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親子アートデーの魔法

隼人は、勇太が帰った後、結衣のことをしばらく考えていた。


勇太によると……

結衣ちゃんは、エプロンまで作って俺に好意を寄せてくれているらしい。

でも、俺は……

俺はどうなんだろう?


まだ、彼女から告白されたわけではないけれど、もし、そうなったとしても彼女の気持ちに応えることはできないと思う。

彼女が嫌いなわけではない。

結衣ちゃんは、俺から見ても本当に良い子だ。

そして、野崎君も。


二人のために何かできないかな?


隼人は、何かを思い付いたように咲耶にラインで連絡した。

『ちょっと相談があるんだけど、明日カフェに来れる?』


すぐに返信が来た。

『了解。明日、夜7時頃なら行かれそう。』


「これで、よしっと。

帰ったら、母さんにも相談してみよう。」


隼人は、エプロンを外すと畳んで椅子にかけた。


このエプロンを作ってくれた結衣ちゃんの気持ち、大切にしないとな--

そう思いながら、帰り支度を始めた隼人。


カフェの扉を開けると少し湿り気を帯びた空気を感じた。

今年も梅雨明けしたら、暑くなりそうだな。

そんなことを思いながら、隼人は夜の街を歩き出した。



それから、半月程経ち--

カフェで『親子アートデー』が開催される日がやって来た。


当日は、朝の光が大きな窓から差し込み、エスポワールのテーブルを柔らかく照らしていた。


その光の中を、子どもたちの小さな声が弾む。

「ここの色って、何で塗るの~?」


「あっ、そこはクレヨンでもアクリル絵の具でも良いよ。

どれが良いかな? ここから選んでみてね。」

結衣が子どもたちに、画材を見せて選ばせている。


今日は、自分たちでランチョンマットやコースターを作る予定だ。

出来上がったら各自、作品を持ち帰ってもらう。


隼人は、入り口近くで受け付けをしながら、保護者たちに頭を下げている。

白いシャツの袖をひと折りしたエプロン姿の隼人は、今日も眩しい存在だ。


結衣は時々隼人を見ては、胸をときめかせていたが、同時にどこか手の届かない人として、冷静に見つめている自分がいることも感じていた。


由紀はカウンターで軽食と飲み物を整え、咲耶はその補助に入る。

香ばしい焼き菓子の匂いがフロア全体に広がり、カフェに来た人たちの気分も上がる。


フロアの中心には、野崎がいた。

「好きな色を選んだ人は、こっちに来て。

この丸い板に実際に色を塗るよ。

 乾くと少し暗くなるから、明るめな色を使った方が良いかも。」


丸く切った木のコースターにはアクリル絵の具で絵を描いていく。


筆を持った小学生は、熱心に作業に取り組んでいる。


もっと小さな子たちは、クレヨンや色鉛筆、サインペンなどを手に取り、紙のランチョンマットに自由に絵を描いていた。


野崎は、自然に屈んで子どもたちに目線を合わせている。

その姿は、意外なほど柔らかい。


ある女の子が緊張もせずに野崎に話しかけてくる。


「これ、星にしたい!」


「星か。それなら黄色に少し白を混ぜると光って見えるよ。」


「えっ、黄色と白?」

女の子は、早速アクリル絵の具で言われた通りに色を混ぜ合わせる。


「あ~っ、できたっ!本当に星がキラキラして見える。」

満面の笑みをたたえて、野崎を見る。


「そうだろう?」 

野崎も凄く嬉しそうにその子に語りかけていた。


結衣はそのやりとりを少し離れた場所で見ていた。


「……野崎くんって、子どもにこんな話し方するんだ。」


大学のサークルでは無駄なことはあまり言わず、黙々と作業を続けている雰囲気があった。

サークルの人数が足りず、ついつい野崎が一人で頑張ってしまっていたのかもしれない。


施設に行って子どもを支援している時は、結衣も自分のことで精一杯で、野崎がどう子どもに接しているかを見る余裕がなかった。

 

