出会い(2)
「そんなに固くならなくて大丈夫だよ。今日はわざわざ悪かったね」
騎士様が自分だけに向かって話しかけてくれている。しかし悪かったとはどういう意味か。少年は返事をすることもできず、ただ騎士様を見上げていた。
「ではそろそろ出発しようか」
騎士様はそう言って歩きだしてしまった。少年はあわてて声をかける。
「騎士様、ぼくが運ぶ荷物というのは、どれでしょうか」
「荷物? ああ、荷物か。ちょっと忘れてしまったんだ。だが、帰りはちゃんと荷物があるから大丈夫だよ。そうだ、これを持ってもらえると助かるな」
そう言うと騎士様は肩にかけていたマントを無造作に外して、少年に渡した。
騎士様のマント! そんな大事なものを自分が持つなんて、とにかく汚さないように、しわなどつくらないようにと、少年はマントをたたむとしゃちほこばって掲げ持った。
そんな様子を見ていた騎士様が言う。
「それからね。騎士様っていう呼ばれ方は苦手なんだ。そうだな、単純におじさんとでも呼んでくれないかな。二人だけのときはね」
唖然として固まる少年の肩をはげますように軽くたたいて、騎士様はまた歩きだした。その後にぎくしゃくと歩く少年が続く。
ぐーきゅるるーぐきゃー
突然なりひびいたのは、少年の腹の虫。緊張のあまり朝食を食べられなかっただけでなく、昨晩もパンを誰かにとられて、満足な量の食事をしていなかった。
「もしかして、院ではちゃんと食べさせてもらってないのか?」
急に顔から表情をなくした騎士様に聞かれて、少年は大きく首を横にふった。
「違います。たまたまです」
今朝は食欲がなくて、ということばを少年は飲み込んだ。体調が悪いなら帰れと言われることが怖かった。
「そうか。それならいいんだが。他に何か困っていることはないかな?」
困っていること? それはどういう意味だろう。
今までそんなことを誰かに聞かれたことがなかった少年は、ほとんど途方に暮れる思いだった。
「今は食べるものを持っていないんだ。私も気がきかないね。でももう少し歩いたら、秘密の木があるんだよ。ちょっと取りずらい場所だけど、うまい果物がなっている」
騎士様は楽しそうに言うと、脇道に入っていった。そのうちに、急勾配の獣道のような道行になっていったが、騎士様は軽々と足を進める。少年もマントのしわを気にするのはやめて、負けじとついていったが、さすがに少しずつ距離が開いていった。気付けば騎士様は、だいぶ先の一本の木のそばに立っている。ようやく少年が追いつくと、その手からマントを引き取って言った。
「よくがんばったね。この道を歩くのはなかなかたいへんだっただろう? さて、がんばりついでに、あそこの実をとってきてくれないかな」
騎士様が指さす方を見てみると、確かに木の上の方の枝に、林檎に似た木の実がいくつかなっている。
「わかりました。とってきます」
少年は張り切って木登りをはじめた。養育院でも木登りはしていたし、他の子どもよりはそれが得意だという自負もあった。だからといって、こんなに高い木の、細い枝になっている木の実を取ったことなどなかったのだが。
ひとつめの実には比較的容易に手がとどきそうだった。しかし、下から見たときはわからなかったが、大きく鳥がかじった跡があった。その実を取るのはやめて、さらに上によじのぼり、枝に体をあずける。うっすらと赤い実に手を伸ばしてもぎりとると、「落として」と騎士様が言う。落とした実を騎士様が受け取るのを見て、さらに張り切って次の実をめざした。枝に腹ばいになるようにして息をとめ、手をめいっぱい伸ばす。届いた!
指先からにじりよるようにその実をつかんでもぎりとると、また下に落とす。
「降りておいで」
もう一つとろうとしていた少年は、その声を聞いてじりじりと後ずさりして幹までもどった。高揚した気分で降りはじめた少年は、次の瞬間に体がふっと浮いたのを感じて・・・頭が真っ白になった。
次に気が付いたとき、少年は騎士様に抱きとめられた形になっていた。木から落ちた自分を受けとめてくれたんだと頭が理解すると、今度は顔色を青くした。
騎士様はゆっくりと少年を地面に下ろすと、かがんで少年と目を合わせた。
「だいじょうぶかい? 舌をかんだりしていないか」
「騎士様、も、申し訳ありません!」
「だいじょうぶみたいだね。いいかい、木登りっていうのは、降りるときの方が注意が必要なんだ。そういう話は誰かに聞いたことがなかったかな? 木登りにかぎらず、なんでも気を抜いたときが一番危ない。きみならなんとなくその意味がわかるだろう?」
騎士様は少年の頭に手をのせるとことばを続けた。
「試したわけではないんだが、最初の穴あきの実だけであきらめて戻ってきても、仕方がないだろうと思っていたんだ。でも、さすがだね」
そう言った騎士様の目が少し潤んでいる気がして、少年は胸をつかれる思いがした。
「ところで、さっきは呼び方を間違えていたよ。さて、おじさんと一つずつ食べようか。それとも二つとも食べるかい?」
木の根元に二人並んで腰を下ろして、一緒に木の実を頬張った。正直言って味などよくわからなかったが、少年はこの日のことをずっと忘れないだろうと思った。食べ終わったときに残った黒い種を、記念にこっそりポケットにしまった。
それから太陽が真上にくるころまで歩いて着いたのは、炭焼き小屋だった。そこで昼食がわりにもらったパンを食べると、あとは木炭を受け取って帰るだけだった。
もっと何か特別で重いものを運ぶのではないかと思っていた少年は、持ち帰るのが何の変哲もない木炭だったことに拍子抜けした。
騎士様の方はそんな少年の思いに頓着することなく、帰る道すがら少年にあれこれと話しかけては、その答えにふむふむと頷いたり、あるいは驚いたりしているようだった。
それまで少年が自分の方から話しかけることはほとんどなかったのだが、朝に落ち合った場所が近付いてきたころ、勇気をふりしぼって少年は聞いてみた。どうしたら騎士になれるのですか、と。
「騎士になりたいのかい?」
足をとめた騎士様が問い返す。
「・・・」
なりたいとはっきり言えるほど、少年は自分の境遇を楽観視しているわけではなかった。もしもなれるのであれば、どんな試練にも耐えることができるだろうと思ってはいたが。
「私はね、実はけっこう弱虫だから、本当は騎士には向いていないんだ。だから、私が尊敬していたある騎士のことばを伝えよう。彼はすばらしく優秀な騎士だった。技も、心根もね。あるときどうしたら彼のようになれるのかと見習いが聞いた。彼は、まずは心を落ち着けること、そしてよく観察することだと言っていたよ」
食い入るように自分を見つめる少年に向かってうなづくと、ことばをつなぐ。
「その二つは、どんな境遇にあっても訓練できることだろう? たとえば鳥がある方向に飛び立つ前に、必ず何かしらの前触れが見られるはずだ」
そのとき少年から体一つ分離れたあたりからバサバサッという音がして、まっ黒な鳥が飛び立った。カラスだ。
「カラスは嫌いかい?」
少年の黒い瞳やアッシュグレイの髪は、見ず知らずの大人からカラスのようだと揶揄されることがよくあった。もちろん、カラスを良い意味で比喩に使う人などいない。しかし、少年はカラスが嫌いではなかった。きれいな鳥だと思ったことすらあった。
「いいえ」
「そうか。よかった。彼もカラスが好きだったようだよ」
騎士様は微笑むと会話を切り上げて、歩きだした。道の先に、二人を待っている院長先生の姿が小さく見えた。