二幕 感覚
「ほら、できたぞ」
神様の前に湯気の立つラーメンを置く。
「おお! これがラーメンか~」
神様が関心の目でラーメンを見つめる。
「食べたことやっぱないのか?」
「ない! ましては食べ物を食べるのも初めてじゃ」
「そっか……じゃあ、食べるか」
スルーしたつもりはないが、神様が早く食べたいオーラを醸しだしていた。
そんなことはともかく、二人で合掌し、
「「いただきます」」
麺をすくい取り、口に運び、すする。
俺はだいたい毎食とは言わないが、ラーメンばかりだ。今食べているとんこつラーメンだって、昨日も食べたばっかりだ。俺が作れる料理だって、カレーかシチューみたいな、ルー系ならカンタンだし、どうにか作ることはできる。
かくいう姉貴も仕事でほとんどいないし、休みの日も寝ていて、料理は月一でするかしないかみたいだし、だからかキッチンは俺がここに居候に来た日は大変キレイだった。
こんなふうにこの生活をし始めて二人で食事をする。というのはある意味、俺にとってのレアなケースだと思っているわけである。
「美味いな!」
神様が決して上手な箸の持ち方ではないが、絶妙な箸捌きでラーメンをドンドン口に持っていく。
一言で豪快な食べっぷりだと感じた。
瞬く間にラーメンをすごい勢いで口に運び、一気にスープまで平らげてしまった。
「ぷは~美味かったのじゃ」
「早いな……」
俺は唖然としたわけでないが、そう口にした。
「美味かったからな!」
「俺のも食べるか? まだ二口ぐらいしか食べてないし」
「ホントか!」
「ああ」
空の容器を退かし、ラーメンを神様のほうに移した。
「じゃ遠慮なく頂くのじゃ」
神様はもう一回合掌してラーメンに手をつけた。
「やっぱり美味いのじゃ」
満面の笑みを見せる神様。その顔に俺もちょっと幸せな気分になる。
でも気になる点を見つけたので聞いてみた。
「なあ神様、えっと、すすり方、知らないのか?」
この質問に神様は首を傾げ「?」の反応をする。
「な、ほら、こうさっきのストローみたいにスゥーって吸って食べる方法だよ」
「ああ、あれか。なるほどそうやってするのか」
神様が俺の手本に納得した。
ずずず、と神様からすする音がする。
「美味いな!」
「そうだな」
俺は炊飯器にあまったご飯でおにぎりにして食べた。
「ごちそうさま、なのじゃ」
「お粗末さまです」
神様は合掌して、俺に、
「桜太よ。外に行かないか」
片付けを始める俺に尋ねてくる。
「まあいいけど、どこに行くんだ?」
「それは桜太にまかせるぞ」
「でも……この辺だったら近くに公園があるくらいだが……」
「じゃあそこに行くのじゃ! ほら!」
「ちょ、ちょっと……」
神様が俺の手を引き、外に連れだし、公園に向かったのだった。
「おおー……ここの公園は広いな~」
神様が着いた直後に素直に驚き、見回す。
この辺りは住宅街のため、見渡すかぎりに家しかない。
学校とは、反対に家から二十分ほど歩いた距離のところにあるのが、ここ運動施設である。ここではプールはもちろんのこと、野球やサッカー、バスケ、テニスと様々な球技で遊べる場所となっている。
で、その一角にあるのがこの公園であり、今そこにたどり着いたわけである。
「桜太! 今貸し切りじゃぞ! 好きなもので遊び放題じゃ!」
平日のためか、ほかの人は誰もおらず、神様の言う通り、好きな遊具が使える状態に神様はかなり興奮していた。
真ん中に恐竜をモチーフとした大型遊具に周りには鉄棒、雲梯、ブランコ、すべり台、ジャングルジムなど遊具が豊富にある。
「お、俺はちょっと……ベンチに座ってるから遊んできていいぞ」
食後に走ったせいか腹がなんか痛い……なんで神様はあんなに平気なんだ?
