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一幕 広本真子

 放課後。

 部室の窓際の後ろのほうにイスを置いて、俺はただ座っていた。

 がれきのように積み重ねられた机とイスに背中を預けて、そこから見える景色に目を通す。

 裏庭のため、とくに人もいないし、面白いものも見えない殺風景がただ広がっている。

 神様がいなくなって一週間。

 次の日に真子ちゃん、絢さんに話すと、云々言わずに納得してくれた。姉貴は膝から崩れ落ちて、それ以来一言も口を利いていない。

 先生には、海外に一時帰国しているとウソをついているが、なんでそんなウソをついたのかは、今の俺にはわかり知れないし、いつまでも騙せるなんて思ってもいない。

 俺は今のところ、毎日こうして部室に顔はだしてはいるが、遊園地に行った次の日から俺以外、誰も来ていない。

 青春の三歩目を踏みこんだところに、二歩とは言わず、誰かにおまけでもう一歩下げられた気もする。

 この空気に浸っていても仕方がないと、思った俺はカバンを肩にかけて立ちあがり、部室をあとにする。

 部室の戸締まりを済ませて、引き戸もしっかり閉めて。ふと、壁側に寄りかかっている人に気がついた。

「お、桜太くん」

「ま、真子ちゃん…………」

 それだけをして、俺は真子ちゃんから視線をそらして、前を通りすぎようとする。理由なんてわからない。でも、今は…………、

「は、ちょっとお話……しない?」

 俺は顔だけ振り返った。

「渡したいものが、あるんだけど、いい……かな?」

 真子ちゃんは俺を見ず、下の廊下を見ている。

 渡したいもの――。俺には推測はできない。

「う、うん……でもここじゃ、あれだから部室にしない?」

 俺は引き返して、カギのかかっていない部室に入って、机を二つ用意して、向かいあわせに座った。

「こ、これ、早麻ちゃんに……預かったんだ」

 真子ちゃんはカバンから一枚の紙を取りだして、机に置く。

「神様から?」

「うん、読んでみて」

 俺は折りたたんである紙を手に取り、広げて読む。

 改めてみる神様の字。非常に読みやすい字。少し子供っぽい感じもする。


  桜太へ

 桜太がこれを読むことになったということは、妾がそこの世界からいなくなった。ということになるのじゃろう。

 じゃが、心配することではない。妾がいつまでも桜太を見守っていることには、なんら変わりないのじゃ。じゃから、絶対に泣いてはならんぞ!


 では、本題に移ろうか。

 桜太は覚えているか? 前に妾が『運命を変えることは許されない』と言ったことを。

 桜太なら覚えているじゃろうから、それを前提にして話を進めるぞ。

もしもそうだとすれば桜太は必ず、トラックに轢かれるはずだったのではないのか。と考えるのが、妾の予想としては妥当じゃろう。

 じゃが、それは絶対にない。妾が断言する。絶対じゃ!

 これは失敗でも、罰でもないのじゃ。

 妾が。桜太が。真子が。絢が。世界が。望んだ最高の運命でもないのも、十分に承知もしておる。少しの歪みが痛みがためらいが。誰にも想像できなかった、未来を生むことはよくあることじゃ。

 桜太よ。お主に課題を用意しておいた。でも、無理にすることはないからな。

 では、また一緒にラーメンでも食べたいな。


 あいつ…………らしいな。

 最高の未来……か……。

 ……あれ?

 俺は一番下にまだ文章が残ってあることに気づいた。


 P・S ベッドのすみに


 なんだ、これ?

