ホワイトデーのマドレーヌ
ホワイトデー当日、隼人は自宅のキッチンで焼き上げたマドレーヌを袋に入れていた。
袋の口をリボンつきのワイヤータイで絞り、小さくカットしたメッセージカードを添える。
そこには『ありがとうございました』と一言だけ書かれていた。
隼人の誠実さがその丁寧に書かれた文字に表れている。
カフェに出勤した後、勇太に言われた通り袋に入ったマドレーヌの写真を撮る。
写真には、次の言葉を添えた。
『本日ホワイトデー、心を込めてマドレーヌを焼きました。珈琲をご注文いただいた先着20名様にお配りします。……誰かに届くことを願って。 店主』
「さてと……これで投稿っと。」
指先が動く。
隼人の撮ったマドレーヌの写真はInstagramに直ぐ様ポストされた。
投稿を見た人々が、開店すると同時に次々とカフェにやってくる。
配られるマドレーヌを受け取った人たちは、
「美味しそう。」
「店長の手作りだなんて信じられない」と喜ぶ中、隼人は結衣がやってくるのかどうか気を揉んでいた。
カゴの中のマドレーヌが15個、13個……と減っていく。
結衣はあの投稿を見ただろうか?
隼人は珈琲を淹れながら、机を片付けながら、時々そう思っては手を止めて窓の外を眺めていた。
結衣は学校でカフェのInstagramの投稿を見ていた。
「誰かに届くことを願って」という言葉に一人ドキドキして舞い上がっていた。
「良いなぁ。隼人さんの焼いたマドレーヌ。
もしもらえたら、夢みたいだなぁ……。
でも、すぐにはお店に行けないんだよね。」
結衣の高校は、今日が卒業式だったのだ。
卒業生として出席する結衣は、ほとんどマドレーヌをもらうことは諦めていた。
それでも、卒業式終了後、友人たちが名残惜しそうに集まって写真を撮る中、結衣は、
「ごめんね、私これから行くとこがあるから、先に帰るね。」
と両手を合わせて謝り、そのまま学校を後にした。
「結衣、どこに行くんだろうね?あんなに急いで……。」
「本当に。今日が最後なのにね。」
と友人たちは、呆気にとられて結衣の後ろ姿を見送っていた。
結衣は始めは普通に歩いていたが、途中からカフェに向かって走り始めた。
制服のスカートが風に揺れる。
歩道を踏むたびに胸の鼓動が速くなる。
マドレーヌ、まだ残っているかな?
結衣はその一点だけで頭をいっぱいにして走り続けていた。
その頃カフェには、隼人のことが気になっていた勇太と咲耶も来ていた。
「結衣ちゃん、来るかな~。」
咲耶の言葉に
「インスタを見てたら、俺は必ず来ると思うんだけどね。」
と勇太はまるで確信を持っているかのように答えた。
そして……
ある少女がカフェの扉を開けて入ってきた。
制服の胸には赤いバラのコサージュを付けている。
走って来たのか息を切らしていたが、少し息を整えた後、少女はカウンターにいる隼人まで近づいていった。
「あの……。」
隼人が顔を上げる。
咲耶は、「勇太君、あの子……。」と勇太に囁いた。
「うん、きっと結衣ちゃんだよな。
俺が思ってた通り可愛い子だな。」
と勇太も小声で言って頷いた。
「は、隼人さん、マドレーヌ、まだありますか?