その言葉に神様は「なら見ているがよい!」とだけ言い残し、遊具のほうに駆けていった。
とりあえず俺は、近くにあった自動販売機からスポーツ飲料水を買って、ベンチに腰をかけた。
春だから当然なのだが、施設の周りは桜が満開で俺の頭上にも桜が咲いてあり、見上げながら眺めていると前方から「桜太、見てくれ!」とでっかい声がする。
眺めるのをやめ、声のほうに目をやると、
「今から鉄棒の技をやるから見ておれ」
ベンチの前斜め右にある鉄棒。
神様の顔の前くらいの高さの鉄棒を握り、かまえを取っていた。
「少し高くないか?」
「大丈夫じゃ、これくらいなら余裕じゃ」
そう言って、神様はキレイに前回りを決める。
「どうじゃ?」
「うん……うまい……な……」
とくに驚きもしない俺に不満なのか、次の技に挑戦する。
俺は精一杯に褒めたつもりだったのだが。
「よし! いくぞ!」
ぐいっと足を前に上げて、今度は逆上がりを決めた。
「これはどうじゃ?」
「すごいと、思うぞ」
このコメントにも納得しないのか「次こそは驚かせてやるから、少しまつのじゃ!」と意気こんでいたので、俺は視線を前に戻した。
腹の痛みも引いてきたので、買ってきた飲料水を飲もうとした時、ズボンのポケットに入っているケータイが震える。
取りだして画面を確認すると「姉貴」と表記されていたので、ボタンを押し、耳に当てる。
「もしもし」
『あ、桜太か? ちゃんと神ちゃんを家に上げたか?』
ハスキーボイスのような高い声、それが姉貴の特徴の一つ。
呼び名が「神ちゃん」かよ……と心でツッコミをいれてから、
「おお、うん……上げたよ、それとどうしたんだ?」
『あ~まあ、用ってほどでもないんだけど、今日珍しく仕事が早く終わったから今、神ちゃんの服を買いにきててね』
「そ、そっか」
『まあ、いつもより早く帰るからそれまでよろしく~ってことよ』
「わかってるよ、それくらい」
『それと』
「なに?」
『神ちゃん。大事にしなよ』
「? ああ、それもわかってるつもりだよ」
それを聞いてから姉貴のほうから通話が切れた。
こんなにも姉貴と話すようになったのは、居候を始めてからだ。
それにしても、今日はいつにもまして、機嫌がよさそうにも感じる。
今度こそ飲料水のキャップを開けて、口に含み、一息つく。
桜の花びらが俺の頭に乗る。それを手に取って、記念にポケットになんとなくいれた。
もう一口飲んでいると鉄棒をやっている神様から「桜太! これならどうじゃ!」と呼ぶ声がし、視線をやると、
「ぶ――――――――――」
俺は飲料水を吹かして、むせてしまった。
「どうじゃ! 凄すぎて声がでないじゃろ!」
うん。たしかに言葉がでないです。感想も思い浮かびません。だって…………。
全裸の少女がぶら下がっていたからです。
『こうもり』という足だけを鉄棒に引っかける技でそんなに難しい技ではないんだが、神様は自信満々の顔で腕を組んでもいた。
白いワンピースはぶら下がった弾みに落ちたのか下に無造作にあった。
「どうじゃ! 参ったか!」
羞恥心のかけらさえ、見せない神様が俺に自慢してくる。
いや…………隠せよ…………。
さっきも言ったが、凸凹のない身体のラインに興奮する俺ではないが、目で凝視するわけにもいかない。しかし、放置、無視するわけにも……よし、ここは冷静に対処することにした。
目線は反対にそらし、指先だけ、曲げて、ひょいひょいという感じに「ちょっと来い」と神様を呼び寄せる。
「なんか用かの?」
鉄棒から着地する音とそのあとに服を着る時の擦れる音が聞こえる。
着終わったのか、たったっと土を蹴る音が近づいて来た。
「桜太、どうしたんじゃ?」
ベンチに座っている俺の前に手を腰に当てて、立つ。
そんな神様に俺は考えればおかしなことを尋ねる。
「なんで…………パンツ…………穿いてないの……」
そんな俺の問いに小首を傾げながらに答える。
「パンツか? そうじゃな、穿いていたらヘンに窮屈に感じてな、それでうたたねする、少し前に脱いだんじゃ」
とくに恥ずかしがる様子もない神様。
俺はさらに問いただすつもりだったのだが、