 家に帰ったら、調べてみよう……かな。

「ど、どう……だった?」

「え? ああ、神様らしい……手紙だったよ。あの……真子ちゃんも読む?」

 これに真子ちゃんは顔を横に振った。

「その手紙は、桜太くんに贈った早麻ちゃんからの手紙だよ。だから、わたしが読むわけにはいかないよ」

「俺はべつ……」

「ううん。これで渡すものは終わったね。あとは、話しておかないといけないことも、あるんだ」

「話?」

「うん。桜太くんも知りたいでしょ、わたしが早麻ちゃんと……一緒に部活を創って、入部をした。本当の……理由」

「本当の……理由……」

 真子ちゃんが前に言っていた『楽しそうだから』と違う。もう一つの……理由。

「あ、でも……前に言ったのも本心……なんだよ……それだけは、わかってほしい……」

「わかってる。真子ちゃんはそんなウソ……絶対に言わない、って信じてるから」

「あ、ありがとう……」

 前に俺は、こんな台詞を真子ちゃんに言われたのを、ひそかに思いだしてもいた。

 真子ちゃんは一回、深呼吸をして、息を整えて、こほん、と咳をする。

「わたしと早麻ちゃんが出会ったのが、登校中だったのは、言ったよね?」

「うん、覚えてる」

「そこで早麻ちゃんが、いきなりわたしの前に立ってこう言ったの『あんた、春島桜太っていう男、知ってる?』て、だからわたしはもちろん知ってるよ、って答えたんだけど次に『そう、あたし花野美咲の妹の椿って言うの、突然ですまないんだけど、あんた、春島のことどう思ってんの?』って、わたしは……」

 俺はびくびくして、無意識のうちに次の言葉になぜか、耳を塞ぎたくなる気持ちになった。悪いイメージを想像しているわけでもないのに……。

 だから俺は、すべて知りたいから、だから黙って真子ちゃんからせめて視線をそらさないようにした。

「春島くんのこと、なにも知らないよ、話したことも挨拶だってしたこともない。けど、きっと……このまま、春島くんはクラスの中で、孤独した存在のまま終わってしまうんだろうなって、ひどいけど……わたしも……多分そうだよ。ってわたしは、答えたんだ」

 そのあとに真子ちゃんは俺に、ごめんね……、って顔を俯かせて隠した。

 だから俺は急いで「気にしてないよ」と言おうとした。でも、喉まできたこの言葉を無理やり呑みこんだ。

「真子ちゃんの……言うとおりだと、思うよ……だから、謝る必要なんてない。現に俺は神様に頼ってばっかりで、今こうして真子ちゃんと話せるのも神様のおかげであって、俺が暇をしてないのも、外出して遊びに行けたのも、全部、神様のおかげだからさ……」

「そんなこと……ないと、思うよ」

「え?」

 真子ちゃんの目尻にしずくが溜まっていた。

「だって……神様はそのあとに『なら、部活を創ろう。そこでいっぱい遊ぶんじゃ。どうじゃ? これならきっと楽しいぞ』って、わたし、びっくりした。そのあとに神様だ、とか全部、わたしには必要なかった。だって…………」

 さっき謝った時にでてきた涙が、口を動かした時の振動で机の上にぽとりぽとりと一滴ずつ落ちて、水たまりを作る。

 俺は急いでカバンから、常備しているタオルを渡す。

「こ、これ……洗って返すね」

「い、いつでもいいから」

 真子ちゃんの、ありがとう、本当に優しいんだね、という言葉に俺は重みを知った。

 俺は、本当に優しいのかな、その疑問は俺には程遠い意味だった。

「わたし、入学式の日もすごい緊張してた。知らない人ばかりの高校に入学したことを後悔するぐらいに、ああやっぱり、レベルを下げてあっちに行けばよかった、とか思ってたんだ。でも……ホームルームの時にね。わたしと同じように、一人で帰っている男の子がいたんだ」

