四幕 花野美咲
学校の席からの景色も、季節によって、変わっていく。
今日の空は昨日見た予報通り、雲に覆われて、今にでも雨が振りだしそうな雰囲気だった。
教室からも不満の声が充満していた。
神様のことで話すクラスメイトは初日こそ、そこそこいたが、一週間も経てば、触れる生徒なんていない。
チャイムが鳴って、数秒の間隔で入ってきたのは、男性の副担任、只野先生だった。
「はい、席に着けよー」
すぐに男子生徒やらから「小田先生はー?」と質問が飛ぶ。
「あー、小田先生は体調不良で今日はお休みだ。わかったか」
生徒は「えー」「マジかよ」と雨とは違う不満であふれ返った。
そんなことはおかまいなしに只野先生は続けた。
「えー、じゃー、先月も転入生がきたとは思うが、今日も紹介したいと思います。入っていいぞ」
転入生――
俺は、もしかしたら神様が……と意味のない期待をいていた。バカだとか、思われてもいいから、と。
引き戸がガラッと開く。
「えっと、では紹介頼むぞ」
わかってはいたが、全然違う人だった。そりゃそうだ。と俺は外に向かって、溜め息をついた。
転入生の女子は明るい人で、すぐにクラスに馴染んでいた。
正直、どうでもいい。
俺は、授業を淡々と進めながら、雨模様を眺めていた。
いつも通りの学校風景と、以前の俺の日常がそこにあった。
まるで楽しくもない一週間。一度味わったら癖になって、他のものを食べなくなる動物のように俺は、あの時の日常を欲していた。
今日、部室に真子ちゃんと絢さんが来る予定ではある。
でも以前のような楽しくなるのかは不安だ……。俺に神様の代わりは務まるとも思えない。本当に俺は昨日、絢さんに言われたように変われたの……かな。
授業も何事もなく終わり、俺はさっさと帰りの支度も済ませて、部室に向かおうとした時、
「おい、ちょっと春島、まて」
立ちあがった俺に、となりの席の女子が呼びとめた。
「な、なに……花野さん……」
「なに、じゃないっつうの。ちょっと話があるんだけど」
前の席の内山さんに「先行っててよ、ワタシこいつに言わないといけないことがあるし」と「はいよー、じゃあ昇降口にいるからー」と先に帰らせた。
「話って……」
「ワタシもさぁー。気乗りはあんまりしないけどさぁー、あんたに聞きたいっつうか、あんたにしか聞けないし」
花野さんが俺のほうにイスを向けて足を組んで、にらみを利かせて話す。
「あんた、あの神様……だっけ? あれと部活やってんだって、ワタシさぁー。あれが、大っ嫌いだからさぁー」
花野さんが俺にニヤリと笑う。
俺は唾を飲んで、喉を鳴らす。
「ワタシさぁー、あれが来るまでさ、あんたの悪口言ってたの、知ってた? まあ知るわけないよね、あんた、いつも窓側見てるし」
俺はくちびるに力をいれる。
「なあにー? 衝撃~みたいな? べつにあんたはワタシらに好かれたいとか、思ったことないでしょー? それならいいじゃん」
「…………」
たしかにその通りである。みんなに好かれたい願望なんて、持ったこともない。
「ワタシさー、席決めで、この席になった時さぁ~、マジで吐きたくなったんだけどさぁ~、まあ~舞瑚の後ろだしー、そんなに不満はない~っていえばそうなんだけどさ~」
俯く俺を後ろ目に、ベラベラしゃべる花野さん。そんな時に、思いがけない言葉が投げかけられた。
「それはいいとしてー、名前なんだったっけ? えーっと、けーおーぶーだっけ? それをさ、ワタシ潰そうと思ってんの。理由~? そんなの~ワタシが気に食わないからー」
KO部を……潰す? マジで言ってんのか? いや、ハッタリに決まってる。だって、一般生徒が部活の云々を決められるはずが……。
「あれ~? 信じてない~? あれ? 知らないのー、ワタシ、学園長の孫だしー」
「じゃ、じゃあ……」
「そー、部活の生存は~ワタシのひと声で大抵決まるしー。あんたたちの部活~資料見たけど、ただの娯楽部みたいだし、ちょろいし」
俺が顔を「くっ……」としかめると。
「なぁにぃ~? 悔しいのー。それもそっかぁー、あんたいつも独りだし、あんたにとって、唯一の~憩いの場ってやつぅ?」
「そ、そうだよ……」
俺は苦し紛れにそうとしか言えなかった。
今、俺たちの居場所が奪われそうになっているのに、反抗一つできていないのだから。
「ちょうどいいじゃーん。あれも来るかわかんないんだしさぁ、今のうちにー潰していてもさ~、誰も文句なんて言わないってー」
「…………」
「じゃあ、今日限りでえー」
ばたん、
「ふざけるなよ……」
「なに? 文句だけなら聞かないし」
俺のイスを倒す音に教室内が一瞬にして、ざわついた。
でも、止めるような生徒は一人もいない。
「花野さんにとっては、たしかにただの娯楽部にしか見えないし、実質そうだ……。学校にとっても、不要物なのも、他の誰でもない、神様が一番わかっているはずだ。でもな…………学園長だろうと、その孫だろうと、俺たちの幸せを取り上げる権限なんて……」
俺は身体が勝手に動いた。俺の行動は教室をさらにざわつかせた。
俺は花野さんの胸ぐらを掴み上げた。
「一滴たりともないんだよ!」
大声を張り上げたところで俺は、熱が一気に冷めて、掴んでいた手を急いでどかした。
「ご、ごめん……つい……」
「ふん。な~んだ、あんた怒れんじゃーん。普通に驚いたし」
「え?」
花野さんの言っていることが、すぐにはわからなかった。
「あんた、あれが転入してきた時、ワタシらがずっとあれについて、色々悪口を言って挑発してんのにー、あんたずっと無視してるし『あ~あ、やっぱり』ってさあ、思ってたわけー」
「あの……なに言って……」
「まだわかんないの~。ワタシらの悪口、あれに頼まれたの『わざと妾の悪口を言ってくれ』ってさー」
「なんのために……」
「そんなの知らないし、あんたが情けないからじゃないのー。その代わりにワタシの愛猫を必死に捜してきてくれたしー、あれに一応、感謝だけはしてるし」
「じゃ、じゃあ、転入の日に休み時間ごとにどっか行ってたのは……」
「そう、ワタシの猫捜してたの。おかげで昼休みの時間に見つけてきてくれた時は、マジ感謝したしー」
汗をかいて、十分間の短いあいだの休憩でそんなことが……。
俺は知らないことだらけだな。
「あと、これ。あれに預かったんだけど、はい。じゃあワタシぃ舞瑚またせてるし」
俺の机に一枚の紙切れを置いて、さっさと花野さんは教室からでていった。
折りたたんである紙切れを広げると、こう書かれていた。
色褪せない、二人で見た初めての景色
俺はようやく気づいた。
俺はざわつきをなくした教室をあとにしようとすると、また声をかけられた。
「桜太くん……」
「真子ちゃん……明日、必ず四人でトランプをしよう」
背中越しでもわかるほどに、今、真子ちゃんは俯いているはず、しばらくして真子ちゃんが、
「うん……必ず、だよ……」
それだけを聞いて、俺は歩みの足を強くした。




