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再会(1)


  呼ばれた気がして振り返ると、黒い瞳のあの人がいた。


  遠いあの日に魅入らずにいられなかった、夜の色の瞳。


  そこにはあのときの、身を切るような感情はもう浮かんでいないのに、


  どうして今また、惹きつけられてしまうんだろう。



   あなたは、誰?



*****



 ティリアは古びたテーブルに頬杖をついて、自分が生まれ育った小さな家の中を見回していた。家の中はひっそりと静かで、ときおり暖炉の火がはぜる音が耳にとどく。


 明日にはこの家から王都に向けて発つことになっていた。織物商の馬車に便乗させてもらう手筈になっているが、それでも王都まで三日はかかるという。そうそう気軽には帰ってこれない。


「母さん、明日からこの家に一人になってしまうね」

「そうねぇ・・・。それより、人の心配している暇はあるの? 荷物はまとまった?」

 答えたティリアの母は、お茶のカップを両手で包みこむようにしている。

「荷物はだいじょうぶ。それほどたくさんあるわけじゃないから」

「ならいいけど。ところで父さんはね、明日はやっぱり見送りに来ないって。仕事だって言ってたけれど、別れが辛いのよ、きっと」


 ティリアの父と母はとても仲がいいように見えるが、一緒に住んでもいなければ、正式に結婚してもいなかった。ティリアもごく小さい頃は、それをなんとも思っていなかったが、近所の子どもにからかわれたり、大人に汚いことばをかけられたりすることが続き、だんだんとそれがあまり一般的じゃないことを理解するようになった。

 なぜ結婚しないのかと聞いたとき、母は「面倒だから」と笑っていた。しかし、普通と違うことをする方が面倒だというのが、世のツネというものではなかったか。

 しつこく詮索したりはしながったが、何か理由があったのだろうとティリアは思っている。


「父さんはどっちかっていうと気に入らないみたいだしね。わたしがここを離れることも、行く先が王城だっていうことも」

「まあねぇ。こっちに来る前は、父さんも近衛騎士をやっていたっていうから、いろいろ思うところもあるんでしょう。一人娘のことになると途端に心配性になるし」

 ふんわり微笑むその顔は、わが母ながらきれいだとティリアは思う。

「でも、母さんはよかったと思ってるわよ。織物がてんでダメだとわかったときは内心あせったけど、人間一つくらいは何か取り柄があるものね」

「母さん・・・もうちょっと別の言い方があるでしょう」


 このあたりは織物がさかんで、ティリアも以前は共同の作業所に通って機織りをしていた。ティリアの母は機織りの名手と言われるほどの腕前だったが、どういうわけか、ティリア自身は織物と相性が悪かった。非常な集中力を持って織った布地はいつも目が詰まりすぎ、使った機織り機は高い確率で故障した。

「ふふふ。これでも褒めているのよ」


 そもそも、この母は出自からして変わっている。

 母の生家はさる伯爵家だが、わけあって捨てられるように里子に出されたという。ただし、今ではすっかり平民生活を楽しんでいる。

 今回ティリアが王城に行くことになったのも、このあたりの事情の影響が大であった。

 ティリアは母の生家である伯爵家にたびたび招かれた。当主となった伯父と、男の子ばかり三人の母親である伯母は、貴族としての立ち居振る舞いやマナーを少しでもティリアに教え込もむことを崇高な責務(あるいは娯楽)のように考えている節があった。残念ながらティリアには、そんなものは冗談のようにしか思えなかったのだが。

 ではなぜ招かれるままに訪れていたかといえば、書庫にあった羊皮紙の書物に夢中になったからである。羊皮紙自体が高価であったし、内容の筆写にも手間がかかったから、書物はとても値が張るものだった。

 書物の内容はもちろんだったが、ティリアが一番興味を持ったのは、書かれている文字の書体だった。書く速さ重視と思われる書体に、非常に装飾的な書体。筆写した人の性格がうかがわれるような、極端に厳格な書体。また、動植物を主題にした欄外の紋様などもそれぞれに美しく、ティリアは時間を忘れてそれらに見入った。

 暇さえあれば、自らも地面に藁紙に文字を書き連ねるようになったティリアは、修道院で書物の筆写が行われていると聞くと、そこに下働きがてら勉強に通わせてくれと、ついには母に頼みこんだのだった。


 ただでさえ変わり者と目されていた母娘である。同年代の娘たちが結婚しはじめる頃、嬉々として修道院通いをしていたティリアは、周囲から奇異の目で見られていただろう。

 しかし、母は何も言わず好きにさせてくれ、それが王城で見習い職を得るという今回の幸運につながったのだった。



「この猫、また来てる」

 暖炉の前には、半分居着いたようになっている野良猫が、ちゃっかり丸くなっていた。

 ティリアは立ち上がってしのび足で近づくと、しゃがみ込みんで、猫のひげだけが揺れるのを眺めた。このひげのしなり具合は美しいな、などと思いながら。



 それは、もうすぐ春がくる、冬の終わりのある日のこと。

 この静かなひとときは、嵐の前の静けさ、という程のことは無いのだが、春一番の前の静けさ、ぐらいではあったのだった。




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