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結実(3)


「久しぶりだね、お嬢ちゃん。街ではじっくり顔もおがめなかったが、まあまあ悪くはねぇな」

 止まった馬車の扉が外側から開けられ、御者の格好をした痩せぎすの男が中を覗きこむようにしてティリアに声をかける。酷薄そうな薄い色の目。おそらく、街で物盗りを装ったのはこの男なのだろう。

「さっきまで薬で眠らせておいたが、もう自力で歩けるだろう。おい、他の奴らはどうした」

 室長が男を押しのけるようにして馬車から降りる。

「おお恐っ、そんな焦んなよ。さんざん手こずらせてくれたお嬢ちゃんと、ようやく感動の再会なんだぜ?」

 男が室長と入れ替わるように馬車の座席に半身を乗り出し、ティリアの肩を乱暴に引っ張った。両腕の自由が縄で奪われていることを確認している。ティリアは男に身振りでうながされ、痺れた足を踏みしめて立ち上がると、震える心を叱咤して馬車から降りた。


 森に囲まれたその場所には、打ち捨てられた、古い砦のような建築物があった。

 その砦の方から、赤黒い顔に濁った眼をした良く似た印象の男二人が、散歩でもするような足取りでこちらにやってくる。朝から酒でも飲んでいたのか、男たちが近づくと、すえたような、腐った果物のような匂いが鼻をついた。

「へへっ、これが例の女か。王族の血が入ってるとでも言えば、高く売れそうじゃねえか。王女サマたちのご事情にもお詳しいんだろ? 売っぱらう前によ、よぉく話を聞かせてもらいながら、たっぷり礼をさせてもらわねぇとな」

 もとは屈強な身体をしていたのだろうと思われる男の一人が、だぶついた顎の肉をふるわせて笑いながら、ティリアの顔に手を近づける。

「後にしろ。それより頭目はどうした。中にいるのか」

 室長の質問に答えずに、男たちが砦の方に歩き出す。三人の男に囲まれた形のティリアと室長も、それにしたがって歩きはじめた。


 あたりは、背の高い木々に陽の光を遮られて、うっそうと暗い。

 砦を目の前にして、突然、室長が立ち止まった。

「馬は・・・馬はどこにつないであるんだ。他の奴らは? おい、おまえら・・・」

 他の男たちは少し先の大きな切り株のむこうに廻り込んでから室長に向きなおったが、にやにやするばかりで答えない。

「どうした。答えろ」

「悪いが・・・いや、悪くもねぇな。悪いのはおまえの方だろ。知らなくていいことも色々知っちまったし、ドジも踏んだ。いつ寝返らないとも限らねえ。この場所もそろそろ王城のやつらに嗅ぎつけられる頃合だろうしな」

「・・・やはり、そういうことか。頭目たちは引き揚げたんだな。私はまんまと騙されたというわけだ」

 そう言う室長の口調には、どこかそれを予期していたような、諦めたような響きがあった。

「まあな。つまりよ、おまえの分け前はねえってことだ」

 痩せぎすの男は言い終わると同時に、足元の切り株の後ろから何かを取り上げた。鞘におさまった剣だ。

「お楽しみはお上品な室長サンを片付けてからだ。おい、女を見張ってろ、油断すんなよ」

 すでにナイフをかまえていた赤黒い顔の男にそう言い捨てると、剣を抜く。

 ティリアと視線が交わった室長は、一瞬、諦めたような笑みを浮かべてから、脚の不自由さなど嘘のように身をひるがえし、駆けだした。その後を、男二人が追っていく。


 反射的に追いかけようとしたティリアの肩を、背後から太い指がつかんだ。首筋にナイフの切っ先をつきつけられる。男がにじりよる気配があり、酒臭い息がうなじにかかる。

 肩を掴んでいた指が離れ、一つに結わえただけのティリアの髪をもてあそびはじめた。縄で後ろ手に縛られたティリアを前に、弛緩した笑い声を洩らしている。

 ――まずは、深呼吸して。それから・・・父さん、ごめん

「あ?」

 心の中でつぶやいた謝罪が声に出ていたのか、聞きとがめた男が不審げな声をもらす。次の瞬間、ティリアは縄から手を抜き、男のナイフを持つ手を両手で掴んで一気にひねりあげた。ついでナイフの側面にひじを押し当てると、不意をつかれた男は簡単にナイフを取り落とし、バランスを崩してあおむけに転がった。

 護身術の実践は二度目、成功も二度目。そうそう幸運はつづかないはずだが、もう立ち止まることはできない。ティリアは落ちたナイフを蹴飛ばし、あぜんとした様子の男を残して、走り出した。


 獣がうなるような声と、何かをたたきつけるような音。薄暗い森に響く異質なざわめきを目指していると、男が一人、うつぶせに倒れているのが目にうつった。太った方の男だ。その生死すら確かめる余裕もなく、傍らに転がった、鞘から抜く間も無かったらしい剣を拾いあげ、また走り出す。

 ふいに陽を遮る暗い木立が途切れて、光が差し込んだ。下の方から激しい水音が聞こえる――そこは崖になっていた。


 崖にそって細長く広がる荒地で、室長と痩せぎすの男が向き合っていた。男は剣をかまえ、対する室長は素手だ。その足元には室長のものなのか、ナイフが転がっている。

 ティリアはそのまま二人に近付いた。足音を聞きつけたのか、二人が同時にティリアの方を見て、同じように驚いた顔をする。

 ティリアは動きをとめた二人の方になおも近寄ると、手にしていた剣を室長めがけて放り投げた。室長はそれを受けとめると、鞘ごとの一撃で痩せぎすの男の剣を振り払い、次の一撃で男の横腹をうちすえる。


 崩れ落ちる男のむこうから、室長が首をかしげるようにしてティリアを見た。

「なぜ・・・逃げなかったんだ」

「えっ・・・」

 たしかに、ティリアが加勢したところで、室長にも、ティリア自身にも何のメリットもない。せいぜい剣を渡すぐらいしか。

 それなのに、あのまま放っておいてはいけない気がして、追いかけてきてしまった。

「まったく、馬鹿な人だね」

「それは・・・否定できません」

 もう認めるしかなかった。


 斜め後ろの方から怒鳴るような声があがり、赤黒い顔の男が森から飛び出すようにして姿を見せた。

 ティリアの見張り役だった男だ。二、三歩で飛びつける場所で荒い息をするティリアと、剣を手にした室長を見較べている。

 男がティリアの方に動くと、それを防ぐように室長が男の方に踏み込んだ。男は躊躇なく、室長にむかってナイフを投げる。ナイフは手首にあたって跳ね返ったが、室長は剣を取り落とした。

「けっ、ふざけやがって」

 男は腰からもう一本のナイフを取り出すと、迷わず室長にむかって突進した。

「室長! 早く、早く逃げないと!」

 悲鳴のように、言わずもがなのことばをティリアが叫ぶ。男の攻撃をかわした室長は、崖のきわに立ってティリアを振り返った。男は勢い余って地面に突っ伏している。

「もう私は、室長でも何でもないんだが。とにかく・・・昔、一度逃げてしまった私は、最後のときまでずっと、逃げ続けなければならないんだろうね」

 一度や二度逃げたぐらいでそんなはずはないと、償う方法があるはずだと、ティリアは言いたかった。でもそんな気休めのようなことばは、自分の気休めにしかならないのだ。


 体勢をたてなおした男が、再び室長に襲いかかった。室長はよけなかった。かわりに、男の右手首をつかみ、あいた手をティリアに振って見せると、男を道連れにして――崖に、身を躍らせた。



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