第九話:過去の声
俺は、リザードに叩き落された勢いを利用して距離をとった。地表すれすれを皇都方面に向かって低空飛行する俺を追って、巨体のくせに俺と同等の速度でリザードが空を駆ける。
このままではキリがないことを悟った俺は、飛びながら<天照>と<アウロラ>を引き抜いて急速反転。リザードに向けて突っ込んでいく。
「―――――<疾風迅雷>!」
「グギャァァァァ――――ッ!?」
まさに疾風迅雷の速度で切り上げた<天照>と<アウロラ>が蒼い軌跡を描き、すれ違いざまにリザードの右腕と右翼を深々と切り裂いた。
(なんだ――――!?)
<天照>が異常な光を放っていた。重く垂れ込める蒼い光はまるで剣が泣いているような―――。
「ガァァァァ―――――ッ!」
「――――っ!?」
リザードが口を大きく開き、その喉から火球が放たれた。
「なろぅ―――っ!」
火球をコートと魔力装甲で弾いた俺は煙を切り裂き、リザードの顔面に双剣を振り下ろして――。
しかし、リザードに当たる寸前、<天照>の魔力光が吹き消されるように消え、鈍く輝く刀身はリザードの鱗に弾かれて鋭い音を立てた。
「グガァァァァァ―――――!」
「―――――ッ!?」
<アウロラ>はリザードの顔面を切り裂いている。この部位が特別硬いことはないはずだ。それに、<天照>のほうが普段は切れ味がいい。なんで――――!?
風を切り裂く音と共に迫る巨大な爪を<アウロラ>で切り落とし、<天照>では切断できずに受け流す。
やはり、<天照>の魔力光が無くなったのが原因なのか!?
そう、この間もこの剣の光が消えた。
無数の漆黒の槍と、生気の失せたエリシアの顔が頭の中に明滅する。
俺は知らぬ間に剣を硬く握り締めていた。
(――――まさか!? エリシアに何かあったのか!?)
咄嗟に<天照>にマナを流し込みつつ、俺は東へ全力で飛んだ。
しかし、リザードも光の翼を大きく広げて追いかけてくる。
「我は雷! 風よりも速く――――くそっ!?」
リザードが無数の火球を放ち、詠唱の中断を余儀なくされた。
自らを雷に変じて高速で移動する<サンダーミグラトリィ>は、飛行魔法以上に制御が難しく、剣にマナを注いで、高速で飛行し、なおかつ火球が飛び交う状況で使える術ではない。
「――――急用ができたんだよ! お前に構ってる暇はないんだ!」
自分から襲撃しておいて我ながら酷い言い草だと思うが、そもそもリザードに言葉は通じない。
徐々に俺との距離を詰めつつ、今度は熱線を放ってくる。
俺は、魔獣の森の中の鬱蒼と茂る木々の間を縫って、しかし速度は落とさずに飛んでそれを回避する。邪魔な木は<アウロラ>で切り飛ばす。
それでも、リザードは魔力を探知しているのか正確に追尾し、俺に<ミグラトリィ>を使えるだけの隙を与えてくれない。
新技が使えるだけの魔力もまだ溜まってない。
鈍く輝く<天照>に光は戻らず、俺の心には焦りだけが――――。
いや、焦りだけではなかった。
俺を邪魔するものへの煮えたぎるような怒りが俺の頭を灼熱させる。
「――――邪魔するんじゃねぇよ……」
俺の瞳が黒い輝きを――――。
『――――あり、がとう』
(エリシア!? いや、違う――――!)
頭に不思議な声が響くと同時に、<天照>が薄くだが白く輝きだし、俺の黒い輝きを消し飛ばす。
この声、この声は――――。
しかし、意識が逸れた俺を熱線が遂に捕らえ、叩き落された俺は凄まじい速度のまま魔獣の森の木に激突し、そのまま地面に背中から叩きつけられた。
リザードが追い討ちの熱線を放とうと口を開く。
(―――――しまった!?)
