さんがノートの一ページを破く音が聞こえる。
そして、シャーペンでガリガリと書く。
「美咲~それサイコー! アタシ笑いが止まんないわ」
なにを書いたのか、なんて、俺には見当もつかないし、知りたくもない。
俺に今できることは、正解がもし『やめさせる』のならぜひとも選びたい。
でも俺の頭の中に天使がいて、それに対抗するような強大な力を持った悪魔もいる。
天使が正論を悪魔が屁理屈と言いわけを。
いつも悪魔が力強くて、天使を消し去り、そして俺は結局、偽物の平和を守るために争いを避ける理由として悪魔を選択する。
こんなふうに頭に浮かぶのは、自分を正当化する言葉ばかりで自分に嫌気がさす。
「でしょーもうこれでいいよねー」
「いやいや、あ! アタシこんなの思いついちゃった。やっぱアタシって天才~みたいな」
聞きたくないのに自然と意識するように頭にまで響く。耳を力いっぱい塞ぎたくなる。
でもそんなことをしてしまったら不審に思われる。そんな自分がいることに情けなくなった。
ネタのように他愛無い会話のように進めていく。
それを俺は、しぶしぶ見過ごすことしかできない…………。
十分休憩が終わるチャイムが鳴るころ、同時に神様も戻ってきた。
ずいぶん走ったのか、額に汗をかいていた。
高校初期の授業。まだそんなに難しいところではない。
だからってわけではないが、神様は授業で持ち前の知識力を発揮し、クラス中を驚かせていた。となりを除けば。
授業中も先生の隙をねらっては、よくある手紙を交換し、クスクス笑っていた。
「ちっ」と舌打ちは数え切れないほど、俺の周辺の生徒も心では鳴らしているはず。
神様がお前たちになにをしたって言うんだ、と口にだしたい。でも俺にそんな勇気はない。
俺の心の代弁をしてくれる生徒もいない。こんなもんだ世の中なんて。
俺はキリキリ痛む、胸をこらえるために黒板から庭に視線を逃がした。
「ではこれで授業を終わります」
担当教師の合図と共に神様はまたどこかに消えてしまった。
俺は今度こそ追いかけようとしていた。でもどこに行くのかなんて、わかるはずもない。
俺だって入学したばっかりで校内はまるで把握していない。行き先なんてわからない。
だから黙ってまってることにした。
しかし、横から、
「また消えたねえー、どう思う舞瑚~」
内山舞瑚。花野さんの友達。彼女同様、髪は茶髪にしてカールにしている。化粧も似たり寄ったりだ。
「それより~見てよこれ、傑作ができたんだけどさー」
「うわっ! あんたマジ天才なんじゃねー」
「でしょー」と言いながら談笑が始める。
「『電波ロリビッチ』よりサイコー、じゃあこれにけってー」
「でー決めたけど美咲どうすんの」
「えー、うーん、本人に直接言っちゃう感じー?」
「マジで美咲言ってんの? ちょーヤバイじゃん。バレたら停学くらうしー」
「舞瑚。ここでビビッてたらワタシらなめられっぱなしだよ、それでいいの?」
今にも直接危害を加えそうな雰囲気。それを聞いていないふりをする周りの生徒たち、俺も……。
「うんまあ、バレなきゃいいのか、口止めすれば絶対バレないし」
「じゃー昼休みに決行ね。裏切んなよ舞瑚ー」
「オッケー」
こんなふうにして二人の会話は終わった。
俺はただただ、もがき苦しむことしかできなかった。一言「やめてやれ!」と言えば解決したかもしれないのに、俺は恐れたのだ。自分に単純に純粋に。自ら犠牲になるヒーローのざまを。
俺は無力で変わっていない、なにもかも……。
神様はあれからも毎休憩ごとにどこかに行き、汗をかいて戻ってくる。
そんな神様を今か今かと、二人がまちかまえていた、昼休みがきた。
授業内容が頭に入ってこない俺を横目に神様は昼休みでさえ、教室にはいなかった。
(ご飯……食べないのか?)
「ねえーどうする?」
「なにがよ」
「しめる件よ。美咲が言いだしたんでしょ?」
「ああ、あれね、却下。なんかだるいし、売店行こ、売店」
「ちょ、ちょっとまってよ、美咲―」
俺はバカみたいに安堵していた。負けたくせに……。
こんなふうに花野さんたちもどこかに行き、昼休みには俺を含めて四、五人しかおらず、さっきと比べれば静粛につつまれていた。
そんな中、一人寂しく弁当を作ってくれる人もいないわけで、姉貴もコンビニ弁当で済ませてるみたいだし、俺も仕方なく家から持参した菓子パンでことを済ます。
それとなくパンをかじりながら、いつもみたいに外に目をやる。
中庭で楽しそうにおしゃべりをしながら、昼食をとる生徒が多数いる。
庭木のつばめがさえずる。
もしも……もしもだ高校デビューがうまくいっていたら、そしたらこんなにもみじめな気持ちになることはなかったのだろうか。
余韻に浸って、空を見上げる。空は境界線の彼方まで青に染まるほどに晴天。
いつも孤独に過ごすのが俺の日課だが、今日はそんな気分にはなれない。
未遂とはいえ、あんなものを聞いて平気でいられるわけがない。
いまだに怒りと悔しさは晴れない。
だから。
カバンからタオルを取りだし、机に敷き、そのまま顔を腕で隠して突っ伏した。
俺は無力な自分の情けなさに怒る。泣いて済む問題なんて存在しない。けど今は声を押し殺し、眼から流れる悔し涙ですべての衝動を消した。