第六話:料理をする際は安全に十分気をつけましょう
俺は逃げ損ねた。フィリアより早く起きて脱走するつもりだったのだが、想像以上に疲れていたようだ(いつもの俺は起きないだけで、起きられないわけではない)。
目が覚めたとき既にフィリアは起きていて、ニコニコしながら俺の寝顔を眺めてやがった。ちょっと悔しい。
それでも、なんとかフィリアと寝たのがバレることはなく、再び皇様とフィリアとフィリス皇太子と朝食をとった。なぜか皇太子の機嫌が直っていて、俺は不吉な予感を覚えた。
そして案の定、俺は皇様の部屋に呼びつけられた。俺と皇太子と皇様だけ。フィリアはなんか、朝風呂だってさ。
で、皇太子殿が口を開いた。
「悪いが、薬を取ってきてもらいたい」
ほんとはもっと長ったらしい話だったのだが、面倒なので俺が要約する。
なんか、ディオティス山に皇家秘伝の薬の原料があるんだってさ。なんか万能薬らしい。
俺もバカじゃないから、なんか嵌められてるのは分かるんだが、人助けと言われちゃ黙っていられなかったのである。
そんなわけで俺は今、皇都でお買い物中である。フェミルの情報だと巨大なワイバーン出没中らしいし。というか、薬ってドラゴンもどきの肝らしいし。
ドラゴンもどき――――Sランク魔獣<ディザスト・リザード>は、ドラゴンっぽい外見というか、ドラゴンにしか見えないらしい。なんかよく違いが分からなかったのだが、エリシアに言わせると鰤と鯖くらい違うらしい。やっぱりよくわからん。
でもまぁ、エリシアの同族とか思うと戦いにくいのでドラゴンもどきで。
ワイバーンとドラゴン(もどき)はどっちが強いのかよくわからないが、とりあえずワイバーンは無視してドラゴン(もどき)とだけ戦ってみようと思う。
まぁ、やるだけやってみるさ。8割方勝てないけどな。
シルフとアウロラがいればまだ勝機はあるんだが。もしくは、エリシアか兄さん。フィリアは立場上厳しいだろうし、ローラはどこにいるのかわからん。リリーは戦闘要員じゃないし。
でも、エリシアをドラゴン(もどきだが)と戦わせるのはちょっとアレだし、兄さんは確かデートの予定があったはず(兄さんはデートだと思ってないが)。
そんなわけで、やるだけやってみるさ。何かあっても逃げるくらいはできるだろ。新技も一応あるし。アレはできれば使いたくないが。
というわけで、適当に食料とかを買い足していると、見慣れた後姿を見つけた。
驚かしてやるべく、こっそり近づき、首筋に息を吹きかけてやった。
「――――ひゃぁ!?」
その相手――――リリーは飛び上がって驚き、俺に気づくと恨めしそうな目で見てきた。
「なにするのよ、お兄ちゃん!?」
「それはこっちのセリフだっ! よくもフィリアに妙な話を吹き込んだな!」
「…へ?」
「へ? じゃねぇよ、おかげで大変だったんだぞ!? 俺がエリシアと一緒に寝たとか!」
「あー、そういえば愚痴っちゃったかも」
「…皇女様相手に愚痴とは、なかなかやるな。我が妹よ」
「お兄ちゃんに言われたくない! …って、まさか一緒に寝たの!?」
「…強引にな。お前のせいだからな…」
「えー、どうせ断れなかったんでしょ?」
「……原因が自分にあるのは認めないのか?」
「いや、原因はお兄ちゃんの日ごろの行いでしょ。胸に手をあてて考えてみてよ!」
「……いや、俺はむやみやたらと人助けをしたがる以外普通だと思う」
真面目に答えたつもりだったのだが、リリーに心底呆れた目で見られた。なんだよ!? 俺ってそんなに日頃から何かしてるか!?
