忍びと女子高生な主様
忍者。
諜報、暗殺などの他、火薬、薬学など様々な技能を有するスペシャリストである。
忍者の歴史は古く、聖徳太子の〈一度に十人の言葉を聞き分けた〉という逸話は、〈実は忍者を用いていた事を示す〉などという説もあるほどだ。
忍者が最も活躍したのは室町から江戸時代であり、それ以降は衰退し、歴史の闇にひっそりと消え去っていった――のは偽りである。
第二次世界大戦の敗戦国となった日本がGHQの管理下に置かれ、その後に独立を果たすまでの裏側で、忍者の活躍があった。
彼らの活躍――特に〈横浜事変〉においてのそれが、後の講和条約締結を早めるのに一役買ったという話は実に有名である。
さて、長い時の流れの中で、忍者という存在もまた、形を変えていった。
影に潜むことから表の世界へ。〈ニンジャ イズ ワールドスタンダード〉を合言葉に世界に進出。その技量は注目の的となる。
同時に、日本政府は公式に忍者養成を開始。表に出るものとは別に今迄通り〈裏方〉で活躍する忍者の育成に力を注ぐ。これは国際社会においてスパイ天国と揶揄されることを危惧してのことだった。
忍者は海外においては諜報員。国内においては公安組織としての役割を担うこととなり、その価値は否応なく高まっていく。
そして現在。S県にある地方都市――その名も〈不忍市〉。日本唯一の〈忍者養成都市〉であるこの街が物語の舞台となる。
◇ ◇ ◇
私――真田彩良は、ごく普通の女子高生である。
私が通っているのはごく普通の公立校で、部活は合気道部に所属している。自慢じゃないが、段位も持っている。
成績は中の上辺りを行ったり来たり。友人関係も……多分、悪くない筈。友達は多くはないが、親友がいるのだから……うん。悪くない、悪くない。
さて、そんな普通な私は今、普通に授業を終え、普通に掃除をし、部活が休みなので普通に帰宅するところである。
「あれ、真田さん。今日は帰るの?」
「っ……!?」
唐突に掛けられた声に、私はビックリして振り返った。だってそこにいたのはサッカー部のエースにして、女子人気ナンバーワンの武田信一君だったからだ。
「えっと、うん……今日は顧問の徳田先生が居ないから、部活休みなんだ。武田君は……部活だよね。もうすぐ練習試合だっけ?」
「うん。相手は国立にも行った強豪だからね。練習にも気合が入るよ」
「そっか。練習頑張ってね。試合も応援に行くから」
「ありがとう。それじゃ」
武田君は軽く手を上げて走って行ってしまった。ああいう仕草が様になっちゃう辺りが格好良いんだよね。女子人気高いの分かるわぁ。かく言う私も、その一人なわけだけど。
『彩良殿。一人で何をぶつくさ言っているのだ?』
………。今のは幻聴。私の耳には何も聞こえなかったわ。さーて、今日はいつも買ってる雑誌の最新号が出る日ね。忘れないように買っておかないと。
『彩良殿。その雑誌は今週、合併号にて休みだった筈だが?』
………。幻聴幻聴。そういえば合併号だったわね。危ない危ない。無駄足を踏むところだったわ。
『……彩良殿。夜の間食は控えた方が宜しいぞ。この間も体重が1キロ』
「うっさい黙れ! 出歯亀かあんたは!? ……はっ?」
しまった……。ここは下校途中に通る駅前通り。私は恐る恐る周りに視線を動かした。
ざわざわ……。
うっわぁ、周囲の視線はこちらに注がれている。こらそこ、ひそひそと「若いのに可哀想に」とか言うな! あぁもう! 居た堪れない!!
「えっと……あはは……」
こういう時は逃げるが勝ち! 私は笑ってごまかし、一気に駆け出した。
『彩良殿。町中での突然の大声は、自重されたほうが良いかと思うが?』
「うっさい! 誰のせいよ誰の!?」
私は足を止めないまま、上に向かって叫んだ。果たしてそこには、黒い人影があった。影は走る私に音も無く、ピッタリと付いてきている。
「――おい、真田! 今日こそ俺と」
「るっさい邪魔!」
「うごあぁ!?」
眼の前にいきなり出てくるな! こっちは一秒でも早くここを去りたいんだから!