「あのべつにノーパンが悪いとは俺からは言わないんだが、その……俺が姉貴に怒られそうだからさ、なるべく……やめてくれ……」
すげえオドオドした感じになってしまったが、とりあえず神様には通じたようだ。
「まあ桜太がそう言うならしょうがないな、まっておれ」
神様は顔色一つ変えずにそう言ってから、ただでさえ白いワンピースの左ポケットから、一枚の白い布切れを取りだし、両手でパッと広げるとその場でおもむろに穿きだした。
ちょっとまて! とも言う前に俺は身体ごと回転させて、とっさに後ろに向いた。
背中越しに「桜太どうして後ろ向いたんじゃ?」と聞いてきたので「なんとなく」と小声で返事だけした。
しばらく経ち「まだか?」とも聞かずにまっていた。
俺が勝手に後ろに向いただけだし、聞かれる立場ではないが、神様のほうから「もういいぞ」と言われることに期待していたのだろう。
でもすでに後ろからは布が擦れる音もしないし、いいのだろうと思い、腰をひねり、後ろを確認した。
「…………なに、やってんだ?」
神様はこちらに背中を見せて、しゃがみこんでいた。
俺の声が聞こえていないのか微動だにしない。
体勢を元に戻し、顔を近づかせて神様の目線の先を見る。
神様は右手の人差し指を天に突き立てて、なにかをしているようにも見えた。
俺にはちんぷんかんぷんだが、どうやら神様はまだ俺に気づいている様子じゃない。
なので、
「お~い、返事してくれ~」
銅像のような神様の意識を確認するかのように顔の前で手を振ってみる。
すると、プチンとなにかが切れたみたいに神様が、
「うおおおおおおおぉ! び、びっくりしたのじゃ……」
「お、俺もびっくりしたわ!」
突然の大声にお互いに驚いて、発した神様はその場で尻もちをつき、俺もベンチにヒップドロップ並みに衝撃を与えてしまった。
お尻が多少痛いので押さえながら、
「で……なにやってたんだ?」
「え、あー妾か? 妾はな、こいつと話してたんじゃ」
お尻をはたき、俺の横に座ってから、人差し指を俺に見せる。
「あ、アリ?」
神様の人差し指の先には、たしかに一匹の黒いアリが乗っていた。
「うむ、こいつと話していた」
「え? それって気のせい、とかではなく?」
「………………」
「?」
神様は長い沈黙を置いてから、再び口を開けた。
「バカに……せんか?」
さっきと、というより今までの印象を覆すような神妙な面持ちでなにかを感じさせる言葉だったが、俺にはよくわからなくて、普通に答えた。
「バカに? なんで? 俺は他人をバカにすることは絶対にしない、……って神様なら知ってるんじゃないのか?」
神様は安心したのか「そうじゃな」と小さく呟いたあとに俺を見て、続けた。
「できるぞ! 正確には目と心で会話をするんじゃがな」
「目と心で?」
「ではやってやるから見ておれよ」
神様は人差し指を顔の前にやると、さっきみたいにぴくりともしない状態になった。
俺はどうしたらいいのか、わからないからなんとなく神様の眼を眺めた。
小顔に似合わずな大きい蒼い瞳。
第一印象で感じた無邪気な妖精のイメージ。
しかし、今の神様は本当に神秘的で俺の神様に対しての新しい神様の印象であって、でもそれは、神様にとっては当然の今までの姿でもあるのであって、俺はそれにすごいな、と思う反面、知らないほうがよかったのかな、と思う残り半分も俺の中に無自覚に存在していた。
そんなことを考えていると神様がしゃべりだす。
「今からこやつがその場で円を描くから見ててくれ」
すると、アリが神様の言う通りに手のひらに移動してから、何度もその場で円を描くようにぐるぐると回る。
「すげえ、でもなんで隠してたんだ? そんな力が使えるのを言ってくれたら、俺なんてすぐに神様だ、って信じることができたかもしれないのに」
俺は素直に関心していたが、神様はあまり嬉しそうではなく、アリを地面に開放してから、俯いたまま、消えいりそうな声で言う。
「べつに隠していたわけではない。ただ役に立たないから言う必要がないな、と思ってな」
「た、たしかにそうかもしれないけど……」
