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再会(3)


 王城とは、権謀術数うずまく恐ろしい場所。

 父からもそう脅されてはいたが、それが自分の身に降りかかるとは、ティリアはまったく思っていなかった。実際に権謀術数との縁はなさそうだったが、その日、早くも王城生活の恐ろしさの一端を知ることになった。


 見習いとして働き始めて、ちょうど一週間。その日は書庫で臨時の作業をするように指示されていた。

 筆写官の作業室は、王族の居室や執務室、大広間などがある王宮とは別の塔にあった。膨大な数の書物が収められているという書庫は王宮の端にあるということで、庭園に沿って設けられた外廊下を、モンモパンに案内されて歩いていく。

 その途中でここに来た経緯を聞かれ、だいたいのところを説明すると、モンモパンは得心した様子で頷いた。

「なるほどね。領主の推薦だろうが、わざわざ地方から筆写官になりにやってくるっていうのは珍しいけど、噂どおりだったのはそこだけか」

「噂? なんですか、噂って」

「聞きたい? まあ、教えてあげてもいいけど。今度の新入りは、地方領主の推薦を受けた超美形の男だって作業室内で噂だったのさ。しかも、領主夫妻の元愛人だって」

「あ、愛人? しかも、領主夫妻のって、奥方様のじゃなくて?」

「だからさ、いろんな意味で凄い技能を持った男が来るって聞いていたのに、実際に来たのは、ぽっさりした小娘だろ? みんな拍子抜けしちゃってさ」

 得意げに話すモンモパンに対し、ティリアは都会って怖いところだと肩を落とす。

「あのですね。領主様は、人格的にもとても優れた方と聞いてますし、ご夫婦仲もいいはずです。そんな話、あり得ません」

「まあね。全部本気にする人も少ないとは思うけどさ、何せ噂話は王城名物の一つだから。今のうちに馴れておけば?」

 とりあえず、初日の作業室に流れていた、微妙な空気の理由は分かった。妙な誤解がさっさと解けてよかったと思うしかないだろう。


 王宮の通用口まで来たところで、モンモパンが再び口を開いた。やや緊張の面持ちである。

「ここから先では、王族の方々とうっかり鉢合わせするかもしれない。見苦しくないようにしとけよ」

 むしろそれを期待するような口調で言って、髪をなでつけている。

 ティリアは今まで王宮の内部に入ったことはなかったし、現国王には王子が三人、王女が二人いらっしゃるはずだが、そのいずれもお見かけしたことはなかった。

 モンモパンによれば、王城にいるからといって、そう頻繁に王族方の姿を目にすることもないのだとういう。


 実際にティリアが王城内で生活を始めてみると、漠然と予想していたことと違う点は多々あった。「鉢合わせ」の少なさもその一つだし、庶民が思うほどに、王族が派手で贅沢な生活を送っているわけではなさそうだ、というのもその一つだった。

 着飾った令嬢が行き交う華やかな夜会も、そう頻繁に開かれている様子はなかった。初めて目にする王宮内の調度品は、質はよいのだろうが、豪華絢爛というほどではない。

 ティリアの好きな庭園にしても、王宮の近くこそ見事な花をつける観賞用の植物が多く植えられていたが、別塔のあたりには野草に近い素朴な草花やハーブが、さらに奥に位置する使用人宿舎や騎士の鍛錬場のあたりには、薬草や野菜、果樹もたくさん植えられている。当たり前だが、王城は王族を始めとする多数の人の生活の場でもあった。

 先ほど聞いたばかりの噂話の類は別として、派手というよりは質実剛健な王城のあり方を、ティリアは住人として少し誇りに思いはじめているところだった。


「おい、何をぽっさりしてるんだよ。書庫についたぞ」

 モンモパンの高めの声が響く。王族の姿を目にすることができなかったからか、声が少し不機嫌だ。

「だいたいこのあたりの書物だな。とりあえず、修復が必要なものとそうでないものを仕分けして。前に僕が分けたのがここにあるから、これを基準にすればいい。今日は他の作業はいいから。じゃ、よろしく」

 そう言って、モンモパンは再び髪をなでつけると、ティリアを一人残して出て行った。

 このあたり、とざっくり指示されたあたりには、かなりの量の書物があった。仕分けにどれぐらい時間がかかるのか、見当もつかない。

 実際に筆写の作業にかかれる日が、その分だけ遠のいたようだった。


 結局、昼食もとらずに作業を続けたが、あたりが暗くなってきてもまだ終わらなかった。

 衛兵らしき人に書庫を閉めるからと追い出され、あやうく迷子になりかけながら、なんとか王宮の通用口にたどりつく。

 外廊下に出ると、城壁の向こうに見える空は朱色に染まっていた。

 王都の夕焼けは故郷の夕焼けより、少し色彩が強いようにティリアには思えた。



 外廊下を歩いて、もうすぐ別塔の前にさしかかるというときだった。ティリアの目の前を、一匹の蝶がひらりと横切り、落ちるように高さを下げて飛んでいく。

 蝶の羽の黄色い色が、いやにくっきりと目に映った。

 王都では、こんな時期にも蝶が飛ぶのか・・・ティリアが感心しながら目で追うと、蝶は外廊下の傍に咲いている花にとまった。

 ティリアは蝶を追って廊下から降りると、そっとその花に近づき、少し腰をかがめて蝶に見入った。


 蝶がとまったのは、ティリアが名前を知らない、白い小花が密集した花だった。

 蝶は小花の上でゆっくりと足踏みをはじめる。それから、巻いていた口吻をするりとほどいて、小花の一つに差し込んだ。やがて蜜を吸い終わると、口吻は伸ばしたままで、今度は別の小花の中心に、つぷりとそれを差し入れる。

 そしてまた、針のような口吻を引きあげ・・・


 なおもティリアが蝶を見ていたとき、声が聞こえたわけでもないのに、誰かが自分を呼んだ、と思った。

 ティリアはゆっくりと振り返る。庭園の向こう側に、人影。


 ―――あのときの、彼だ。まだ小さかった頃、むきだしの憎悪を自分に向けた人。

 その人影が目に入った瞬間に、ティリアにはそれが分かった。同時に、彼の方でもティリアをそうと認めたはずだと、ほとんど確信に近い思いを抱く。


 彼はもう、少年の姿はしていなかった。長身の、すらりと伸びた手足と、鋭い肩の線を持つ、青年の姿をしていた。

 ほとんど銀色に近いアッシュグレイの髪は、反照を浴びて燃え立つように見えた。

 それとは対照的に、黒い瞳は、静かな光をたたえているだけだった。静かに、ティリアの方を見ていた。


 彼がすっと顔を横に向けた。そのときになって、同じくらいの背格好の男が彼の横に立っていたことに気が付いた。二人とも近衛の騎士服を身につけている。彼はその男に呼びかけられたらしく、何かことばを交わし始める。

 ティリアはその間に、張り付いたようになっていた視線を白い花に戻した。


 さきほどの蝶はすでに、いなくなっていた。

 突然いたたまれなくなって、ティリアも逃げるようにその場を離れた。




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