邪魔な何かを投げ飛ばし、私は一目散に駆け抜けた。
『彩良殿。出会い頭に投げ飛ばすのはどうかと思うぞ? いや、いつもいつも懲りずに出て来る間藤某もどうかと思うが』
え? 今の間藤だったの? バカでかい人形かと思ったわ。
そんなどうでもいい事はさっさと視界の隅に追いやって、私は駅に駆け込むのだった。
普通の女子高生である私が唯一、普通とは違うこと。それはこの影――”乱蔵”という忍者の主人になってしまった事である。
私が住んでいるこの不忍市では、忍者育成なんて事を行なっているらしい。”らしい”というのは、実際にそういう場を見たことがないのと、忍者の”仮主”になったのが誰なのかは秘密になっているからだ。
仮主というのは、忍者の実地研修で実際に仕える人のこと。無作為に選ばれた候補者から、お役所が選定するらしい。
何にせよ、私には関係ない事だ。そう思っていた。……高校に入るあの日までは。
◇ ◇ ◇
「……は? お父さん、今なんて言った?」
「だから、今日からお前に、忍者が付くことになったから。乱蔵君、挨拶を」
「御意」
唐突過ぎる話に思考停止する私を尻目に、突然影が降りてくる。
覆面に忍装束。腰には刀。何処からどう見ても忍者だった。もう、これでもかって程にお手本まんまな忍者スタイルだった。
「ちょ、ちょっと待って。どうして私に忍者? そういうのって、役所から通知とか面接とかあるんじゃないの?」
「まぁ、普通はそうなんだけどね。ウチはひい爺さんの代からから、忍者の主人になっているんだよ。父さんだって彩良ぐらいの時に主人になったんだぞ?」
「そんなバカな……」
忍者の主人って……相当に面倒くさい気配しかしないですけど!?
「そういう事で宜しく頼む、主よ」
そう言って、ビシっとサムズ・アップする乱蔵。……なんだろう、今すぐにでも切腹を命令したいんだけど。
「あぁ、主。拙者は理不尽な命令には従わなくて良い事になっているので、そのつもりでいて欲しい」
……。忍者の主って、クーリングオフ効かないかなぁ。
「それと、もう一つ。拙者が主に仕えるのは高校を卒業するまでの間――つまり三年間。それが過ぎれば拙者は里へと帰る事になっている」
「……つまり、大事な青春の一時期を、あんたみたいな不審者の世話をしなきゃならんの!?」
「主よ。二つ訂正させて貰いたい。まず一つ。拙者は不審者ではない。二つ。忍者はペットではない。故に世話という単語には語弊がある」
「うっさいわ! 今すぐ里とやらに帰れーっ!!」
「断固、断らせてもらう」
フン。とでもいう感じに胸を張る乱蔵。私はテーブルにあった湯のみ(中身入り)を掴んでぶん投げた!
「おっと」
乱蔵の手が事も無げに湯のみを受け止め、更に素早く動かされて、零れる筈だったお茶を全部湯のみの中に収めてしまった。
「な……なっ……!?」
「どうした主よ? この程度で驚いていては忍者の主は務まらんぞ? ……あぁ。だから先程から何のかんのと主になることを拒んでいるのか。なるほど。忍びに臆する気持ち、分からんでもない」
なっ!? 私が臆して……ビビっているって!? 冗談じゃないわ! 何で私が忍者の一匹や二匹にビビんなきゃならないのよ
!!
「ふざけないで! 忍者なんか怖くないわよ! 上等じゃない、アンタのご主人様になってやろうじゃないのよ!!」
………。この時ほど、自分の言葉を悔やんだことは無かった。
◇ ◇ ◇
自宅に帰って夕食の時間だ。私の向かいには父――幸宏と母――流兎が座っている。
「はい、あなた」
「あぁ、ありがとう」
ご飯をよそい、お父さんに渡す。それだけなのに、何故か背景がピンク色だ。
「流兎さん。醤油を取ってくれるかな?」
「はい、どうぞ」
「ありがとう。いやぁ、今日も流兎さんのご飯は美味しいねぇ。特にこの煮付けは絶品だよ」
「もう、いやだわ。いつもそんな事ばっかり言うんだから」
「だって、しょうがないじゃないか。本当の事なんだから」
……おかしいなぁ。焼き塩鮭がすっごく甘いんだぁ。というか、目の前から花びらやらハートやらが飛んできて味噌汁がすっかり埋まっているんですよ。えぇ、幻ですよ、もちろん。
この夫婦はいつもこうだ。齢十六の娘がいるくせに、新婚気分が抜けないというか……むしろ悪化の一途をたどっているような?