ちなみに、人気のないほうに移動しながら話しているので周囲の人には最低限の迷惑しかかけてないぞ。
「いい、お兄ちゃん。まずエリーにけっこうな頻度でご飯つくってもらってるでしょ?」
「あー、夜食とか間食とかな。でも、ちゃんと運動してるから太らないぞ?」
「お兄ちゃんの体重の話じゃない! エリーはお兄ちゃん以外に料理はしません!」
「えー、頼めば作ってくれるんじゃね?」
「確かにそうだけど、お兄ちゃんのときと明らかにやる気が違うもん。おにぎりとコロッケくらい?」
「主食とおかずの違いか?」
「コロッケ大変なんだからね!? 爆発するんだから!」
「…粉塵爆発か? さては小麦粉をばら撒いたな」
粉塵爆発とは、空気中に可燃性の粉末状のものが充満してたりするときに火がつくと爆発したりする現象だ(ってゲームで見た)。けっこう危ないらしい。
「ううん、小麦粉じゃなくてコーヒー」
「…コロッケだよな?」
「うん」
この妹はどうやってコロッケを作っていてコーヒーをばら撒いたのだろうか。というか、コーヒーで粉塵爆発なんて起こるのか?
「そっか…。リリー、大変だな」
「うん…。って、そうじゃなくて! お兄ちゃんの日頃の悪行についての話でしょ!?」
「はぁ…。わかったわかった。エリシアにはなんかお礼の品物でも贈っておくよ」
「……それも悪行なのに」
「え、なんか言ったか?」
「もういいいや。お兄ちゃんだし」
「…なんとなく馬鹿にされてるのは分かるんだが」
「ううん、諦めただけ。ところで、なんだか荷物多いけどどこか行くの?」
「あー、ちょっとディオティス山にトカゲ退治かな?」
「…クエスト? お兄ちゃんなら平気だと思うけど気をつけてね?」
「おう! そんじゃ、またな!」
「うん、またね!」
話してる間に、いい感じで西門にたどり着いたので、俺はリリーと手を振って別れ、門を出た。
皇都を出てすぐのところには草原が広がり、少し歩くと『迷いの森』と『魔獣の森』がある。『迷いの森』については、もう名前で分かりそうなので説明省略。
そして、草原の彼方に見える『魔獣の森』のさらに遠くに『ディオティス山』はある。そこそこ遠い。共和国に行くよりは近いが。
なにはともあれ、面倒なことはさっさと終わらせるに限る。俺は魔法で移動することに決め、体内のマナと魔力の残量を軽く確認する。
「…うわぁ。昨日使いすぎたかな…」
残り4割といったところか。出発前から体力が黄色とはこれいかに。
どっかの誰かさんと違って、俺は3日ほど休まないと全回復はできない。人間の割にはかなり速いとフェミルが言ってた気もするが、誰かさんは1日あれば元気になるからな。
なにはともあれ、普通に飛んで移動するか。<サンダーミグラトリィ>は雷になって移動するので滅茶苦茶速いが、その分燃費が悪いのだ。
「疾風の翼よ、この背に宿れ! <ウイング>!」
俺は、一気に100mほど上空に舞い上がり、ちょうど吹き始めた西風にのって、ひとまず魔獣の森を目指した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
エリシアは悩んでいた。
よく考えれば、アルが何も言わずに出て行ったのはエリシアがうっとおしくなったとかじゃなく、偶然忘れていただけだろう。
…もしくは、怪我が完治してないから止められると思ったか。
アルが止めても聞かないのは知っているから、もし言ってくれれば(強制的に)治療してから行ってもらったのに。
本当は自然回復の方がいいのだが、アルの魔力に対する順応力は目を瞠るものがある。それに、私も伊達に(アルにはいつも忘れられているが)白竜じゃない。治癒は十八番なのだ。
問題は、これからどうするか。
アルがどこに行ったのか分からないし、アルのことだから気分で人助けをしてまわっているか、偶然知り合いの女の子に会って、その子が困っていたから助けてあげたら、家に泊まるように言われて断れずに何故か一緒に寝て、今は新しい面倒事にでも巻き込まれているのだろう。そうに違いない。
