すれ違う午後
Instagramが公開されてから、カフェ・エスポワールの平穏は一変した。
「……いらっしゃいませ。あっ、はい、ブレンドですね。少しお待ちください。」
隼人は引きも切らずに訪れる客を前に、ひたすら珈琲を淹れ続けていた。
客のほとんどがスマホを手に、コーヒーカップやケーキを写したり、時折隼人自身を撮ろうとこちらにカメラを向けてくる。
「申し訳ありません、写真はちょっと……。」
隼人が気づいた時は、お客さんにやんわりと断りを入れているが……気がつかないうちに撮られたケースもあるようだ。
勇太の言った通り、隼人の写真は凄まじい反響を呼んでいた。
「隼人、あっちのテーブル片付けたぞ! 」
人手が足らず、日曜日の今日は、勇太が助っ人として駆り出されていた。
「それにしても、俺の作ったInstagram、バズったな。」
「バズる?」
「うん。こうしている間にもどんどんフォロワーが増えてるぞ。」
「そうなんだ。勇太、スマホいじってないで、あそこのお客さんからオーダー取ってきて。」
「はいはい。」
勇太がその場を離れる。
扉が開き、常連客の一人がやってきた。
初老の男性、飯倉さんだ。
「今日は、ずいぶん混んでるみたいだね。
若い女性の人でいっぱいだ……。」
「いらっしゃいませ。すみません、落ち着かなくて。」
「いや、僕のことは気にしないで。」
飯倉さんにいつものブレンドコーヒーを出す。
「何か、Instagramをやり出したら、お客さんが急に増えてしまって……。」
「Instagramね、僕も実はやっていてね。
お店のインスタ、フォローしても良い?」
「えっ、飯倉さんもインスタ、やられているんですか?」
「うん、最近趣味で始めた水彩画、載せてるんだ。」
「えっ、見せて下さい。
わぁ~っ、お上手ですね。これは、どこの風景ですか?」
「あぁ、去年行った伊豆の海。」
「良いですね~、白い波が立っている感じ。
空も綺麗ですし……。良いご趣味ですよ。」
「本当にそう思う?」
嬉しそうに飯倉さんは笑った。
飯倉さんはそのままスマホの画面を触っていたが、カフェのInstagramを見つけたらしい。
「あった、あった、これがカフェのインスタか。
君もなかなか男前に撮れてるね。これじゃ、人気が出ちゃうわけだ。」
「いえ……友人に頼んだら、勝手に写真や動画を載せられてしまって。」
「良いじゃない。きっかけはどうであれ、この店を知ってもらうのは悪くないよ。
僕もこの店、好きだし……。
君と話していて、何となく僕も何かしたくなったんだよ。」
「本当ですか?」
「うん。」
飯倉さんは、珈琲を飲みながら満足そうに頷いた。
そして……
「ありがとう。」
隼人の目をじっと見て飯倉さんがお礼を言ってくれた。
「いえ、僕は何も……。」
数ヶ月前にこの店にやってきた時の飯倉さんとは、雰囲気が少し変わっていた。
何もやることがないって言われていたけど、好きなことが見つかったんだな……。
隼人は胸のあたりがじんわりと温かくなった。
人が途切れた時間帯に勇太と隼人は休憩に入った。
カウンターで小さな椅子に腰掛けながら、二人でサンドイッチを食べる。
自分たちのために淹れた珈琲を飲みながら、隼人は小声で勇太に尋ねた。
「そういえば結衣ちゃんのアカウント、見つかった?」
「いいや。」
首を振る勇太。
勇太は、スマートフォンの画面を高速でスクロールしながら
「ダメだ……。昨日の夜で3000人超えちまったよ。」と呟いている。
「3000人……?」
「そうだよ。お前の『珈琲を淹れる動画』がリールで回っちゃってさ。通知が止まんない……。
今の勢いだと、結衣ちゃんがフォローしてくれてたとしても、秒速で通知が下に追いやられて、もうどこにいるか分かんないよ。」
「そんな……。」
隼人は、自分が淹れた珈琲の湯気を見つめた。
お店を宣伝し、結衣と繋がるために始めたInstagram。
しかし、その数字が増えれば増えるほど、たった一人の少女の気配が、三千人という巨大な群衆の中に溶けて消えていくような気がした。
「……三千分の一、か。見つかる確率。」
「『YUI』とか『結衣』ってアカウントが多すぎるし。
投稿写真も風景だったりペットだったりして、特定できないよな、これじゃ。」
「せっかくインスタを作ったのに、一番届けたい人に届いてるか分からないなんてな。」
がっくりと肩を落とす隼人。
隼人は、入り口のドアが開くたびに視線を走らせたが、そこにあの遠慮がちな結衣の姿はなかった。
どうしたら、ホワイトデーのお返しを結衣に渡せるのか……
いくら考えても、隼人にはこれ以上、良い考えは浮かんでこなかった。
勇太が見かねてアイディアを出してきた。
「まぁさ、もうあと数日でホワイトデーだし、お返しの品を多めに作って写真に撮ったら?
