結実(2)
「こんな真似はしたくなかったんだが。何せ、君が一般的なご婦人方より少しばかり強いってことは、実証済みだからね。街で君を襲って物盗りのフリをした奴も、軽くからかっておどすつもりが、逆に驚かされていたよ」
横倒しの姿勢から見上げる形になった室長の顔は、ティリアの目に、まるで見知らぬ人のように映った。
「薬のことは、心配しなくていい。君と話をしたかったから弱めにしてあるし、目的地に着く頃には効き目も切れているだろう。とはいっても、残念ながら――いや、たいして残念でもないが――もう城には戻れない。君も私も、ね。私たちが一緒に城を出たことは門番の知るところだし、そうでなくともそろそろバレる頃合いだ。いくらかの情報と、それから君と引き換えに報酬を受け取って、私はこんな国から出て行く。おそらく君も命だけは助かるだろうよ。君のような娘は、案外高値で売れるらしいからね」
自分がいま何を聞かされているのか、ティリアは分かりたくなかった。でも一方で、自分は気づいていたはずだ、とも思う。ただ目をそむけていただけで。
室長に対するうっすらとした違和感。それがいつの間にか積み重なって、無視できないほどになっていても、この優しい笑いじわの人を疑おうとは思わなかった。そんな自分の甘さが、結局はこんな事態を招いてしまっている。
最初は、ブラシを買いに出た街で室長に「偶然」出くわしたことだった。モンモパンに命じられて出かけたつもりだったが、モンモパンにそんな権限などないはずで、指示があってのことだったのだろう。そのうえ、ティリアが襲われて難を逃れた直後、室長は男を迷わず物盗りと断定していた・・・寂れた道を歩く娘が狙われる理由はいくつもあるはずなのに――小さなひっかかりを覚えはしたが、王都の恐ろしさの方に気をとられてうやむやになった。
その後にしても、ティリアが賊の顔を見たかどうかを、室長は必要以上に気にしていた。ほかにも・・・
まばたきすら思うようにできず、まるで泣いてるみたいに涙がティリアの顔を伝う。
「どうせもう、君にも私にも後が無いんだ、せっかくだから教えてあげよう。君がどこまで知っているのかはよく分からないがね。
まず、一連の騒動の首謀者は、親子以上に年の違う第二王女に懸想した揚げ句、物資の横流しが発覚して失脚した成り上がりの貴族だ。失脚してとち狂ったとはいえ、武器の密造やら何やらで、そこいらの矜持ばかり高い貴族よりよっぽど金もある。そいつが雇った実行部隊が、王都や地方都市であぶれた騎士崩れ、つまり盗賊騎士だ。隙の多い第二王女を誘拐して貴族サマに差し出せば、奪った身代金も好きにしていいという、いたって単純で割のいい話のはずだった。君さえいなければ、もう少しうまくいったんだろうが・・・」
自分の右足の膝のあたりを、室長は宥めるようにさすっている。ティリアがその様子に視線を合わせていることに気づくと、室長の顔にうっすらとした笑みが浮かんだ。
「そういえば、君の父親は騎士なんだそうだね。そういった出自も君が疑われる一端ではあったが・・・。ところで君は、知っているかい? 馬一頭を維持するのが困難な騎士がどれほど多いかということを。私も以前は、そんな騎士の一人だった。もちろん私の身分では、近衛ではなく正騎士団の方だが。自分が騎士には向かないと気づいたちょうどその頃、混戦に巻き込まれて、結局は身体の方もこういう状態になった。聞いたことがあるだろう、敵の戦力を奪って心をくじくには、とどめをさす必要はない。足を狙えばいいのさ。こんなふうにね」
「で、も・・・。な、なんで・・・」
ティリアはまるで他人のもののように感じられる喉から、なんとか声を絞り出した。室長が正騎士団に所属していたということには、驚く半面、普段の身のこなしから納得できる部分もあった。しかし、それと今のこの状況を、どうやって結びつければいいというのだろう。
「こうなる前には、私にも親同士が決めた婚約者がいたのさ。相手の家は格上で、私がこんなことになって婚約話は解消されたが、それと引き換えに作業室長の職が与えられた。婚約者とはいえ会ったこともなかったし、正騎士団では少数派の識字者として重宝されていた私だ。作業室長の仕事も悪くないと自分を慰めてはみたんだが・・・。どうやら私は、最初から王族の動きを探る役割を期待されていたらしい。そうでなけりゃ、話がうますぎると気づくべきだった。まあ、私の性質も、よくよく見極められたうえでの配置だったんだろう」
室長が、貼りついたような冷たい笑みを深くする。
「私はね。私は――君やタルパ君のように、迷いなく何かに打ち込める、前途有望な若者が大嫌いなんだ」
まるで世間話でもするかのようなその口調に、ティリアの背筋がいっそう寒くなる。
麻袋から救出された直後、ティリアを見舞ってじっくりと話を聞いてくれたのも様子を探るため。穏やかで頼れる上長という見かけも、仮そめのもの。室長をそうさせた絶望も諦めも、ティリアには想像することすらかなわない。
それでも・・・裸足の子どもの通り道から尖った石を取り除く優しさも、同じ室長の一面に違いないのだ。こんなことになる前に、もう少しどうにかならなかったのか――恐怖とともに後悔の念がティリアの胸をしめつける。