 俺はその話にピクン、と身体が反応した。

「それって……」

「うん……桜太くんだよ。わたし、席後ろだったから」

 春島、広本、たしかに名前順で真子ちゃんは俺の次だ。もちろん俺はその時に名前だけ覚えたんだ。

 今と変わらない髪形。桜色のくちびる。クリっとした目。おどおどとした仕草。

 自己紹介の時もうまくしゃべることのできない子だな、と印象を受けたことを今、思いだした。

「俺は、誰にも声をかけてもらえなくて、そのまま、落ちこんで帰ったな……」

「わたしは……いろんな子に話しかけたんだ、でも……みんなその場しのぎの言葉で、なんていうのかな、社交辞令……かな。わたしもずっと独り……だったよ」

「で、でも……真子ちゃん、いろんな女の子と、話してなかった?」

「あ、あれは……ノート写させて、とかだよ……」

 成績が良い人によくあることだ。なんだか、思いがけない新事実でもある。

「じゃなくてね。えっと……その日にね。わたし、桜太くんに……話しかけようと思ってたんだ、だけどわたし……緊張して上がっちゃったんだ、それから、ずっと引きずってた、そんなところに、早麻ちゃんと……会ったんだ」

 意外、予想外、想定外、そんな言葉より先に俺の頭を埋め尽くす言葉があった。


 俺に――――話しかけようとした人がいたこと。


 俺は嬉しくなった。

「お、桜太くん、ど、ど、どうしたの?」

「え?」

 手で目元を拭った。

 冷たい感触。そうこれは。

 ――嬉し涙。

「ははは、俺……情けないな、なに泣いてんだろうな」

「そんなこと、ないよ。人間で泣かない人なんて、いないもん」

 俺は制服の袖で涙を拭った。

 俺は……。

「話は……これで終わりだよ。あとこれも神様に預かったんだ、受け取って」

 真子ちゃんはカバンから、一枚のCDケースを俺にさしだす。

「なにこれ?」

 俺は手に持って、なにも書かれていないケースの表裏を調べたが、いたって普通に売られている市販のCDケースだった。

 ケースをカバンに入れて、立ちあがった。

「あ、ありがとう、色々、吹っ切れた気がする」

 真子ちゃんにそう言って、部室をあとにしようとする。

「まって!」

 引き戸に手をかけていた手を離して、俺は振り返った。

「な、なに?」

「髪、切らない?」

「え?」




 真子ちゃんはカバンとは、べつの袋を部室の後ろにあるロッカーに隠していたようで、その袋から、様々な散髪に必要な道具が一式ごと入っていた。

 それを手際よく、俺にセットして、てるてる坊主みたいにする。床にはもちろんのこと、新聞紙を敷いている。

 イスに座り、真子ちゃんに背を向ける。

「散髪、できるんだ」

「うん、わたしの家、美容室やってるから」

 そ、そうなんだ、と答えると「うん、じゃあ、始めるね」と言って、髪をスプレーの水で濡らす。

 そこに、チリン、と聞き覚えのある鈴の音が俺の耳を刺激した。

 俺はさっと、顔だけ振り返るとやはり、あのキーホルダーがあった。

「そこにつけてるんだ……それ……」

「あ……これ? うん、しまっておくのもなんか悪いかなって、ここにつけたんだ」

 黄色のエプロンの肩かけ部分につけられたマイクのキーホルダー。真子ちゃんが動くたびにチリン、と音を奏でている。

「じゃあ、本当に始めるね」

 二度目の合図。水で髪をほぐしてから、慣れた手つきではさみを持って、後ろ髪からカットし始める。

「う、うまいね」

 素人目からのコメントだが、俺としての価値観だ。決してお世辞ではない。

「ありがとう……わたし、卒業したら美容学校に行って実家を継ぐのが、夢なんだ」

「なれるよ……」

「そうかな……」

「きっと、なれるよ、真子ちゃんなら……俺が保証する」

「あ、ありがとう……がんばるよ」

 真子ちゃんには立派な夢がある。俺は、なにをしたいんだろう。

「桜太くんは、なにか将来の夢とか、あるの?」

「俺?」