そもそも、お父さんは歳相応に老けていると思う。でもお腹は出ていないし、加齢臭もあんまりない気がする。……話がそれた。お父さんはいい。問題はお母さんの方だ。
私の歳を考えれば、どう少なく見積もっても三十は超えている筈だ。だが……。
「あら。彩良ってばどうしたの? 人の顔じっと見て?」
小首を傾げるお母さん。目元の泣きぼくろがなんとも……。
若い。若過ぎる。娘の目から見ても若過ぎる。どう見たって二十代前半だ。参考までに言うと、お父さんと結婚した時の写真を見たことがあるが、その時と何一つ変わっていない。そう言えば分かって頂けることだろう。
こんな珍妙不可思議な両親だからこそ、忍者が代々仕えに来るのかなぁ。なんて事を考えたりしながら、ハートと花びらの浮いた味噌汁をすすった。やはり甘い。
私は目の前の現実から、物理的に目をそらした。隣にはもう一人分の食事が用意してある。私に兄弟はいない以上、言うまでもない。乱蔵の分だ。
乱蔵は食事の時に姿を見せない。食べる時に覆面を外さないといけない=素顔を晒してしまうのは忍者失格。ということらしい。
そう言われるとますます気になるのだが……今は別の事が気になる。
「……減ってる」
そう。ご飯が、味噌汁が、おかずが順当に減っているのだ。以前は隣に座っていたので素顔を見てやろうとずっと見張っていたのだが、最近はそれすら無い。なのにご飯はしっかりと減っているのだ。
「こら、彩良。さっさと食べなさい」
「あっ、うん」
お父さんに怒られてしまった。私は取り敢えず、自分の方を片付け始める。しかし気になるのでチラリと見る。ご飯が無くなってた。
「乱蔵くん、おかわりは?」
「はっ。お願いします」
お母さんはそれこそ何事もないかのように普通に茶碗を取って、ご飯をついだ。そしてそれをまた、元の場所に置く。
………。お父さんは忍者がいたから分かるけど、どうしてお母さんはこうも普通にしていられるんだろうか? 乱蔵が来た最初から、お母さんは何も驚いたりしなかったな。
もしかして、お母さんも忍者に仕えられていたことがあったんだろうか? でも、聞いても答えてくれないだろうしなぁ。
結局、今日もまた謎が増えただけの夕食だった。
夕食を終え、お風呂にも入って、今はまったりと自室に居る。
すっかりホコホコとなった私は、髪を拭くのもそこそこに、日課の柔軟運動を行なっていた。
「彩良殿。御母堂様より飲み物を預かってきた。ここに置いておくぞ」
「うん。ありがと」
そして、いつもの如く乱蔵は部屋に音も無く入ってくる。以前は忍者らしくシュバッと出てきていたが、今は普通にドアからだ。
とは言え、音がないのは同じなので、慣れるまでは心臓に悪かった。
「ところで彩良殿」
「な~に~?」
ベタッと体を倒しながら、私は返す。
「このラブレターはいつ頃、武田某に渡すつもりか?」
「ぶはっ!?」
顔を上げれば、乱蔵の手の中には……わ、わわわわわ! 私の書いたラブレターがぁ!?
「こら! 何でアンタがそれ持ってんのよ!?」
私は慌てて手紙を取り返そうとした。しかし伸ばした手をスルリと躱して天井に張り付き、このバカ忍者は手紙の封を開けやがった!
「なになに……『初めて会ったその日から、私の心には貴方がフル満開。毎日が桜色の夢心地な日々に小さな胸は苦しいばかりです。この想いをどうやってあの空に解き放ったらいいの?』……?」
「うわぁあああああああああああああああああああああああっ! 読むな! 聞くな! 今すぐ返せ、忘れろぉおおおおおおお!」
「いや……彩良殿。これは流石に出すべき代物ではないぞ?」
「こ、このバカ忍者……! 三日三晩必死に考えた傑作を一言で……!」
「いや、本当に一言で言うなら”駄文”。これに尽きる」
「本気で一言に纏めやがった……! 何よ! 人の努力にケチつける気!?」
「いやいや。そんな事はない。ただ……あれだ。えっと……そう……」
乱蔵は手紙を畳みながら、視線を泳がせる。これほど動揺するこいつを見るのも珍しいものだ。それが自分の力作だというのは非常に不本意だが。
「まぁ、熱意と本気はよく伝わる気がするぞ? ただ、その脳内満開のお花畑っぷりが痛々しくて見ていられなくて、即行ブラウザバックも辞さないってぐらいですかね?」
「よし分かったわ。アンタを素敵なお花畑に送ってやるからちょっと降りて来なさい。そしてそのままその先にある川を渡ってくると良いわ」
「生憎と彼岸に行く予定はまだ先なのでな、遠慮する」
ははは。アンタの意志とか予定とかどうでもいいのよ。手紙を返して彼岸に行くか。返さないで冥府に落ちるか選びなさい。
「それより、武田某の試合は明後日であったが……予定通り、その日に告白をするのか?」
「えぇ。その手紙を渡して、私の気持ちをはっきりと伝えるのよ!」
そのために、必死に考えたんだから。
「まぁ、この手紙は失敗する要素100%なので預かるとして……」
……て、こら! 懐にしまうな! 返せ!!
