第十五話:止まり木
晩御飯の後、俺は再び庭に出ていた。
夜空を見上げると、今日は雲がなくて月が綺麗だった。
ついでに、前世と違って空気がきれいで地上の明かりも少ないこの世界では、圧倒的に星がたくさん見える。星座は前世と違うような気もするが、よく分からない。
俺は、庭で2番目に高い<ルイネの木>に登って月を眺めていた。
ルイネの木はリンゴっぽい実がなる木で、昔からエリシアと二人でよく登ったものだ。
俺は実が食べたかったのだが、今思えばエリシアは俺と一緒にいたかっただけかもしれない。
ちょうど熟した実があるのを見つけ、俺は巧みに枝をつたって実を採った。
一口かじると、甘い味が口に広がった。うん、美味い。
長い間何をするでもなくボーっとしていると、遠くの方からエリシアが気配を消して俺の様子を窺っているのを感じた。
(……まったく、遠慮せずに来ればいいのに)
まぁ、ちょうど呼びにいこうかと思ったところだ。
俺はエリシアに軽く手を振って手招きした。
エリシアは白い翼を広げると、ふわりと舞い上がって風を殆ど起こさずに俺の隣に飛んできた。流石シルフの持ってた魔法の指輪の翼だな。
俺は若干申し訳なさそうなエリシアに微笑んだ。どうせ覗き見してたことを気にしてるのだろう。
「よう、エリシア。今日も月がきれいだな」
「は、はい……。その、覗き見しててごめんなさい……」
やっぱりか。俺は心の中で苦笑しつつ、肩を竦めて気にしていないことをアピールしてから、ルイネの実を齧りつつ口を開いた。
「そういえばさ、エリシアって竜の翼は出せるのか?」
「あ、はい。見たいです?」
「ああ、けっこう見たい」
「えっと、ちょっと待ってください…」
エリシアは天使っぽい翼を消すと、ドラゴンっぽい翼を出した。
おお、なんかカッコイイ。
コウモリとかに近いかもしれないが、やはり色は白――――ん?
その翼は、色が白銀色だった。
月明かりを受けて神秘的に光っており、とてもきれいなんだが……気になるな。
「エリシア、きれいだよ。でも色が違うんだが」
「あ、ありがとうございます――――えっ、どう違うんです…?」
「色が銀色っぽい。きれいだけど」
「……えっ!?」
エリシアは不思議そうな顔で右腕を竜の腕に――――。
「色がちがいます……!?」
「あ、やっぱりか」
完全に銀ってわけでもないが、白ではない。白銀色になっているのだ。
そこでエリシアは、俺が竜の腕を見ているのに気づいて慌てて隠そうと―――して止めた。真剣な表情で俺を見つめ、口を開いた。
「…アル……。アルは竜の腕ってヘンだと思いますか……?」
「ヘンじゃないよ。色も雪みたいできれいだし、カッコイイぞ」
ニヤリと笑いかけてやると、エリシアは嬉しそうに笑った。
ちょっと気になって、出しっぱなしのエリシアの翼に手を伸ばした。
「おお~~、ビロードのような肌触りだな(知ったかぶり)」
「ひゃふっ……アル、くすぐったいです…」
やっぱり(?)、翼にもちゃんと感覚があるらしい。
翼は、骨格の部分と膜の部分に分かれており、ビロードっぽい肌触りなのは膜のほう。
骨格のある部分は……普通に硬いな。
にしてもこの翼、エリシアの髪の毛と同じくらい触り心地がいいな…。
しかも、髪を撫でるとエリシアが嬉しそうにするのに対して、こっちはくすぐったそうにする。……むぅ、可愛い。
一体木の上で何やってんだという感じだが、これはやみつきになる。
手触りもそうだが、エリシアの反応が楽しい。
「そういえば、指輪のほうの翼も触ってみたいな……」
「……ひゃふ…じゃあ、いちど手をはなしてください…っ」
「むぅ、仕方ない」
翼から手を離すと、エリシアは何度か深呼吸してから竜翼を消して、いつもの翼を出した。実は前から触ってみたかったんだよな…。
「おお、ふわふわしてて気持ちいい」
「ふふっ。ありがとうございます、アル」
……こっちには感覚がないっぽい。残念だ。
