小さな恋の予感
結衣と野崎は、サークル活動に使う絵本を探しに大学の図書館へ向かっていた。
次回の活動では、子どもたちに絵本の読み聞かせをする予定になっている。
「この辺りかな……」結衣は棚の間を行き来しながら、一冊ずつ指で確かめるように本を探していた。
野崎も同じ棚の前で本を選んでいる。
ふと、二人の手が同じ本に触れた。
「あっ、ごめん!」結衣は慌てて手を引いた。
「いや、こっちこそ……。」
野崎も驚いて本から手を離し、気まずそうに結衣から視線をそらす。
ほんの一瞬の出来事だったが、二人の間に特別な空気が流れた。
「あ、あの……。この本、読んでみる?」
結衣の問いかけに
「……うん。」と野崎が頷いた。
本を手に取り、二人は窓際の椅子に腰を下ろした。
夏の日差しが柔らかく差し込み、結衣のページをめくる手元を照らす。
「子どもの頃、絵本を読んでもらったりした?」結衣が聞く。
「うん。小さな頃は母さんが読んでくれた。
妹たちが生まれてからは、俺がよく読み聞かせしてたかな。」
野崎は少し目を伏せ、穏やかに答えた。
「妹さんたちと仲良しなのね。」
「そうだね。でも年が少し離れてて。
父親も違うから、子どもの頃はちょっと俺自身、落ち着かない時期もあってさ……。」
「えっ、そうだったの?」
「まぁ、絵本を読み聞かせる時は妹たちが喜んでくれるから、俺も楽しかったよ。」
結衣は、野崎の言葉の端々に小さな寂しさを感じた。
彼は年下の妹たちに優しく接してきたんだな……。
小さな妹たちに本を読み聞かせる野崎の姿が結衣の脳裏には浮かんだ。
「結衣ちゃんは?」
「私は、母に読んでもらうことが多かったかな。
とても安心できる良い時間だった。
だから、私は絵本が好き。」
「俺も絵本、好きだよ。」
二人の会話は自然に、子ども時代の思い出や家族の話へと広がった。
結衣は、野崎の中にある優しさや繊細さに気づき、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
彼は、苦労してきた人かもしれない。
全然知らなかった。
しっかりした人だとは思っていたけれど、時々見せる寂しそうな表情は誰にも見せないようにしてきたんだろうな。
野崎の横顔を見ながら、何とも言えない気持ちになった。
彼が寂しい時には私が隣にいてあげたい--。
結衣はふとそう思ってしまった。
「じゃあ、読み聞かせには、この絵本にしようか?」
「あ……うん。」
野崎の声に結衣は我に返った。
二人は立ち上がり、受付に行って絵本を借りる手続きをした。
外に出ると蝉の賑やかな声が聴こえてきた。
「結衣ちゃん、この後どこかでかき氷でも食べようか。」
「そうだね、そうしよう。」
二人は並んで歩き出した。
大学構内の桜並木は、緑の葉が青々と生い茂り、風に揺れている。
結衣の胸に芽生えたばかりの温かな感情は、少しずつ育っていくのかもしれない。
「直也君。」
「えっ、何?」
「かき氷のシロップ、何味が好き?」
「う~ん、俺はイチゴかな?
あっ、でも抹茶も好きかも。」
「私もイチゴ、好き。確かに抹茶も捨てがたいよね。」
そう言って二人は、楽しそうに笑い合った。
こうして、二人で過ごす初めての夏が始まったのである。