「古来より、告白は面と向かって己の言葉でするものと決まっている。ということで、これを」
何? 乱蔵が私に四つ折りの紙片を投げて渡した。
「練習試合の行われる隣町に、大きい公園がある。其処はちょうど夕方、人通りが少なくなって雰囲気が良い。告白するにはうってつけだろう」
「……あんた。いつの間にリサーチしてんのよ」
この忍者は人の言うことは聞かんくせに、勝手にフラフラと何やってんのよ。
しかし、乱蔵の言うことにも一理ある。やはり告白といえば直接するのが王道。……まぁ、勇気がいるけど。しかし、其処は女は度胸! 今から手紙を書き直す気力もないし、かといって、乱蔵からラブレターを取り返せる気もしないし。
ということで、運命の日。私の青春を賭けた決戦が始まるのだった。
◇ ◇ ◇
「あー、くそっ! 真田のヤロォ……いきなりぶん投げやがって!」
ファミレス店内に苛立ちの声が響く。声の主の周りには十人ばかりが集まって、呆れ気味に男を見ていた。
「間藤さぁん。いい加減に諦めましょうよぉ。ていうか、あんな女の何がいいんですかぁ?」
「うるせぇ! 俺がこだわって何が悪い!」
「テツ、やめろ。言ったところで無駄だ」
間藤が彩良に拘るきっかけになったのは、本当に些細な事だった。
町でいつものように気に入らない他チームをぶっ飛ばしていた際、やり過ぎだと止めに入ったのが彩良だった。
だが、そんな言葉を聞く筈もない。逆に間藤は彩良に手を伸ばした。
しかし、彩良はそんな間桐をあっさりとぶん投げ、間桐はそのまま気絶させられてしまった。
そんな屈辱を味合わされて以来、間藤は彩良に事あるごとにちょっかいを掛けるようになった。
その様は、仲間から見ても女の尻を追いかけているようにしか見えない。何とか止めさせたくても、この通りである。
見た目はチーマーな連中ではあるが、その気苦労はサラリーマンとどっこいかもしれない。
◇ ◇ ◇
「だぁああああああ! 遅刻だぁあああ!」
まさか大事な決戦の日に遅刻とかまじであり得ない! 目覚ましかけてたのに、無意識に止めて二度寝とか笑えないんですけど!?
「真田ぁ! 今日こそは俺t――」
「邪魔だこらぁ!!」
「たわば!?」
眼の前に現れた障害物を踏みつけ、私は走る。今ならまだ、ギリギリで試合開始に間に合うはず!
『彩良殿。いくら急いでいるとはいえ、ぞんざいな扱い過ぎるぞ?』
「うるさいわね。そもそもあんたが起こしてくれてば。そのぞんざいな扱いもなかったのよ!」
『ふむ……しかし、主を起こすのは忍びの仕事ではないからなぁ』
この怠慢忍者! もっと主に忠を尽くしなさいよ!
『あぁ、彩良殿。その先の角を左だ』
「左?」
『うむ。このまま駅へ行くより、その先のバス停からバスに乗った方が早い』
「あんた、何でそんなこと知ってるのよ?」
『フフ、情報は命綱だからな。主がいつ遅刻してもいいように、周囲の情報はしっかり調べてあるのだ』
「そういうのはまず、遅刻しないところに力と情熱を傾けなさいよ!!」
『それは主がするべき努力だ。甘やかしは本人のためにならん』
「あーもう! 次はどっち!?」
このバカ忍者はこういう時に限っていつも正論を吐くのだ。無駄に言い合う時間さえ惜しい今、私は歯ぎしりする思いを胸に抑え、道を尋ねた。
『その道を抜けたら、三本先を右だ』
「うわっ……せまい! ちょっと、ここで本当にいいの?」
『大丈夫だ。そこを抜けたら正面の塀を上る』
アホかぁ! 正面の塀を上れとか、馬鹿じゃないの!?