「おまけにこの力は相手と目と目があっていないと会話できないんじゃ」
「そ、そうなのか……。けっこう条件が難しいんだな」
神様は俯いていた目線を上にやり、言葉を続ける。
「じゃろ……こんなんじゃから妾は非常に神様っぽくないと、ほかの神の者に見下されてるんじゃ」
神様はさっきよりも弱々しい言葉をこぼす。
俺は口を開けて、閉じてはなにもでずにもどかしい気持ちになった。
「『こんな役にも立たない力はさっさと全部封印してしまえ』と周りから、散々言われてきたんじゃ……もうこんな力…………」
最後は声が小さすぎて聞き取れなかった。でもだいたい見当がつく。
神様は言い終わるとベンチの上で体育座りをして顔をうずめてしまった。
『役に立たない力』……か。なにを基準に役に立つとか立たないとかがあるんだろうな。
自分と他者の感覚と価値。誰しもが十人十色の感性と嗜好を持っているはずなのに、人間は思考を押しつけ、自分の都合と利益だけで他者を否定し拒絶する者が、どの世界にも存在することに俺は、わずかながらに失望を覚えていた。
俺にそんな経験は一切ない。まず他者から興味を持たれたことがないから……。
だから、俺はこんな時、相手にどういう言葉を投げかければいいかなんてわからない。たとえば物語の主人公ならこういう場面になった時に素直な考えを持ちかけ、ヒロインを慰める言葉を的確に選べるあの補正だ。
残念ながら俺にはそんな能力もなければ、経験もない無力なただのしがない高校生で他人まかせのダメな野郎でしかない。
だから、となりでうずくまっている一人の女の子を元気にさせる言葉など、微塵ほどに見つけられるワケがない。
無力な俺が言える範囲で伝えられる言葉でもないけど、これぐらいしかない。だから、口が身勝手にこう動く。
「羨ましい……よ……」
「羨ま……しい、のか?」
神様はうずめていた顔を上げて、俺のほうを見る。
俺はそっぽを向いて言う。
「羨ましいよ、そりゃあ、俺にはできない……いや、人間にはできない、神様にしかできない、すげえ力だと思う……。ほかの神がなんて言おうと、俺の神様は素晴らしい神様だ、って言い続けてやる。だから……自信を持てよ、俺の知ってる……神様らしくもない」
無邪気に笑う素敵な顔をするのが、俺の中の神様のイメージだ。もう決めた。
すると神様は、
「なんじゃ? 励ましのつもりか?」
「そ、そうだよ……ごめんな、下手で」
神様は足を伸ばし、俺に微笑み、見つめていた。
ていうか俺もなんて恥ずかしいことを言ったのだろうか。後悔はしてないけど。
神様は深呼吸をしてから立ちあがり、
「ありがとな、桜太。自信がついたぞ」
そんなふいの神様の笑顔に「それはなによりだ」と頭をぽりぽりとかいて、照れを隠す。
「よし帰るぞ」
俺に手をさし伸べる。
「もういいのか?」
「十分なくらいに満喫できたのじゃ」
「そっか」と俺も立ちあがり背伸びをした。
「桜太、家までかけっこをしようではないか!」
「それは……遠慮……っておい!」
神様は許可なしに走りだしていた。
「ほら、置いていくぞ!」
行きのような無邪気にはしゃいでいる神様に俺は安心していた。
公園をでて、二車線の道路を挟んだ先にあるごみ捨て場が視界に入る。
そこの横に目立たないように置かれたダンボール箱が、妙に気になった。
「桜太どうしたんじゃ? 立ち止まって」
「いや、あのダンボール箱が気になって……」
指で教えると神様が「あれかの?」と反応する。
細目にしてよく凝らしてから、ダンボールに書かれている黒のゴシック字を読む。
「ひろって……ください」
そう書かれていた。
横で聞いていた神様と一緒にダンボールのところに駆け寄った。
みかん箱くらいのサイズのダンボール。上は見えやすいように開いていた。
神様と中を覗きこむと、まだ生後間のない、毛皮もようやく生え始めたころぐらいの子犬が入っていた。
だが、手遅れだったのか、子犬はすでにぐったりとしていた。
「これって……もう……」
神様は気にせず、両手で子犬を優しく手のひらでつつむ。
「息……あるのか?」
俺は問いかけた。でも神様は顔を横に振る。
