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日常と少しの非日常(12)


 東屋のかがり火が揺れて、銀の髪を光と影が交互に彩る。

 ティリアの失礼な誤解――腹違いの兄妹ではないかという――を解くためか、ごく淡々と、コルウスが自らの生い立ちを話し始めた。

 そっけないほど簡潔に語られたその物語は、孤児として育った少年の成功譚と言えないこともなかった。しかしティリアは、語られなかった部分の方にたくさんの寂しさを感じてしまい、何も言えなくなってしまった。

 だからコルウスの話が終わっても、ただ黙っていることしかできなかった。


 二人の間に無言の間が落ち、ティリアはぼんやりと、庭園の方に視線を向けた。

 月明かりに照らされる花たちは寒々と俯き加減で、昼間とはまったく違って見えた。

「あのときも、花を見ていたんですか」

 沈黙を破ったのは、コルウスの方だった。

 例によって、唐突なことばで。

 それでも、あのときというのがいつを指すのか、ティリアにはなんとなく分かった。それは、多分、初めて王城でお互いの姿を認めたときのこと。

 ――黄色い羽に浮かぶ網目模様。白い花のうえの足踏み。音もなく伸ばされる口吻・・・蝶という生き物の精緻な造形が頭の中にくっきりと浮かび、ティリアは話題を見つけられたことにほっとした。

「あのときは、花というより、蝶を見ていました。蝶が花の蜜を吸うところ、ご覧になったことはありますか?」

「蝶、でしたか。いいえ、じっくりと見た記憶はありません」

「そうですか。蝶はですね、花にとまると、まずあの細い肢で足踏みをするんです。まるで肢の先で蜜の匂いを確かめるみたいに。その後で巻かれていた口吻を伸ばして・・・」

 説明を始めたティリアの口調が、自然と熱をおびていった。先ほどまでぼうっと夜の庭園をさまよっていた目線は、一転して考え深げな色を濃くしていく。

 その話に耳を傾けるコルウスは、ほとんどことばをはさまなかった。

「・・・蝶の口吻だけじゃなく、猫のひげのたわんだところや、ツタの茎が描くらせんの形も。どんなに見ていても飽きないんです」

 ティリアは俯いて長椅子の脚元に巻き付いたツタに視線をうつし、コルウスはツタのらせんを目で追うティリアの横顔を見ていた。

「どれほど頑張ったって、自然の中に置かれた曲線の完璧さにはかないませんけど。でも、いつか」

 言って、ティリアが顔をあげる。

「いつか、そんな曲線をとりこんだ、新しい書体をつくりたい」

 かがり火の光を受けた彼女の瞳が一瞬、濡れたように光った。




 ・・・再びの沈黙。

 そしてティリアは、さっそく後悔しはじめた。つまらない話を長々としゃべりすぎてしまった、と。

 そういえば、こんな話、誰にもしたことがなかった。これだけでもバツが悪いのに、先ほどから一対の黒い目が、自分の方をじっと見ている。それがなんだかいたたまれない。

 そのうえ、よりかかっていた柱から身を離したコルウスが、ティリアの方に手を差し伸べてくる。

 どこかにひっついているクモの巣でもはらってくれるつもりかと、近づいてくる長い指を見ながら、ティリアが唐突に思い出したのは――東屋にくる途中で触れた、コルウスの指先の冷たさ。

「そうだ・・・よかったらこれ、さし上げますから、使ってください」

「・・・」

 伸ばされた手を遮るようにかかげて見せたのは、エプロンのポケットから取り出した、例の黒い手袋だった。

「見た目はいま一つですけど、とても暖かいんです。あ、それに、あんまり使っていないから、ほぼ新品同様ですよ」

「見た目は・・・いま一つ・・・」

「ええ、まあ、見た目はたしかにアレですけど。ほら、してみてください」

「アレですか・・・」

 しぶしぶといった様子で手袋をつけたコルウスの片手を、ティリアが満足げに覗きこむ。

「とてもよく似合います。実はこれ、いただきもので、けっこう気に入っていたんです」

「気に入っては、いたんですね? ならば、ご自分で使った方が・・・」

 しまった、なんだか恩着せがましい言い方をしてしまったと、ティリアは内心あせった。

 確かに少し、いやだいぶ、人にあげてしまうのは惜しい気がする。

 それでも、あの冷えた指先がこの手袋で暖まってくれるなら、とても嬉しいとティリアは思う。

「いえ、気にしないでください。どっちみち、わたしには大きすぎるし、上等すぎて。だから、遠慮せずに・・・うん、大きさもピッタリだし、やっぱりよく似合っていますよ」

 もう一度、ティリアが太鼓判を押した。



 自分の表情をうかがうティリアの顔に、いくばくかの期待、というか返答の要求、のようなものを見てとったコルウスは、観念して礼を言う。

「良いものをいただきました。有難う」

 ――実際には、いただいたも何もないわけだが。

 返答を聞くまで、いくらか不安そうにしていたティリアが、途端に嬉しげな顔になる。だから、つまり・・・まあいい、のか?



 一人で戻れますから、というティリアの固辞を受け流し、コルウスは宿舎の入り口まで彼女を送っていった。

 ティリアが宿舎の中に姿を消すと、後に残されたコルウスは、指をひろげて手袋をじっと凝視する――自分の元にカムバックしてきてしまった手袋を。


 もしもティリアがその場にいれば、小さく声をあげて笑うコルウスという、珍しい現象を目撃できたはずだった。

 だがその頃ティリアは、宿舎の廊下を猛然と歩きながら、失礼な勘違いを謝り忘れたと反省中。そういうわけで、またしても、ティリアがその珍しい瞬間を目にすることはかなわなかった。




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