結実(5)
今度ははっきりと、聞こえた。薄暗い木々の向こうから、馬が駆ける足音、高くいななく聲、近づく枝葉のざわめき。
とがった葉をつけた若木の枝が、ひときわ大きく揺れるのが見えた。差し込む光の中で塵あくたが舞い上がり、きらきらと粉雪みたいに降りそそぐ。
森をなぎ払うようにして現れた馬上の人は、非現実的なほどくっきりと、切り取られたような姿をティリアの目に焼きつけた。
そのときすべてがティリアから遠くなる。錆臭い血の匂いも、追い詰められる恐怖も、自分の肺があげる悲鳴も。
ただ鮮やかな存在に目をうばわれる。
――ああ、なんてきれいなんだろう。
冷たい夜色の瞳は、今も静かに燃え立っている。ふり乱された無駄に豪華な銀の髪が、王冠みたいに額を飾る。身体の輪郭の線は、今にも仄青い火花を散らしそうに鋭い。
十年前のあの日みたいに、惚けたように、ティリアは見ていた。
コルウスが馬から飛び降りる。馬がティリアの横を走り抜けていく。ティリアはコルウスの存在を確かめたくて、彼に向かって腕を伸ばす。
そうしながら、いつも、同じだ、と思っている。
会うときはいつも、怒っているのだ。それでも、こんなに、会いたいと思ってしまう。
伸ばした腕がもう少しで届くというとき、彼の右腕が弧を描くように動くのが見えた。すぐ後ろでひどく現実的な鈍い音がして、背後に何かが転がった。
それを振り向くこともせず、投げ出すようにしたティリアの身体は、奪うように抱きとめられた。
渦巻く空気の中心にいるみたいだと思いながら、背骨をしならせて絡めとられたままのティリアの耳元に、しごく冷静な声が何かをささやきかける。
飽和したようなティリアの意識には、そのささやく声がよく届かない。
何?、と、くちびるだけを動かして問い返した。
「息、吐いて」
――息? 息・・・って何を言ってるんだろう、こんなときにこの人は、他に言うことはないんだろうか。
と思ってからティリアは、息を吸い込んで吸い込んで、吐きだすのを忘れていたことに気がついた。子どもの頃、発作を起こしてこんな風になったことがあったのだったと、頭の隅で人ごとのように思い出す。
細く長く、吐きだす息に、会いたかったのですとうわ言めいたことばが紛れ込む。自分を包み込む空気がそのとき、やさしく緩むのが分かって、それから――抱きすくめる腕の確かな存在を感じながら、絶体的な安心感の中で、ティリアは自分の意識がばらばらと剥がれ落ちる音を聞いた。