なぜだがやるせない気持ちになってしまう。行きに気づいていたら助かっていたかもしれない、そんな考えが脳裏によぎる。
「どうするんだ? 埋めて……やるのか?」
「そうしたほうが……よさそうじゃな……なあこの子犬、桜太の家の庭に……埋めてやってもいいか?」
「なぜなんだ?」とは聞くのをやめた。なぜだかは自分にもわからない。でもなんとなくここ付近に埋めるのに、少しためらったからだ。
「いいんじゃないか。姉貴には俺から言っておくし、べつに文句とかはないだろうし」
ありがとな、と神様は呟き、帰路にゆっくりとした足取りでつく。
歩道の道路側を俺がとなりに神様。柔らかく神様の腕の中にかかえられている子犬。
俺の右半身が西日に照らされる。影の中におさまる神様は哀しい表情ではなく、優しい母親のような顔つきをして子犬をなでていた。
ふと見上げて考える。
男の性の俺と女の性の神様。
赤の他人が俺たちを見る目はどう映るのだろう、とかは思ったりはしなかった。
意識は気づいた時ではなく、考えた時に頭に浮かぶもんだ。
俺はこいつを神様でなく、ましては子供でもない、あくまでも一人の女の子として見ることにしたんだ。
そんな俺が右足を踏み終わるころに、神様が右足を踏みだす。
ペース配分を神様にあわせて、いつもよりゆっくり歩く、もしかしたら、ペースをあわせているのは俺ではなく、神様のほうなのかもしれない。でもきっと違う。
片道二十分のところを行きとは違い、三十分と存分にゆっくりと歩いて、たどり着いた。
「裏庭……でいいか?」
たいして広くはない庭に入り、神様に尋ねる。
「どこでもよいぞ」
どことなく、張りのない返事がくる。
スコップを物置から取りだしてきて、縁側のところを掘りおこし、奥行き二十センチ程度まで掘ったところで神様に聞く。
「これぐらいでいいか?」
神様は無言でコクン、と頷き、子犬をそっと土穴の中におさめる。
「桜太……いろいろありがとな」
「お礼言われるようなことを、したつもりはない……俺としてはな」
神様は子犬に合掌する。俺もそっと合掌する。
「桜太、埋めてやってくれ」
「あ、うん」
山になっている土を戻すように子犬に優しくかぶせていく。
俺は終わったところで後ろに下がり、スコップを家の壁に立てて置いた。
「桜太は……人と犬の命は対等だと思えるか?」
「…………」
この神様の問いには俺は無言で答えることができなかった。
そんな質問の答えなんて、俺には一生だせない。いや、だせるものじゃない。
無言のままでいると、神様が子犬の墓から視線をそらさずに口を開き、
「妾はすべての生き物に価値などないと思っておる」
「な、なんで……?」
「この世に正義や悪があるように、妾の世界にも生と死が存在しておる。これと同じぐらいにこの世にも生と死の儚さ、尊さ、があるはずじゃ。でも妾の世界には『正義』と『悪』がない。なぜ……じゃと思う?」
「……必要ない、からか?」
俺の答えに神様は俺のほうを見て、言った。
「いいや……悪がないからじゃ、悪意や妬み、恨みといった感情が妾たちには――ない」
「じゃあ…………なんで神様は……泣いて、いるんだ?」
神様は「えっ?」と手を目元にやる。すると、
「ほ、ほんと……じゃ……なんで…………じゃろうな……」
涙袋にいっぱいに溜めて、それが神様の頬を伝って、滴る。
生き物の対価なんてきっとない。俺はそう思うことにした。
だから、まずはとなりにいる女の子に言葉を投げかける。
「神様がきっと泣いているのは、この子犬を捨てた飼い主に対する恨みではなく、この子犬に対して神様は、きっと……哀しみが生まれたんだと……思うよ」
数分前に偶然見つけた子犬。初めて見た時にはもう息もしてなくて、鳴き声でさえ、俺たちは知らない。だから、この子犬に愛着が湧くはずがない。なのに、神様は放っておかずにここまで抱きかかえて、お墓を作って、祈って、涙まで流して、哀しんで、真剣に……なのに俺は――。
俺は…………あれ? 視界がかすんで、頬も冷たい……。
「はは……桜太、どうした? お主も泣いておるぞ」