「―――――<シューティング・ブラスター>!」
「グギャァァァァ――――!?」
しかしその時、流星の如き光弾がリザードの顔面を直撃。リザードが苦悶の叫びをあげて意識が俺から逸れる。
「―――――アル! 大丈夫ですか!?」
「――――フィリア!? どうしてここに!?」
そう、実体化させた<シリウス>に乗ったフィリアが駆けつけたのだ。
「ごめんなさい、バカ兄様のせいで…。私も加勢します!」
フィリアが来た以上は押し付けて逃げるわけにもいかないし、<天照>はいつもより弱々しいものの、輝きを取り戻している。
速攻で倒すと心に決め、そして遂に、洞窟に入る前から溜めていた魔力が規定値に到達した。
――――いける、これなら使える!
「――フィリア、速攻で片付けるぞ!」
「――はい!」
―――――魔力全開……《イクスティア》!
「うおぉぉぉぉぉ―――――ッ!」
今までであれば、最大でも瞳と髪のみが銀に輝いていたのに対して全身に薄く銀のオーラを纏い、俺は咆哮した。
<白>と<銀>。俺は今まで、本気の時は<銀>でそれ以外は<白>と魔力を使い分けてきた。何故だろうか?
理由は簡単。<銀>魔力を使ってると疲れるからだ。
普通の魔力っていうのは、フェミル曰く古くなったマナを魔力にして使ってるとかで、(よほど使わなければ)実質的なマナの消耗はない。流れた汗を使ってるみたいな?
しかし、俺の<銀>魔力はマナをがっつり使ってる―――脂肪を燃やしてるみたいな?
すまん、喩えが分かりにくいよな。<銀>使ってるとマナがどんどん減ってくんだ。
で、<銀>魔力を一度に変換できる量は限られてるので(そんな一気に脂肪燃やしたりできないだろ?)、いつもは瞳が銀になるくらいの変化しかない。
しかし、もし全身を<銀>魔力で強化できたらどうなるのだろうか。
そうして誕生したのが固有魔法。
戦闘が始まったとき、もしくは少し前から魔力の変換を開始して発動する壮大な溜め技だ。溜める時間より持続時間が短い上に、リスクもあるが――――。
全身を<銀>魔力で強化した俺は、精霊憑依時以上の機動力を実現する。
俺の姿が銀の閃光となって掻き消え、あまりの速さに目では追いきれない俺の姿が、幾筋もの銀の雷となってリザードの周囲に輝き、その強固な鱗を確実に剥ぎ取っていく。
「――――は、速い!」
『フィリア! 俺が引き付ける間にデカイの頼む!』
あまりの光景に呆然とするフィリアに魔声で言うと(速過ぎて口は開けない)
フィリアは頷いて<シリウス>の魔力を解放する。
『永久の闇夜をも照らす根源の光――――』
集まりだす圧倒的濃度の魔力を恐れてか、リザードの注意が一瞬逸れた。
『――――何処を見ている!』
「グギャァァァ―――――!」
俺は<アウロラ>でリザードの左目を貫き、盛大に血が飛ぶ。そのまま引き裂き、勢いのまま左翼に<天照>を叩きつけ、幾度と無く切り込みを入れられていた左翼が耐え切れずに真っ二つになり、リザードが落下を始める。
『遅い――――! <極夜>!』
俺の速度が更に上がり、落下中のリザードの全身を切り刻む。何本もの銀の残像が交錯し、最早どれが俺でどれが俺の剣なのか、おそらくフィリアには分からないだろう。
リザードの右腕を切り落とし、翼をズタボロにする。しかし骨が硬く、致命傷を与えるにはいたらない。だが、もうフィリアの術が完成する。
俺が離脱するのを確認し、フィリアは詠唱を完成させた。
『我に仇なす者を、その光を以って殲滅せよ――――! <天狼滅夜>!』
フィリアの持つ精霊剣のほうの<シリウス>が目が眩むほどの青白い光を放ち、振り下ろされた。
現在の強化した俺と同レベルの速さの青白い巨大な衝撃波が、リザードの強靭な骨格すらも易々と真っ二つにし、大地を真っ二つにする。
一拍遅れて爆音が轟くほどの速さ。そして威力だった。
明らかに死んでいるが、一応降りて確認してから《イクスティア》を解除。