で、インスタに投稿したら良いよ。
先着20名様とか何とか書いて……。」
「それで?」
「そうしたら、結衣ちゃん、多分店に来るんじゃない?
結衣ちゃんの分は別にちゃんととっておくんだよ。」
「なるほど……。勇太って頭良いな。」
「今さら気がついたの?」
勇太は腕組しながら、得意げに隼人を見た。
森咲結衣はと言えば……
今から一時間程前、カフェの向かい側の歩道で、立ち止まっていた。
やっぱり、すごい人。
隼人さん、あんなに忙しそうじゃ、私が行っても迷惑かな……。
一人でカフェを遠巻きに見ながら結衣は通りを渡る勇気も出せずにいた。
窓越しに見える隼人は、以前の静かな時間とは違う人気店の店長の顔に見えた。
実際はただ忙しく、余裕がない顔だっただけかもしれないが、結衣にはそうは見えなかった。
カフェの人気が出たのは嬉しいはずなのに、どこか隼人が遠くへ行ってしまったような寂しさが胸をかすめる。
結衣は結局、店に足を踏み入れることなく、リュックの肩紐をギュッと握りしめてその場を立ち去った。
少し陽が傾き、午後の日差しが結衣の背中を照らしていた。
その夜、隼人は自宅のキッチンに立っていた。
横には、いつもカフェに並べるケーキを焼いている母親の由紀がいる。
「へぇ、隼人がお菓子作りなんて珍しいわね。ホワイトデーのお返し?」
由紀が楽しそうにボウルを準備しながら尋ねる。
「……うん。バレンタインに、チョコをもらったから。その、女子高生の子に何かお返ししようと思って。」
「そうなのね。」
「母さん、マドレーヌの作り方を教えて欲しいんだ。彼女、珈琲とカフェのお菓子もいっしょに頼んでいたみたいだからさ。
甘いもの好きなんじゃないかなと思って……。」
「いいわよ。」
由紀は微笑みながら、バターを溶かす手順を教え始めた。
「マドレーヌにはね、『あなたともっと仲良くなりたい』っていう意味があるのよ。貝殻が二つぴったり合わさる形からきてるんですって。」
「へぇ……そんな意味が。」
隼人は、黄金色に溶けていくバターを見つめながら、慣れない手つきで粉をふるった。
「母さんのケーキみたいに上手くはいかないかもしれないけど……彼女も手作りのチョコをくれたから、俺も自分の手で作って渡したいんだ。」
「いいじゃない。一生懸命作ったものは、ちゃんと気持ちも伝わるものよ。」
オーブンから甘い香りが漂い始める。
隼人は、焼き上がったマドレーヌを一つ一つ丁寧に網に乗せながら、まだ見ぬ結衣のアカウントに向けて、いつか届くはずのメッセージを考えていた。