『そうしたらその縁を進んで行き、4つ目を左に曲がるのだ』
くっ……アタシは猫か! しかし、今更引き返す時間も惜しい……こうなったら、人に見られないことを祈るしか無い!!
◇ ◇ ◇
――ワァアアアアアア!
響く歓声。宙を舞うサッカーボール。アリーナで戦う、総勢22名の選手達。
結論から言えば間に合うことは間に合った。ただ……うん、色々と失くしちゃった気がするなぁ。
塀を走ってるところとか、屋根の上に上るところとか……さ。うん。察して?
『いやぁ、流石は我が”りさーち”。試合開始ピッタシとは正に神業』
………。どつきたい、この忍者。それは後で実行するとして、ともかく試合だ。
相手の高校は国立にも行ったことのある強豪というだけあって、攻撃、防御に高い練度で、うちの学校は常に攻められ続けていた。
しかし、最初からそれを理解していたのだろう。一瞬の隙を突いて、カウンターが走る。
「武田!」
DFの選手が大きくボールを蹴りだす。センターラインを越え、一気に前線の武田くんにボールが届いた! そのまま一気にドリブルで敵陣を切り裂いていく武田くん! 一人、二人と躱していく! やばい! 超かっこいい!!
「「「「キャーーーーーーーッ!」」」」
周りからも黄色い歓声が響く。こら、あんたらは敵チームの応援でしょうが!
『……ミーハーここに極まれり、か』
なんか乱蔵が言ったけど、聞こえなーい。武田くんはボールを敵DFの股の下に潜らせ、一気に抜き去った。そしてゴール右隅に向かって、強烈なシュートを放った!
◇ ◇ ◇
夕暮れの公園。私は武田くんと共にいた。広場には噴水があり、静かな水音が響いている。
乱蔵が事前に手配してくれており、話があるからと呼んでおいてくれたのだ。乱蔵は今は近くにいない。出歯亀だと思っているのだろうか? そういう気の回し方をもうちょっと日常でも見せて欲しいのに。
「試合……残念だったね。もうちょっとだったのに」
「いや、仕方ないよ。あそこで逆転されたのは地力の差が出たってことだからね」
結局、試合は2対1でうちの負けだった。武田くんのシュートで一点を取ったものの、すぐさま反撃をくらって失点。後半最後に、もう一点を取られてしまったのだ。
ああいう処で点を取れるのが、強豪たる所以なんだろう。
「それで……話って? あんまり時間ないから、手短で良いかな?」
――来た。しかも手短にと来たか。つまりこれはあれですね、短期決戦。一撃必倒。全力全開な訳ですね。うん、テンパッてるのが分かる。
こういう時、乱蔵がいれば多少緊張も紛れるというのに……いや、これは自分でやらないと行けないんだ。
「あ………あのね」
◇ ◇ ◇
「ふむ……ガンバレ、主よ」
電柱の上、忍び装束を纏った男――乱蔵がいた。公園の入口に『園内工事中につき、立入禁止』という立て看板を置いて人払いを済ませ、今は遠くから、彩良の告白を見守っていた。
乱蔵は懐に手を差し入れ、抜いた。その手には薄汚れた、アニメキャラの描かれたハンカチがあった。
それをしばし眺めていると、遠くから公園の方に向かってくる集団があった。
「おい、本当にこっちに来たんだろうな?」
「間違いないですって。多分、この先の公園にいるんじゃないですかね?」
「あー。あそこって結構なデートスポットらしいですからね~」
「なっ……なんだとぉ!?」
「あ、おい! 余計なことを言うな!」
「間藤某の集団か。やれやれ、厄介な」
乱蔵は軽く跳躍して、電柱から舞い降りた。
「な、何だお前は!?」
集団の前に降りた乱蔵に、驚きの声を上げる集団。
「誰でもいい。ここより先には進めない故、疾く引き返せ」
「んだとぉ……テメェ。その格好ってことは忍者か? 顔も出せねぇ臆病者が俺に指図してんじゃねぇよ」
ずい、と前に出た間藤が乱蔵を睨みつける。一般人なら縮み上がりそうな威圧を、しかし乱蔵は涼しげに受け止める。
「蛮勇を振り翳すことしか出来ないサル山の大将は、威勢だけは一人前だな。もう一度言う。さっさと引き返せ」
「てめぇ……上等だコラァ!」