それとも……終わってしまいました?」
「あぁ、結衣ちゃん、来てくれたんだ。」
隼人の顔がパッと明るく輝いた。
「マドレーヌ、20人分、終わってしまったんだけど……。」
そう言いながら、結衣に渡すマドレーヌの袋を探している。
「やっぱり……。」
結衣は失望のあまり、みるみる顔色が変わってしまった。
そんな結衣の様子に驚いた隼人は……
「はい、結衣ちゃんの分。」
と言ってマドレーヌの袋を結衣の目の前に置いた。
「えっ!これって……。」
結衣が驚きの声をあげる。
「うん。結衣ちゃんの分だよ。」
隼人がにこやかに言う。
「どうして?もう、なくなっちゃってたんですよね。」
「いや、もともと結衣ちゃんの分は別にとってあったから。
これは、結衣ちゃんが僕にくれたチョコのお返し。」
「そうなんですかっ!」
結衣は半ば泣きそうになりながら、マドレーヌの袋を手に取り、胸に抱き抱えた。
マドレーヌの甘い香りがふんわりと漂う。
「結衣ちゃん、今日は制服だね。
それにその花……もしかして、卒業式だった?」
「はい。」
結衣はこくんと頷いた。
制服の胸元のバラが微かに揺れる。
「卒業、おめでとう。」
隼人が爽やかな笑顔を浮かべるとお祝いを述べた。
「あの……。あの……。」
結衣が上ずったような声をもらし、真っ赤になっている。
「どうしたの、結衣ちゃん。」
隼人が少し身を屈めて優しく結衣に問いかける。
「隼人さんの笑顔が……あまりに素敵過ぎて……。」
そこまで言うと感激のあまり結衣はもう、何も言葉が続かなくなっていた。
「おい、隼人。
お前、それ、反則だろ。全く罪作りな男だな。
結衣ちゃん、感激して固まっちゃったよ。」
そう言いながら、勇太が後ろから二人に近づいてきた。
結衣がびっくりしたように勇太を見ている。
「勇太君、いきなり変なこと言ったら結衣ちゃん、驚くでしょう。」
口元に手を当て、笑いを堪えている咲耶。
静かに歩いて来て、咲耶は勇太の隣に立った。
「あの……あなた方は……。」
遠慮がちに結衣が尋ねた。
「ごめんね、驚かせて。俺は、隼人の友だちの林田勇太。」
「私は、隼人の妹の咲耶です。初めまして。
隼人から結衣ちゃんのことは聞いていて……。
今回、隼人は結衣ちゃんを探すためにこのお店のインスタを始めたのよ。」
「隼人さんの……お友だちと妹さん?」
結衣は目を大きく見開いて二人を見た。
「私を探していたんですか?」
「うん、隼人の奴、君の連絡先聞いてなかったから、ホワイトデーのお返しが渡せないって困ってたんだよ。」
勇太が隼人をチラチラと見ながら言う。
「それで、Instagramを始めたってわけ。
でも、フォロワーが増えすぎちゃって結衣ちゃんがフォローしてくれたかどうかもわからなくて……。
隼人、あなたが今日来てくれるか心配してたのよ。」
咲耶の説明に
「そうだったんですか……。
私のためにInstagramを始めたなんて知りませんでした。」
結衣は呆然としていた。
「二人が勝手に説明しちゃったけど……。
そんなわけで、今日、結衣ちゃんが来てくれて良かったよ。
あのチョコ、美味しかったよ。ありがとう。」
隼人が穏やかに結衣に言葉をかけた。
「そんなこと言ってもらえるなんて……私、今日ここに来られて本当に良かったです。」
結衣は感無量という感じで隼人を見つめていた。
「今日は、結衣ちゃんの卒業祝いしなきゃな。
隼人に何でも頼んで。こいつの奢りでパーティーしよう。」
勇太が調子よく話し始めた。
「バーティーなんて……。」
結衣はそう言いながらこの三人の輪の中に自分も入れてもらえたのが凄く嬉しくなってきた。
それにしても隼人さんの妹さんの咲耶さんて……
凄く綺麗ーー。
結衣は隼人によく似た咲耶のことを眩しそうに見つめていた。
咲耶は結衣の気持ちなど何も知らずに隼人の隣でキラキラとした笑顔を振り撒いている。
結衣が席に座ると咲耶が隼人からおしぼりを受け取り、結衣の目の前に置く。
メニューを隼人が持ってきてテーブルに置くと自然に咲耶がメニューを開き、「どれにする?」と結衣に尋ねる。
阿吽の呼吸で動く咲耶と隼人。
それは、正に無意識のなせる技だった。
勇太は隼人と咲耶を見つめている結衣を見て、何となく先行きに不安を感じていた。
結衣ちゃん、隼人を好きなんだろうけれど……このまま頑張れるかなぁ。
こっそりそう思いながら、勇太は笑顔を作り、結衣の前にカフェのケーキや珈琲を甲斐甲斐しく運んだ。
結衣は、嬉しそうに笑っている。
そんな結衣を自分の妹のように優しく見守る咲耶。
隼人もやっとホワイトデーのお返しを渡せてホッとした表情を見せている。
勇太は、そんな幸せそうな三人を見ながら佐織に向けて、『任務完了』とラインでそっとメッセージを送った。