俺は足元からルイネの実をまた一つ取って齧った。うん、甘い。
エリシアがそれを見ているのに気づいた俺は、わざと俺が齧ったほうを向けてエリシアの口元に差し出してみた。
「ほい、あ~ん」
「―――えっ、ア、アル!?」
「ほら、あ~ん」
「……あ、あ~~ん…」
エリシアが真っ赤になりながら食べるのを見て俺は笑みを浮かべる。
と、エリシアが実を強奪して今度はエリシアが齧った部分を俺の口の前に差し出した。
「アルもどうぞです……! あ~~ん」
「お、サンキュ。あ~ん」
何食わぬ顔でエリシアが齧ったところを齧る。
俺が全く恥ずかしがらないので、エリシアは「私って魅力がないんです…?」って顔になった。ちょっと泣きそうだ。
…むぅ、仕方ない。
「なぁ、エリシ―――へっくしょん!」
俺は盛大にくしゃみをしてしまい、鼻水が垂れた。…なんでこんなときに。
慌てて腕で拭うと、エリシアが心配そうに体を寄せてきた。
「アル、だいじょうぶです…?」
「いや、へーきへーき――――っくしょん!」
「アル…!」
エリシアが抱きついてきて、翼で俺を包み込んだ。
翼に包み込まれると、さすがに羽がいっぱいあるだけあって暖かい。
……それよりエリシアのほうが暖かいけど。
「……あったかい。ありがとな、エリシア」
「アル、頭いたかったりしないです…?」
「いや、だいじょう―――っくしゅ!」
「……アル、もどりましょう!」
エリシアは俺の腋に腕を通して、羽ばたきだした。
「ちょっと待て、大丈夫だって――――」
「――――だめです!」
俺は、そのままエリシアに強制的に屋敷の中に運ばれ――――。
エリシア曰く温めたほうがいいとかで、風呂場前の脱衣所に連行された。
「えーと、エリシア?」
「…はい、なんです?」
「風呂くらい一人で入れるんだが」
「……そうですけど、アルはお湯に10秒しか浸からないってリックお兄さんが言ってました!
私もいっしょにはいります!」
くっ、兄さんめ、余計なことを…!
エリシアは俺が風呂にロクに浸からないという情報を持っていたため、エリシアは俺がちゃんと温まるか見るために一緒に風呂に入ると言い出したのだ。
まぁ、タオル巻いて入ればいいんだけどな。自宅だし別にいいだろ。
そんなわけで、俺は諦めの境地に立って開き直った。
さっさと服を脱いでタオルを巻くと、エリシアは俺が風呂に入ってから服を脱ぐ気らしい。
俺に背を向けて座っている。ちっ、残念だ。
俺は、風呂場の戸を開けて中に入った。
前世とは比較にならないほど広いウチの風呂場は、貴族的にはそんなに広くも無いらしいが、俺的には「まじかよ…」ってくらい広い。もう慣れたけど。
全面大理石っぽいものでできた風呂場は、ホテルの大浴場くらいだ。
一体何に使う気なんだろうな?
いや、父さんと母さんが色々使ってたかもしれないが。
……俺は広い風呂場に妙にテンションが上がってきて(浄化魔法だけで済ませることも多いため)
足に魔力を集め、滑りやすい風呂場のタイルでスケートっぽいことをしだした。
タオル一枚で。
「おおっ、けっこういい感じに滑る……!」
無駄にスピンやステップを決めてから、勢いをつけて思い切り踏み切り、三回転半アクセルだ―――――ッ!
こっそり飛行魔法で補助し、見事に回りきって華麗に着地。
空中でタオルが取れるハプニングがあったが、別に平気――――。
と思ったのだが、入り口でエリシアが唖然としながら見ていた。
俺がタオルを巻きなおしてからエリシアをじっと見つめると、エリシアはびくっとしてから真っ赤な顔で風呂場に入ってきた。見てしまったようだ。
さては魔法を使って脱いだな。脱ぐのが早過ぎる。
「エリシア、一つだけ言っておくぞ」
「…えっ、は、はい……」
「…楽しいぞ」
「……アル…」
………
「――――いくぞエリシア!」
「――――はいっ!」
エリシアが踏み切るのに合わせ、俺が投げ上げてその勢いを後押しする―――!