間藤は思いっきり拳を振るう。が、其処に既に乱蔵の姿はない。一瞬で大きく飛び退いていたのだ。
「チッ。動きだけは速ぇな」
「間藤さん。こんなの無視しましょう。忍者ってのは『一般人に手出ししちゃならない』って決まりがあるんですよ」
集団の一人が言う。手出しできないなら、無視してしまえばいいのだ。口でしか邪魔できないなら、路傍の石と大差ないと。
「ほう。忍びの約定に詳しいようだな。確かにそういう決まりはある……だがな」
乱蔵はその手を背中に伸ばす。其処に収められた忍者刀の柄を握り締め、一気に抜き放った。夕陽を浴びた刃がギラリと光る。
「『ただし、主の利と益を護るためならば、その限りに非ず』と続くのだ」
「「「「っ……!?」」」」
瞬間、ゾクリと冷たいものが間藤たちの背に走った。日のような敵意ではない。氷のように冷たい――鬼気だ。
「今、主は大事な時を迎えている故……此処から先、貴様らの吐息一つ、通す訳には行かぬ」
そして、剣閃が煌めいた。
◇ ◇ ◇
誰もいない公園のベンチ。膝を抱えて私はうずくまっている。
なんていうか……消えたい。
「彩良殿。告白はどうだった?」
……こいつ。空気で察しろよ。
「ふられた。彼女がいるからって……なんか、ちょっと良いとこに通ってて、中学から付き合ってるんだって」
「……そうか。それは残念だったな」
乱蔵はただそれだけ言って、隣に立っていた。噴水の音と風の音だけが、世界に響いている。
こいつはもう……なんでこう。人が弱ってる時とか隣に立つかなぁ。
胸のもやもやは、今にも涙腺から溢れ出しそうで、決壊寸前だ。
「あぁアアアアアアアアああああああああア! 武田のばっきゃろぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
こいつの前でなんて、絶対に泣くもんか。それだったら全部吐き出してやる!
「………よし、スッキリした。乱蔵、帰るわよ」
「……承知」
乱蔵はシュバッと姿を消す。また気づかない様に付いてくるんだろう。
……なんか、帰る途中にボロクズが転がっていたけど……やあねぇ、今日は燃えるゴミの日なのに。
◇ ◇ ◇
今日も今日とて、日常は過ぎていく。
「うわぁあああああ! 遅刻遅刻遅刻!!」
『まったく……あれほど夜更かしするなと言ったのに』
「うっさいわね! だって気になっちゃったんだもん!」
そう。悪いのはあんな映画をやったテレビだ。私は悪くない。
「乱蔵! 笑みまでの近道は!?」
『次の十字路を左に曲がって公園を抜ける。その後、正面の塀を乗り越えて行けば、30分の電車に間に合うはずだ』
うっし! まずは公園だぁ!!
『やれやれ……世話のかかる事だ』
そんなことを言う乱蔵だったけど、心なしか嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか?
私は真田彩良。先日失恋したばかりの、ごく普通の女子高生だ。ただ――ちょっとだけ人とは違うことがある。
それは私が――忍者のご主人様だということだ。
「あら、あなた。お早うございます」
「あぁ……おはよう。やれやれ。やっと仕上がったよ」
幸宏は流兎の入れた珈琲を傾けつつ、深い溜息を吐いた。幸宏の職業は時代劇作家。昨日は〆切で、ぎりぎり滑りこみで原稿が仕上がったばかりであった。
「それにしても……彩良と乱蔵くんはこれからどうなるんだろうねぇ? というか、彩良はやっぱり気付いていないのかな?」
「ですねぇ。小さい頃はよく遊んだ幼馴染でしたのに」
そう言って、流兎は二枚の写真を取り出す。一枚には女の子と男の子。女の子の手には、当時人気だったアニメキャラがプリントされたハンカチが握られている。
そしてもう一枚には――高校生ぐらいの若者と、その隣に立つくノ一少女が写っていた。
くノ一の目元には、流兎と同じ場所に泣きぼくろがあった。
「でもまぁ、なるようになるんじゃないですかね……私達みたいに」
「そうだねぇ。なるようになるか」
昼の太陽の下で呑気な会話をする両親のことなど、彩良本人は知る由もなかった。