「あっ……ごめん……無理に、答えなくていいから」

 鏡のない部屋、だから後ろで真子ちゃんがどんな表情をしているか、わからない。わかるのは、はさみの音と向きを変える時の足音と鈴の音だけ。

「いや、謝らなくていいって、その……俺、なりたい職業とか憧れてる仕事とか、ないからさ、正直……真子ちゃんが羨ましいんだ」

 俺は、ははは、と小さく笑う。

 今、真子ちゃんがどんな表情をしているのか、想像もつかない。

「それなら――桜太くんも美容師になったら、いいよ。そしたら……」

「それって……」

「ふえ⁉ ふ、深い意味は……ないんだよ。うん。きょ、興味があったら……教えてあげられるし、うん……」

 真子ちゃんのはさみを切る速度が、少し速くなった気がした。

 なぜ、あわてているのかは、不明である。

「なにやってんだろ……わたしのバカ……」

 真子ちゃんが小さい声でなにかを呟いた。

「えっと、なにか言った?」

「な、なな、なんでもないよ……それより、前髪……どうする?」

 真子ちゃんが、俺の顔の前に現れる。若干、顔が赤くなっている。

「いいよ、このままで十分短いと思うから」

「そ、そうだね。なら確認だけしてみて」

 真子ちゃんから手鏡を渡される。ピンクのシンプルな鏡だ。

 自分の顔をじっくり見ることはあまりない。

 イカしてる、とは言わないが、ボサボサしていた髪がスッキリしていた。

「うん、ありがとう、真子ちゃん」とお礼をして、散髪ケープをはずす。

 立ち上がって、頭に残っている髪を払い落す。けっこうでてくる。

 真子ちゃんは道具を片づけていた。

「手伝うよ」

「いいよ、いいよ。あと、新聞紙をたたむだけだから」

 真子ちゃんは俺のカバンを持って、それを俺の胸に押しつける。

「でも、悪いし……」

「本当にいいよ、これくらい一人でできないと一人前の美容師にはなれないから」

 真子ちゃんは俺の背中を押して、部室から廊下に追いだす。

「そ、そっか、そうだよな……じゃあ、また明日、あと……ほんとにありがとう、感謝するよ」

 俺は歩きだしてから、最後に一回だけ振り返ると真子ちゃんは、はにかんでいた。




 廊下を抜けて昇降口にたどり着くと、小田先生がクツから校内用サンダルに履き替えていた。

「どこか、行ってたんですか?」

「あ、春島くん。ちょっと用事で。それより一つ先生、聞きたいことがあるんです」

「なんですか?」

「神代さんのことです」

「え?」

「本当に神代さんは、帰国をしてるんですか?」

「先生、まさか……疑ってるんですか?」

 疑うもなにも、俺は本当にウソをついている。でもなんで先生は疑い始めたのかが、不思議でならなかった。

「疑ってます。ですからこうして春島くんに聞いているんです」

「しょ、正直ですね先生……ほかの生徒だったら、クビになりますよ……」

 前々から、言いたいことをビシッと言う先生ではあったが、ここまでとは。

「それはそうとして、本当になにも隠してないんですか?」

 俺はためらった。言っていいのかを。でも、

「…………先生は信じますか? 俺が今から言うことを」

「先生は、ウソを言っていない生徒のことなら信じます。たとえどんなありえない話でも」

 先生は腕組みをして、整えられた眉一つ動かないまま、堂々と宣言した。妙にカッコいいな、と思う。先生ならと俺は――


「じつは――」


 すべての経緯だけを先生に赤裸々に明かした。

 神様のこと。俺を助けてくれたことを全部。

「どうですか? 信じ……ますか……」

 小田先生は、俺の目をじっと見て、にっと笑って、

「そういうこと。わかったわ、ありがとう、話してくれて、あとは……先生にまかせて」

 俺は「?」となる。なんだろうと、最後の言葉が気になった。

 先生は廊下をぱたんぱたん、と音を立てて、去っていった。


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