日常と少しの非日常(6)
探していないときにはいくらでも見つかるのに、いざ探し始めると見つからない。そんな世の法則を思い起こしながら、ティリアは一人で裏庭にいた。
現在ティリアは昼休憩中、とはいっても、食堂が賑わう時間はとうに過ぎていた。
今日の作業室はすべきことが目白押しで、作業がようやく一区切りついたのは、昼を大幅に過ぎてから。未練がましく食堂に顔を出してはみたが、もう食べ物の姿を目にすることはできなかった。
最近仲良くなった厨房係の娘が、そんなティリアに同情して焼き菓子をいくつかくれた。それは故郷にはない種類の焼き菓子で、たいへんありがたく受け取った。目的のものが見つかったら、お楽しみの焼き菓子をいただくつもりだった。
「これなんか、どうだろう」
春先のかじかむ指先を擦り合わせて温めながら、ひとりごちてしゃがみ込む。冷えた指先が拾い上げたのは、見た目よりは重さのある、青緑色の平べったい石だった。
よくよくその辺りを見回せば、同じ種類と思われる石がいくつも落ちていた。街に出たときにはこんな色の石は見なかったから、わざわざ敷き詰められたもののなごり――つまり勝手に拾ってはいけない種類の石かもしれない。
どうしようか・・・ほんの少しだけ迷わないこともなかったが、結局は同じような石をいくつか拾いあげると、作業室支給のエプロンのポケットに納めた。
ティリアが物色していたのは、武器もどきとしての石だった。王城で働く人間は、許可なく帯剣することを禁じられている。禁じられていなかったとしても、小さなナイフさえ、うまく操れるかどうかは怪しいところだが。
街で危険な目にあって以来、自分は狙いやすい田舎者、つまりは抜けてる人間に見えるのではないか、というあまり嬉しくない疑いを抱くにいたったのだった。たしか、モンモパンもそんなようなことを言ってはいなかったか。
そこで思い出したのが、ある部族の女性達の自衛手段である。いわく、石を靴の爪先に仕込んで蹴りを強化する、手に石を握りこんで拳を武器にする、といったもので、子どものころに異国の話として父から聞いたものだった。
当の父が知れば卒倒しそうだが、とりあえず、靴に仕込む方だけでも実用の可否を試してみようと、石を探して持ち帰ることにしたのだった。
なんとか良さそうな石も見つかったし、さて焼き菓子でもいただこうかと、ティリアは腰を落ち着ける場所を求めて歩き出した。
「その石は、なんのつもりですか」
すぐ後ろから声がかけられて、ティリアはその場に固まった。それこそ石のように。
「すいませんでした」
条件反射的に謝ったティリアの前に、声の主が回り込む。ティリアの謝罪を聞いた男が首を横に傾けるようにすると、少し遅れて銀の髪がさらりと額に落ちた。
コルウスが無言のままで返答を待っている。
先ほどまでの自分の行動を、どうにか無かったことにできないか――急に自分のしたことが馬鹿らしく思えて、ティリアの心は旅に出る寸前だった。
結局、無言の圧力の前に観念して、ぽつぽつと事情を話しだした。
相手は黙って聞いている。
話がこの思いつきのきっかけ、つまりティリアの父のことに及んだときだった。ふと、コルウスの表情から険しさが剥がれ、たまらなく柔らかな面持ちがそれに取ってかわった。
ティリアにはその顔が、微笑んでいるように見えた。
「あなたの父君は、お元気ですか」
「・・・ええ、元気にしています」
こんな顔もできたのかと、ティリアにそう思わせた表情の変化は、すぐに引っ込んでしまった。
彼を微笑ませたのが、父ではなく自分だったらよかった――そんな考えが一瞬心をよぎって、慌てたティリアは顔をうつむける。
「施療室には、行かなかったようですね」
「施療室、ですか? ああ、その、怪我はたいしたことがなかったんです。仕事がら、手荒れの方がひどいぐらいで・・・」
話題の切り替えに取り残され気味のティリアだったが、先日の忠告――施療室へ行けという――に従わなかったことに対する若干の非難は充分に感じとった。
確かに、素手で確認しながら羊皮紙を軽石で削ったりするティリアの手は荒れ放題だったが、すでに自分が何を言っているのかよく分からなくなっていた。
とりあえずもう一度謝るべきかと、うつむけていた視線をあげると、当然のように黒い瞳と目が合った。
「恨んでいませんよ」
「え?」
静かな声で落とされたことばは、やはりティリアには唐突に聞こえた。少しの間をおいてから、ようやく理解した。それが、街に出た日に自分が口走ったことへの答えだと。
もしかして、ものすごく熟考して答えを出すタイプの人だったのか――ちらりと浮かんだどうでもいい考えを、ティリアはうろうろと追いやった。
「あのときは、とっさに失礼なことを言ってしまいました。申し訳なく思っています」
「とっさに出るのが、本心、なのでしょう」
「そう・・・でしょうか」
十年ほども昔のあの日、敵意に満ちていた黒い瞳――目に焼きついたあの光景が、心から消えることはなかったけれど。しかし自分は本心から、ずっと恨まれているなどと思っていたのだろうか。
考えてはみたものの、ティリアは自分でもよく分からなかった。
そのまとまらない考えを切って裂くように、きーう、と鋭い鳴き声が城壁の上であがった。榛色の大きな鳥が飛び立つのが見える。
二人がなんとなく見上げているうちに、その鳥は風にのって、思いのほか高くまで舞い上がっていく。羽をひろげた姿はあっというまに小さくなって、ぽつりと黒い点になった。
互いの上に視線を戻してからも、コルウスの眼差しはどこかぼんやりしているように見えた。今もまだ、遠く鳥の羽ばたきを眺めているように。
この人はいつかふっと、どこか知らない場所に飛び去ってしまうのではないか――目の前にいるコルウスの存在が、急に不安になる。
ティリアは発作的にコルウスの手をとると、ポケットから焼き菓子の包みを取り出して押しつけていた。
「これ、焼き菓子です。もちろん、わたしが作ったものではありません」
自分が何をしたいのかよく分からないまま。
「疲れたときには甘いものって言うでしょう? わたしも靴に石を仕込むのはやめますから、これ、食べてください」
早口で言いきって軽く頭をさげると、急ぎ足でその場を去った。そして猛然と歩きながら、自分の支離滅裂な言動に呪いのことばを向けた。
後には、焼き菓子の包みを穴のあくほど凝視するコルウスが残された。
・・・コルウスは菓子の類が苦手だった。
しかしほどなくして、その口元がほんのわずか、ほころんだ。
本日二度目のコルウスのささやかな微笑みを、歩きながら反省中のティリアは見ることがかなわなかった。