日常と少しの非日常(1)
書庫の作業も二日目の今日は、昨日より多少は要領がよくなった。あと一日あれば、なんとか終わるだろう。
ティリアは自分を追い出しに来た人に挨拶してから、書庫を後にした。今回は迷わず通用口にたどりつくことができて、小さな満足感をかみしめる。
外廊下の手前で立ち止ると、先ほどのちっさい満足感はどこへやら、こわごわと庭園の様子を見まわした。
どうやら昨日の近衛騎士はいないようだ・・・それだけ確認すると、ティリアはほっとして歩き出した。
昨日、ティリアはどうやって宿舎の自分の部屋に戻ったかも覚えていなかった。彼の姿を見た途端にあの日の感情がよみがえって、圧倒されずにいられなかった。
あの少年については、父も母も特に何も話そうとしなかったし、聞いてはいけないような気がして、ティリアから話題にすることもなかった。
それがまさか、こんな所で。彼は嫌なものを目にしたと思っているだろうか・・・
「お嬢さん。むきたまごみたいなお嬢さん」
「ひっ」
ぼんやりしていたティリアは、いきなり話しかけられて息をのんだ。いつのまにか、ひどく華やかな容貌の若い男が、すぐそばに立っていた。
蜂蜜色の髪に空色の瞳。整った甘い顔立ちに、からかうような表情を浮かべている。
その男も近衛の騎士服を身につけているのに気がついて、ティリアは内心で顔をしかめた。
「なんのご用でしょうか」
むきたまごとは何か、と聞いてみたいのはやまやまだったが、ティリアとしては、早く要件を済ませて欲しかった。
「用がなければ、話しかけちゃまずいってことかな? そんな警戒しないでくれよ。コルウスとはどういう知り合いなのか、教えてもらおうと思っただけだから」
「コルウス? それはどなたですか?」
その名前に心当たりはなかったが、ティリアはなんとなく嫌な予感がした。
「ええ? 知らない? 黒い目に銀の髪の仏頂面の男だけど」
ああ、やっぱりか。そういえば、この人は昨日、彼と一緒にいた人かもしれないと思いあたる。ティリアは少し考えてから、答えを返した。
「その方なら、知り合いといえるかどうかも分かりません。十年ほど前にほんの一瞬、顔を合わせただけですから。名前も知りませんでした」
「へえ。それだけで、昨日はお互いがわかったんだ。ああ、言い忘れてた。俺のことは、アルデアさんって呼んでくれ。君、名前は?」
さん付け指定なのか、と心につぶやきつつ、ティリアは空色の目を見返した。
「ティリア、です」
「そう、よろしくね。コルウスに聞いたってだんまりなんだけど、あいつが誰かを気にするのも珍しいからさ」
思わず、もの凄く嫌われているみたいですから、と口走りそうになって、ティリアはくちびるをかむ。しかしアルデアの方は、そんな様子に頓着することもなく、すいと視線を庭園の東屋の方に動かした。
ティリアもつられてそちらを見やると、東屋のかげで何かが動いた、ような気がした。
「新しく筆写官の見習いで入ったっていうのは、君だろう? 頑張れよ。ああそれから、コルウスがらみの相談があれば、いくらでも俺の方にどうぞ。一応、俺の方では奴のことを、信頼できる友人だと思っているからね。もちろん、ほかのご相談も受け付けるよ」
またすぐに元の調子で話しだしたアルデアは、立て板に水といった調子でそんなことを言う。それからにっこり笑ってみせると、宿舎や鍛錬場がある方に歩いていってしまった。
なんだったんだ・・・そう思いながらも、後に残されたティリアは、もう一度東屋の方を見た。やはりなんとなく気になる。ちょっと見に行ってみよう、とティリアもアルデアとは反対の方向に歩きだした。