泣き顔でくしゃくしゃな神様に言われて俺は、ようやく自覚した。
「ほ、本当だな。な、情けねえな、俺も」
俺は急いで袖で涙を拭う。
この歳にもなって、もらい泣きか。それとも、本当に神様と同じように……。
「よし!」
神様は鼻をズズっとすすってから、俺に、
「桜太。家に入るぞ」
すっきりしたのか神様が俺に言う。でもその前に、
「ちょっとまって」
俺は墓の前でしゃがみこみ、ポケットから、さっき公園で拾った桜の花びらを墓に添える。
「桜太……」
立ちあがり、神様に俺は清々しい気持ちでまっすぐに。
「神様……お前は今日から家族……だからな」
神様は少し呆然としていた。
でも、すぐに初めて会った時みたいな無邪気な笑顔になった。
「妾はずっと、これからもずっと桜太と遊ぶからな!」
「おう、頼むよ」
「それより桜太、ラーメン食べたい」
「わかったよ、それよりまず先に汚れ落とせ」
家に入り、洗面所に案内した。
「お~浴槽も広いの~」
洗面所に行くとすぐに、神様はテンションが高かった。
「じゃあ湯を張るから……って脱ぐのはえーよ」
シャワーとブラシを持って掃除しようとして、神様のほうに振り返ると、神様は全裸待機していた。
「うん? まだだったか?」
「あのさ……せめて、前……隠せよ…………」
俺は、顔を横に向けてから言った。
しかし、神様は「?」という顔をしていて、小首を傾げたのを横目に見えた。
もう諦めて、
「しょうがないから、シャワーにしろ……またあとでべつに風呂に入ればいいから……」
俺はその場しのぎの言葉で神様にシャワーを渡し、設定を四十度にした。
「なあ桜太」
「な、なんだよ」
「妾の身体は……そんなに…………魅力がないか?」
神様がぴたっと俺の背中に引っつき、甘い声で俺に言う。
「か、神様……な、なにやって……」
俺は声が固まって、動揺を隠せていなかった。
「で、どうなんじゃ?」
神様は俺の背中に顔をうずめているものだから、神様の吐息がシャツ越しにかかる。
俺は返事に困った。
一度見てしまった神様の小さく幼い体躯。人にはそれぞれ好みはある。俺にだって今はわからないけど、あるのかもしれない。
差別でもなんでもない。世間一般的に敬遠しなければいけない、未成熟な身体なのだ。
そんな身体に興奮をしてしまったら、と俺は理性でブレーキをかける。
言いわけか本心かは自分でも理解できていない。
自分の好みを知らないから。
神様に女としての魅力があるのか、と言われても俺としても神様としても感覚はきっと違いがでてしまう。
だから俺はひとまず、
「ごめんっ」
神様の横をすり抜け、浴場から退散を図る。
「桜太! 逃がさんのじゃあ!」
すぐに反応した神様が俺のシャツを掴もうとしたが、ひらりとかわす。
「本当にごめん!」
脱衣所の扉に手をかけた。その瞬間――
「桜太捕まえたのじゃ!」
俺は「うわあ」と情けない声を上げて、突然目の前に現れた神様に驚いて尻もちをつきながら仰向けに倒れた。
「いったぁ……」
そこに神様が俺の腹に乗る。もちろん全裸で恥ずかしがらずに。
「おい……いろいろ見えてるから隠してくれ……」
悪あがきではなく、やり場に困るからで、でも神様は、
「隠したら桜太に身体が見えなくなるじゃろ? で、どうなんじゃ、さっきの答えは」
横に視線を移している俺に神様が聞いてくる。
「わかったよ…………言うよ、言えばいいんだろ……」
俺は無心でなにも考えず、なすがままにまかせた。
しかし、ヘンなタイミングで脱衣所の引き戸がガラッと開いて、
「おお、神ちゃん、こんなところで……なにをして……」
姉貴が入ってきた。手荷物たくさん持って、目が点になってもいた。
これが俺の入学式の日に起きた。無力な俺と名札だけの好奇心旺盛な神様の物語の始まりの幕を開け、そして――
始まりの兆しの顔を見せ、俺の青春のなにかを感じさせてくれる、大きな一歩目を俺は踏みだした気がした。
率直な感想、誤字、脱字、語弊、なんでも見つけたり、違和感がありましたら教えてください。
評価などもおまちしております。
ここまで読んでくれたことにも感謝いたします。
友城にい