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日常と少しの非日常(17)


 固い足音をたててティリアの方に歩きだしたコルウスは、花を抱いて立つ彼女を一瞬まぶしげに見ると、いきなり足をとめた。それからすぐにきびすを返して、同じ勢いで入口の扉の方に戻って行く。

 安静が必要なはずの人間が、呑気に花などいじっていたのだ。あきれて帰ってしまうのだろう、一言も口をきかずに――ティリアはホッとしたような、落胆したような、ごたまぜの心持ちのまま、戻っていく彼を目で追っていた。


 と、コルウスがまたしても唐突に、扉の手前で立ち止まると、再び扉を背にしてティリアの方に向きなおった。そして今度こそ決然とした足取りで、その場に固まったティリアの方に近づいてくる。

 ――何だろう、この人は。

 そう思うか思わないかのうちに、彼はもう目の前に来ていて、気圧されたティリアは後じさった。

 ところが、一歩下がるごとに一歩、距離を縮められる。一歩、また一歩と、ついには後ろに引いた踵が壁にあたり、ティリアは後ろ頭が壁にぶつかる覚悟をした。

 しかし、いつまでたっても後頭部が衝撃に見舞われることはなく、かわりに壁よりいくぶん弾力のある何ものかの存在が髪をとおして伝わってくる。

 それはつまり、コルウスが壁に手をつき、その手の甲によってティリアの頭が壁にぶつかるのを防いでくれているのだった。

 ――何、この人。

 もう一度、そう思う。気が利くのか利かなさ過ぎるのか、もはや蛇に見込まれたカエルと化したティリアに判断する気力はない。それどころか、今にも口から魂的なものが飛び出しそうだった。


「あれから、たった十日ほど。違いますか?」

 ごく至近距離から声が届く。あれから、の意味するところが嫌でも分かって耳が痛い。夜の庭園で注意を受けてから、確かにまだ十日ほどしか経っていないのだった。

「違いま、せん」

「それほど、私の忠告を受け入れるのが嫌ですか」

「いいえ、そういうことではありません。ただ・・・」

 低く響く声から滲みだす苛立ちが、ちくりとティリアの胸を刺していく。何と答えても言い訳になってしまいそうで、ことばの続きはしぼんで枯れおちる。

「では、王女に危害が及ばなかったのは、自分の手柄だとでも?」

「そんなこと・・・」

「逆に褒めらるべきだとでも、思っているのですか」

「っ!」

 悲鳴のような息をのみこんだティリアを見て、コルウスがふっと表情をほどいた。彼は少し身を引くと、静かに壁からクッションとなった手を引きぬいて、花を抱いたままのティリアの肩を支えた。それから、あらためてまっすぐティリアに視線を戻す。

「そんなつもりが無かったことは、分かっています。しかし・・・」

「・・・」

「あの日、養育院にいた頃の話をしたのを覚えていますか」

 ティリアは声に出さずに、頷いた。ごく短い話だったが、忘れるはずもなかった。

「たった一度だけ、あなたの父君と外出したことがあります」

「父と、ですか」

「そうです。夢のような時間だった。あのとき・・・」

 それは、ティリアが初めて聴く話だった。父に養育院から連れ出されたコルウス少年が、木登りをして果実をとり、道端に二人並んでそれを食べたのだという。


 確かに。

 それは確かに、ほのぼのと暖かい、いい話ではあった。それでもティリアは、なぜ今このとき、父の話なのかと思わずにいられない。何の脈絡もなく人の話を聞かされるぐらいなら、まだ叱責されている方がましだった。

 叱責は、少なくともティリア自身に向かうものだから――そこまで思って、何を馬鹿なことを考えているのかと、自分がいっそ情けない。

 しかしそんなティリアの思いとは別次元で、コルウスはただ淡々と話を続けている。

「・・・その後、果実の種はこっそりポケットにしまい込みました。養育院を出てわずかな持ち物を取り上げられる日まで、それは私の唯一の宝物でした」

 コルウスは、今気付いたというように、ティリアの肩に置いていた片手を引っ込めて、その手に視線をうつした。

「つまり、あなたを野放しにしたことを後悔しています」

「の、野放し・・・」

「あの果実の種と同じように」

「・・・?」

「あの種のように、私だけが知る場所に、あなたをひっそり閉じ込めておければよかったと。そう、思います」

「・・・」


 ――聞かなかったことにしよう、そうしよう・・・ほとんど本能的に、不穏な発言をなかったことにしているティリアの耳に、ごふっと誰かがむせるような声音が届いた。それは扉の外からのようで、ティリアがそちらを見やるより早く、コルウスが歩き出していた。

 彼が入口の扉をあけると、ばたばたっとまろびでた見習い騎士を含む数人の男が、扉という支えを失ってくずれ落ちた。折り重なった人垣の向こうから、笑顔のアルデアが手を振っている。その横にちらりと視界をかすめて消えたドレスの裾は、第二王女のものではなかったか・・・


 コルウスは無言のまま、倒れて部屋の内側にはみ出している男たち――いわゆる立ち聞きしていた皆さん――の身体を、無造作に靴の爪先で押し出している。

「やあ。こちらのことは、気にせずに進めてくれよ。まあちょっと、成長途中にある者たちに、心の教育をほどこそうとおもっ」

 アルデアのことばを皆まできかずに、強引に扉が閉められた。誰かの足先が無情にも閉めた扉に挟まっていて、それを変わらず無言のコルウスが爪先でにじっている。

 そんな様子を見ながら、自分があそこに積み重なっている側でなくてよかったと、心底思ったティリアだった。


 扉が完全に閉まると、コルウスはティリアの方に向きなおり、ゆっくりと足を進めて、先ほどよりはだいぶ離れた位置で足をとめた。

「賊の行方は、分からぬままです。王族方の警備は厳重になるでしょう」

「そう・・・でしょうね」

「残念ながら、筆写官見習いのあなたに警備はつきません。だからこそ、無謀な真似は慎むように」

「はい。分かっています」

「どれほど私の忠告に従うのが嫌であっても、です」

 それだけ言うと、ティリアの返事を待たず、コルウスは彼女に背を向けた。

 遠のいていく後ろ姿を見送りながら、淡く残る夢の記憶と同じように、待って、と声をかけたくなった。


 でも、結局そうはしなかった。夢の中と同じように、そっけなく無視される気がして、それはかなり辛いだろうと思われたから。




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