途端に凄まじい気だるさに襲われるが、急いで帰らなくては。
「アル、肝はとらないのですか?」
「――――悪い、家で何かあったかもしれないんだ」
もう<天照>は大丈夫そうに見えるが、気になって仕方がない。
そう言うと、フィリアは驚きつつも即座に返答してくれた。
「―――わかりました、これは私が届けておきますからアルは早く行ってください!」
「――――頼む!」
<シルフィード>が山に放置されているが、それどころじゃない。ごめんシルフ。
「我が体は雷、風よりも速く天を翔ける! <サンダーミグラトリィ>!」
自らの体を雷に変えた俺は、残った魔力を全て使って一直線に家を目指し、なんと数分でたどり着くことに成功した。
家の上空で飛行魔法に切り替え、蹴破るように玄関を開けて中に入り、なにやら慌てた様子のリリーと鉢合わせた。
「おいリリー! エリシアは何処だ!?」
「お兄ちゃん! エリーが大変――――って、え!?」
血まみれで、しかも慌てた様子の俺に呆然とするリリーを急かし、着いたのはエリシアの部屋の前だった。
俺は扉を蹴破らんばかりの勢いで入ると、目に入ってきたのは心配そうな父さんと母さん、そしてベッドで横になるエリシアだった。
いきなり開いたドアに父さんと母さんが驚いてこちらを見るが、エリシアは生気の感じられない瞳で虚空を見つめていた。
その様子に言いようのない恐怖を感じた俺は、ベッドに駆け寄りエリシアに声を掛けた。
「おい、エリシア…!」
驚くほど掠れた声が出た。一瞬、エリシアは反応しないかに見えたが、ゆっくりとこちらを向き、口を開いた。
「アル、私……。私は……」
震えた声で言うエリシアの瞳にじわじわと涙が浮かぶ。
「どうした、何かあったのか?」
その様子を見て俺は自身の不安を押し殺し、エリシアを落ち着かせようと優しく声を掛けるが、エリシアの涙は止まらなかった。
「うぐっ、ごめん…なさい……。ごめんなさい…!」
「どうしたんだよ、何があっても怒ったりしない。だから落ち着けよ、な?」
「わからない…。わからないんです……!」
「大丈夫だよ、わからないなら俺が一緒に考えてやる。俺でダメならリリーだって、父さんだって、母さんだっているんだ。だから落ち着け」
「駄目なんです…。こんなの、私……!」
「大丈夫だって―――」
俺は少しでも落ち着かせようとエリシアの頭に手を置こうとしたのだが、エリシアは怯えるようにその手を避けた。
エリシアはそんな自分の動きが分からないというような顔で、涙に濡れた顔をさらにくしゃくしゃにした。
「ちがっ、ちがうんです……! わたし、わたしは……!」
「こんなことじゃ怒ったりしないって。そうだろ?」
俺は胸に走った鋭い痛みを無視して笑いかけるが、エリシアはそんな俺の笑いが無理していると分かってしまったらしい。
エリシアは何かを恐れるような表情になった後、俯いて啜り泣きながら、掠れた声を絞り出した。
「ごめん、なさい……。しばらく一人にしてください……」
初めてエリシアから掛けられた拒絶の言葉だった。
俺は心に隙間ができたかのような、なんとも言えない感情を押し殺して立ち上がり、ドアのところまで行って、立ち止まった。
俺の隣に来た父さんが何か言いたそうだったが、母さんが父さんを押して先に部屋を出た後、俺はエリシアに向かって口を開いた。
「…エリシア。俺は怒ってなんかないし、こんなことでエリシアを嫌いになったりしない。だから、何かあったら…もし俺になにかできることがあったら呼んでくれ」
「…アル……」
囁くような声。
それでも返事があったのが嬉しくて、今度は無理せずに笑いかけられたと思う。
そう、俺はこんなことでエリシアを嫌いになったりしないし、エリシアだってきっと―――。
ひとまず俺は、父さんたちに状況を聞くべく、おそらくみんな集まっているだろう書斎に向かった。