「おっと、余計な話が長くなりすぎたようだね。とにかく、第二王女サマが総裁を務める作業室に君がやってきたのは、ちょうど誘拐話が持ち上がった頃だった。地方領主からの推薦で有能な人間が送り込まれてくるとあって、仲間うちでは君が王室の息がかかった間諜ではないかという疑いが持ちあがった。
つまるところ、我々はしょせん落ちこぼれ騎士の寄せ集め集団だ。互いの信頼関係などありはしないし、故意かうかつにか、計画の一部を漏らした奴がいたっておかしくないさ。その結果、警戒されたのではないかと、肝っ玉の小さい奴らが考えたわけだ」
馬車の御者をつとめる男も仲間なのだろう、街中を抜けたらしい今、荒っぽい操縦が続いている。
走る車体がひときわ大きく揺れて、何かがティリアのエプロンのポケットから床に落ちた。室長からそむけた目線の先を、青緑色の小石が転がっていく。それは、拾っているところをコルウスに見咎められて、爪先に仕込むのはやめると約束し、それでも何となく不安で再び持ち歩くようになった石だった。
彼に咎められたあの日が遠い昔のような気がする。
その懐かしい石は小さく弾むと、馬車の扉の下にできた小さな隙間から、ティリアをおいて外に飛び出していった。
「私は君の様子を見て、すぐに間諜などではないだろうと思ったんだが・・・なにせ、君はあまり計算の働く人間には見えなかったし、何より、たかが筆写官の仕事に夢中なようだったからね。とにかく、卑しからぬ見た目を持つ若い娘だという噂だけが伝わって、城内にうかつに入れない、実行部隊の一部が君に興味を持ってしまった。その時点では、そこまで本気で警戒していたわけではなかったさ。退屈しのぎに、物盗りの真似でもして様子をみてやろうとなったわけだ。
ところが・・・まずは君のいかにも急ごしらえな護身術が計算外だった。さらには、ただの筆写官見習いのはずが、近衛騎士や第二王女自身とも面識があるらしい。結果、君に対する疑いは深まったが、逆に君を取り込んでうまく利用すればよい、なんてことを言いだす奴もいた」
「ち、違う。わたしは・・・」
「ああ、違うことは分かっている。要するに、不幸な偶然の連続というやつだろう? 私も報告するたび、疑う必要があるほど重要な人間だとは思えないと言い添えたがね。それでも、色々な状況はすべて、君を警戒すべき人間と思いこませる方向に働いていたんだ。とどめは、あの王女との入れ替わりだ。私はあの日、剣技大会を観戦していて、事件の間の不在証明は完璧だった。だがその前にひと仕事したときに他ならぬ君が、あれを――そのちょっとした仕事の成果物を、拾って眺めているのを見てしまった。どうやらそのときは何も気づかなかったようだし、計画を変更するほどのことではないと思ったんだが。
まさか、居留守を騙るために君と王女が入れ替わるなんて、誰が想像するだろう。あれが決定的なできごとだった。当然、奴らは怒り狂った」
ティリアが王城の裏庭で拾って眺めていたもの・・・それはまわりの青緑色の石の中で妙に目を引いた、白く平べったい石だった。裏返すと、子どもの落書きのようにも見える文字が描かれていた。
その文字は単語としての意味をなしてはいなかったが、ティリアには分かったのだ。不本意ながらモンモパンも感心するほど、筆写官の様々な筆跡を見わけるのが得意なティリアだからこそ――それが室長が書いた文字だと。
「私があのとき白い小石に書いておいたのは、王女がどの部屋にいるかを仲間に知らせる暗号だった。それを見て王女の部屋に忍び込んだ奴らが、君が話題の間諜らしき人物だと気づいていたら、逆にそのまま城外へ連れ去っていただろう。しかし奴らにしてみれば、誘拐の計画がばれて、似たような見た目の娘が替え玉に選ばれたとしか思えなかった。君を実際に見たことがあるのは、私と、街で物盗りを装った奴ぐらいだからね」
石に書かれた文字を見たとき、頭では室長の筆跡だと直感していても、それに何らかの意味を持たせることを拒否してしまった。つまりは逃げてしまったのだ、とティリアは思う。
「さあ、もうしばらくで着くだろう。結局、私ばかりが一方的にしゃべってしまったね」
言いつつ、室長が雑のうから縄を取り出した。
ティリアの身体は委縮しきってはいたが、薬の効き目が短いというのは事実のようで、身を起こそうと思えばできそうだった。しかし、それだけの気力をふりしぼる前に、両腕が背中にまわされ、手首はひとまとめに縄で拘束される。
「さっきも言ったとおり、私は君が嫌いだ。だが残念ながら、実行部隊の盗賊騎士たちやら貴族サマやらを、大事な仲間と思えるかといえばそうもいかない。結局この私は、どっちにも属せない中途半端な人間だということだろうね」
「室長・・・?」
「せいぜい、幸運を祈っているよ」
室長をつつむ空気が一瞬だけ気配を変えて、その目もとに優しい笑いじわが浮かぶ。が、ティリアの疑問に答える気はないらしく、それきり口をとざしてしまった。
一方、ティリアは腰のあたりでくくられた両手首を少しだけ動かしてみて、やはり、と思った。その縄の掛け方はよく大道芸などでも使われる手法で、ティリアは父から手ほどきを受けたこともある。一見きつく拘束されているようにみえるのだが、実は手首をある方向にずらすと簡単に縄が緩むのだ。
どういうことだろう、と必死に考えをめぐらせる。答えの出ないまま、馬車は走り続けている。
やがて、走る速度が徐々に落ちていくのが感じられ――ついには、乾いた悲鳴のような音を立て、馬車が止まった。
2014年4月6日 誤字脱字修正