アルが他の女の子と一緒にいるのは、ちょっと…いや、かなり寂しいけど、アルはあれだけ他の人の為に頑張っているのだから、好かれて当然だろう。別に気にしてない。うん、気にしてないです。
そんなことを考えていると、また無性に悲しくなってきた。私は服の袖で目の辺りを拭ってから、とりあえず顔を洗って気分を変えることにした。
顔を洗って幾分かスッキリした私は、さすがにお腹がすいたので(昨日は何も食べてないから)厨房に行って、何かないか探してみることにした。
厨房には先客がいた。お母さんがお昼ご飯の準備をしていたのだ。お母さんは最近お腹が大きくなってきているのに。お母さんは、私を見て寂しそうに笑った。
「ごめんね、エリー。アルが全く気が利かなくて…」
「大丈夫です。ちょっと焦っただけですから。それより、お母さんは大変なんですから休んでください! 私がやります!」
私が包丁を取りつつ言うと、お母さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ふふっ、エリーにアル以外のご飯がつくれるのかな~?」
そう言われて、私は顔が真っ赤になるのを感じつつ、大根をものの数秒で短冊切りにした。その話はもうしないでほしいのに。私は口を尖らせて反論した。
「お母さんだって、お父さんの好きな食べ物だと気合が入ってます!」
「あ、バレちゃってた?」
そう、大体みんなの好きな食べものを順番に作るのが、この家の晩御飯なのだが、お母さんは、お父さんの好きなビーフシチューだと、いつもより気合が入っている気がする。いや、私と違ってちゃんとみんなのときも完璧にこなしているけど。
「とにかく、お母さんは休んでください! …もうすぐ生まれるんです?」
「そうね。ふふっ、弟と妹ならどっちがいい?」
そう、学校から帰ってきたら、お母さんのお腹が大きくなっていたのだ。4人でものすごくビックリした。まさか、こんなに年の離れた弟ないし妹ができるとは思わなかった。
でも、やっぱり弟か妹なら――――。
「…弟がいいです」
「あら、どうして? ひょっとして弟がほしかったの?」
「妹が嫌なわけじゃないです。でも、アルが…」
「あ~…」
アルはお父さんとお母さんの本当の子どもじゃない(私が言えたことではないけど)。つまり、今度生まれるのは義理の妹か弟。アルなら確実に好かれるだろう。
『わたし、おおきくなったらお兄ちゃんのおよめさんになる!』
『あー、もっと大きくなったらな?』
『うん!』
きっとこんな感じ。アルは小さい子どもとか好きみたいですし(変態的な意味ではなく、世話好きとかの方面で)。ただでさえ学校でアルはモテモテですし(本人は自覚0だが)、もし全く構ってもらえなくなったらとても悲しい。あと、少し羨ましいです。
…アルが帰ってきたら、少し甘えてみようか。嫌がられはしないはず…です。
子どもが生まれるときは何が起こるか分からないらしいですし、何かあっても私の治癒術なら即死じゃなければ治せるから、もうすこしアルが帰ってくるのを待つことにしよう。
それに、もしアルに何かあれば必ず分かるから。
「とにかく、今日のご飯は私が作りますから、お母さんは座ってて下さい!」
「…可能な限り、あの人のご飯は私が作りたいんだけど…」
「ダメです! 私に指示してください。私が代わりに動きます!」
「エリーもアルのご飯は自分で作ってあげたいでしょ?」
「……妊婦さんはダメです!」
「え~。エリーが妊婦さんになったときも、やっぱり作りたいと思うわよ?」
「――――そ、それでもダメです! 赤ちゃんによくないかもしれないですよ…?」
「あらあら、真っ赤になっちゃって。可愛いわね~」
「――――うぅ~~!」
「ふふっ、ごめんごめん。大人しくしてるわ」
私は、うっかり指に包丁を振り下ろしてしまった。咄嗟に魔力で防御したので指は切れなかったが、包丁が折れた。
そのあと、なんとか無事に魔法で修理できたが、アレはまるで私が固すぎて包丁が折れたようにしか見えなかった。
…アルに見られたら、しばらく立ち直れないところだった。