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結実(6)


 目が覚めたら、夜だった。夢うつつの中で聞いていた雨だれのような音が、いつのまにか静かな靴音にかわっている。

「気分は、いかがですか。あら、そのまま、横になったままでかまいませんから」

 靴音がとまり、ぼんやりと天井をみあげたティリアに声をかけたのは、第二王女つきの女官だった。

「わたしは、ずっと眠っていたんですか」

 ティリアが問うと、女官はすっと眉をあげた。


 女官によると、帰城して施療員の手当てをうけたティリアは、いったんは目を覚ましたのだという。ただし、起き上がって薬湯と果汁を飲み、女官の言によれば余分な水分を排出しにいってから再び寝入るまで、ただの一言も発しなかった。そのため、怪我はたいしたことがなかったものの、第二王女もたいへんに心配しているという。

 しかも、ティリアが砦に連れ出されたのは今朝ではなく昨日のことで、つまりは一日半のあいだ、意識を飛ばしていたことになる。

「ずいぶんと、迷惑をかけてしまったんですね。心配する必要なんかないって、王女に伝えていただけますか」

「分かりました。しかとお伝えしておきましょう。それに、そんなに気落ちする必要はありませんよ。たしかに、オルキア様はあなたごときをずいぶんと心配なさっていましたが、このところの騒動も一気に解決しそうですからね」

「本当ですか」

「ええ、そうですとも。誘拐未遂の首謀者は、以前にオルキア様に懸想してすったもんだした、元貴族の奴めだそうです。まったく、身の程知らずもいいところ。奴めは他にも、地方領主と結託して山ほど悪さをしていたらしく、近衛第一隊の半分も制圧にむかったそうです」

 女官は上機嫌で話しているが、ティリアは急に不安になった。

「第一隊の半分・・・。まだ戻ってきていないのですか?」

「昨日、アルデア隊長がオルキア様に話していたところでは、早ければ今日の夜までにはあらかた目処をつけて、いったん帰城という話でした。まだ帰城していないということは、夜営でしょう。ここからいくらか離れた場所らしいですから、そうすぐには戻れないのでしょうが、もちろん、我が近衛の精鋭たる第一隊のこと、明朝には良い知らせが届くに違いありません。アルデア隊長も、余裕しゃくしゃくと言っておりました」

 アルデアが戻っているということは、第一隊の半分を率いているのはコルウスの方だということだ。別にアルデアならいいというわけではなかったが、あの殺しても死にそうにない人のことは、とりあえずはどうでもよかった。

 ティリアはいつかのコルウスの様子――鳥みたいに飛び去ってもおかしくなさそうに見えた――を思い出していた。彼が身を置く世界の厳しさも、今頃になって改めて身にしみて、心臓が嫌な具合に乱れた鼓動を打ち始めた。

「身体の方が大丈夫なようなら、お湯を用意させましょうか。オルキア様もこちらにおいでになりたいでしょうが、その・・・」

 言いよどんだ女官の様子から、自分がかなりひどい様子をしていることが想像できた。視線を落とすと、土の入り込んだ指の爪が見える。

「ありがとうございます」

 こんな時間にお湯を使うのはたいへんなぜいたくだが、汚れといっしょに不安も洗い流したかった。

 部屋を出て行く女官を見送ってからも、心臓の鼓動はうるさいままだった。



 お湯を使わせてもらうと、だいぶ頭がしゃっきりとした。後ろから腕を切りつけられたのは覚えていたが、傷は浅く、たいしたことはなかった。

 砦でのできごとを思い出しても、不思議と恐怖にとらわれることはなかった。意識を失う前に感じた、大きな安心感のおかげかもしれない。とはいえ、今は安心どころではない。

 さすがにもう眠れる気はせず、月明かりもあるので、いっそこのまま資料の見直しでもしようかと普段の服装に着替えた。

 が、やはりまったく集中できない。ティリアは諦めて、窓辺に近寄ると外を眺めた。


 しずかだった。月の明るい夜だったが、その冷たい光が届かないところは闇に沈んで、何か恐ろしいものが潜んでいるようだった。

 打ち消しても打ち消しても、良くない想像が心に浮かぶ。アルデアが大丈夫だと言っているのだから、大丈夫なのだろう、否、王女を安心させるために、あの調子で適当なことを言ったのではないか・・・ティリアが同じことをぐるぐると何度も考えていると、遠慮がちなノックの音が響いた。


 扉の方をふりむくと、第二王女が入ってくるところだった。ティリアの顔を一目見た王女は、顔をゆがめてそばまでくると、ティリアの手をとった。

「あなたは、もう・・・。ますますひどい顔になっているわよ」

「王女、あの」

「いいから黙って。大丈夫、大丈夫に決まっているでしょう。それを疑うというのは、ほとんど我が騎士隊に対する侮辱よ。皆、無事で戻ってくるわ。もちろん、コルウスもよ」

 心のうちを見透かしたようなことばに、ティリアは年下の高貴な人の顔を見返した。

「そう・・・ですね。皆、無事で帰ってくるし、王女様はやさしいし。何も心配することはないですね。わたしは、本当に幸せ者です」

「わかればいいのよ、わかれば。あなたに今できることは、そのひどい顔を何とかすることくらいね。遠征から帰って来る人をそんな顔で出迎えるなんて、人としてどうかと思うわよ。ああやめて、謝ろうとなんてしないでほしいわ。あら・・・星が、きれい」

 握っていたティリアの手を静かに離すと、王女は窓の外を見やった。謝ることも封じられたティリアは、しばらく王女と一緒に低い空の星を見ていた。

「こんなにゆっくりと星を眺めたのは、久しぶりだわ」

 やがて王女は小声でそんなことを言うと、もう一度ティリアの手を握りしめてから、来た時と同じように唐突に帰っていった。


 今、自分にできることは、祈ることぐらいだ。

 ならば、祈ればいいのだ。

 星に、空に、どこにいるのかよく分からない神に、念のため目についた窓枠のささくれにも、ティリアは皆の無事を祈りはじめた。



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