エリシアは華麗に舞い上がり、くるくると回る。
これぞフィギュアスケート・ペアの必須要素 (らしい)スロージャンプだ―――ッ!
――――見えたッ!
色々と魔力で反則したため、高い天井付近まで舞い上がったエリシアの体に巻いたタオルの下の――――いや、語るまい。
エリシアはそのまま5回転くらい回ると、難なく着地してみせた。
日頃から曲芸っぽい飛行とかやってるだけあって、目は回らないようだ。
そう、結局二人でスケートしてたのだ。
……俺たちは風呂場でタオル一枚で何をやってるんだろうか?
エリシアもなんだかんだノリノリだし。
ま、いっか。楽しいから。
が、そのとき―――――。
「――――っくしょん!」
「――――アル…っ!」
そりゃあ、風呂に入らずにこんな馬鹿なことしてればくしゃみも出るよな。
エリシアが慌てて駆け寄ってくる。
「あー、平気へいき」
「…まだ体も洗ってないです……アル、はやくっ!」
エリシアに手を引かれて鏡の前に連れて行かれ、桶に座らされた。
なぜ和風な桶なのかは推して知るべし。父さんの趣味だ。
で、エリシアは石鹸は手に付け始めた。
「……えーと、エリシア?」
「…アルはちゃんと体をあらわないです」
「そんなことないぞ?」
「……アル、嘘ついてるときの声です」
「……なにそれ!?」
「アルが私を分かるように、私もアルのこと分かってます」
そう言って、エリシアは石鹸をつけた手で俺の背中を洗い出した。
いや、スポンジとかないから仕方ないといえばそうだが……いや、タオルに石鹸つけて洗えばいいじゃんか…!?
と、言おうと思ったが止めた。後で覚えてろよ…。
それより、エリシアは嘘をつくと顔に出るのですぐ分かるのは確かだが、俺が声に出るってのはなんだよ…!?
「なぁ、エリシア。適当に質問して俺の返事が嘘かどうか当ててくれよ」
そう言うと、エリシアは丹念に俺の背中を磨きながら楽しそうに言った。
「じゃあ……女の人の髪は長いのと短いのならどっちがいいです?」
「短いほう」
「嘘です」
即答だった。全く澱みない。
「……なんで分かる」
「あ、やっぱりあってるんですね…!」
エリシアはとてもうれしそうだ。なんか悔しい。
「…次の質問は?」
「えっと……かっこいい女の人と可愛い女の子ならどっちがいいです?」
俺は、思い切って声を変えて言ってみた。
「かっこいい、女の人(野太い声で)」
「嘘です」
……当たってやがる。というか、なんで俺の好きな女性のタイプの質問なんだよ。
まぁ、お互いに有益ってこと……なのか?
というかコイツ、自分に当てはまるタイプ以外嘘って言うつもりじゃないだろうな。
「次は?」
「……私のむねって、小さいですよね……?」
「そうだな」
「……そこは嘘でもそんなことないって言ってください…」
「いや、今のが嘘かもしれないぞ」
「……今のは嘘じゃなかったです」
……ほんとに分かってやがる。エリシアは拗ねたように言いながら俺の腕を洗い始めた。どうやら背中は終わったらしい。
「そういえば、質問形式じゃなくて俺から言っても分かるのか? マヨネーズが好きだ! とか」
「わかります。というか、誠司はマヨネーズのにおいを嫌がってましたよ?」
言われて見ればそうだな。んじゃ、経験から判断できそうにないこと……。
「んじゃ、俺は……えーと、ユキの下着を一枚盗んだんだ」
「……嘘でよかったです」
「あ、俺も言ってから今の嘘じゃない! って言われたらどうしようかと思った」
「……アルは無計画です」
俺の腕を洗い終わったエリシアは、俺の前に屈んで俺の胸のあたりを洗い始めた。
エリシアは真剣な顔で、丁寧に洗ってくれる。
その顔を見ていると、愛しさが込み上げてきた。
「なぁ、エリシア」
「…はい、なんです?」
俺はそう言ってエリシアをそっと抱きしめて囁いた。
突然抱きしめられたエリシアはちょっと驚いた顔になるが、嫌がりはしない。
「……大好きだよ」
「アル……、私もだいすきです」
エリシアの顔が幸せそうに輝き、俺とエリシアはどちらからともなく、そっと唇を合わせた。