でも、今目の前にいるのは、野崎はとても優しかった。


紙の上で色が濁り、うまくいかなくなって半べそをかいている男の子に声をかける。

幼稚園児と思われるその子は、絵を描くのをやめてしまっていた。


「うまくいかなかった?」

野崎がしゃがんで優しく聞く。


男の子がこくり、と頷く。


「じゃあ、ここ塗りつぶしちゃおう。

 ミスじゃなくて模様にしよう。濁った色の上から、濃い色で模様を描くとね、すっごく迫力ある模様になるよ。」


その子は目を丸くし、筆を取り直した。


その横に結衣がそっと近づき、絵の具の入った小皿を差し出した。


「この色、試してみる?」


視線が合い、男の子が小さく笑う。

「やる!」


野崎と結衣で見守っているうちに、みるみる濁りは模様へと変わっていった。


結衣は、

「わぁ~、凄いね。格好いい模様!」と感激して言った。


得意気に男の子は、その模様を見ていた。


作業が落ち着いてから、野崎がぽつりと言った。


「ありがとう。森咲さんが一緒に声かけてくれたから助かったよ。」


その言葉に一瞬、返事が遅れる。

「えっ…そんな。私が声をかけたのはちょっとだけだよ。」


「いや、ああいうの大事だよ。技術よりも。」


そう言った野崎は、また子どもたちへ視線を戻した。

とても素直な野崎の言葉に一瞬、ドキッとした結衣だった。


イベントが進むにつれ、結衣はつい、隼人の姿を探してしまう自分に気づく。


見つけるたびに嬉しくなる。


けれど隼人は保護者に挨拶し、赤ちゃんを抱く母親に椅子を引き、父子家庭の参加者とも臆さず話し、常に「店の代表」としてそこにいた。


結衣は、まだ学生の自分と大人の隼人との距離を感じずにはいられなかった。


今日のイベントでは、アレルギーを持った子どもたちに配慮し、その子たち専用のお菓子が用意されていた。


米粉や大豆粉を使ったクッキー、ビスケット。

卵や牛乳不使用の豆乳プリン、豆腐プリンなど……由紀が全部用意してくれた。


カフェにやって来た親子に丁寧にアレルギーの有無を聞き、必要な人には専用のお菓子や飲み物を案内する由紀の姿は、さすがは隼人の母といった感じがして、結衣は尊敬の眼差しを向けた。


咲耶は、由紀のサポート以外にベビーカーが通れるよう机の間隔を開けたり、ベビーカーを畳むのを手伝ったりと常に甲斐甲斐しく動いている。


隼人さんの家族はいつも凄いな……。

結衣は誰の指示もなく、自然に…滑らかに動く咲耶たちに感心していた。


そして、イベントも無事終了し、来場者は笑顔で帰っていった。


ここからは、片付けの時間だ--。


野崎は静かに、しかし驚くほど手際よく道具を回収し、紙を仕分けし、床についた絵の具も素早く拭いた。


「筆立ては端に寄せて、紙皿はこっち。水は奥っと。」

そう呟きながら動く姿は、あまりに無駄がなく、格好良くさえ見えた。


結衣は思わず

「……すごい。」と漏らした。


野崎は手を止めずに小さく笑った。

「慣れてるだけ。小さな妹、二人いるから。

二人とも俺とは歳が離れて生まれてるんだよ。」


その瞬間、結衣は初めて野崎の横顔を真っ直ぐに見た。


彼は、精悍な横顔をしていた。

「野崎君って結構、格好良いのかも……。」


結衣が野崎の横顔に見とれているのに咲耶はすぐに気がついた。


小声で「ねぇ、結衣ちゃんが野崎君に見とれてるよ。」と隼人に囁く。


隼人も二人を見て

「本当だ。良い感じだね。」と満足そうに頷いた。


今日のイベントは成功だな。

このカフェのためにも、野崎君と結衣ちゃんのためにも。

そう思ってホッとする隼人。


由紀もそんな隼人の姿を見て、あの二人のためにも開きたかったイベントなのだと納得した。


ホワイトデーには、結衣のためにマドレーヌを焼いていた息子を見て、もしやと思ったが、何事も本人次第だし……と思い直した。


「母さん、今日はありがとう。」

不意に隼人が由紀に声をかけた。


「ううん、私も少しは役に立ったかしらね。

皆さん、楽しそうで良かったわ。」


「少しなんて、凄く有り難かったよ。

アレルギーのお子さんのためのお菓子まで用意してくれて。」


「そう?それなら良かったわ。

それにしてもこのお店、良いお店になったわね。」

由紀がしみじみと言う。


「私もお手伝いできて楽しかったです。

子どもたちは元気過ぎて大変だったけど可愛くて……。」

そう言って咲耶が由紀の隣に立った。


「うん。子どもたちには、いつもこちらが元気をもらうよ。」

隼人も嬉しそうに二人を見た。



片付けが一段落したころで、隼人が野崎と結衣に声をかけた。


「二人とも、ありがとう。今日は助かったよ。

子どもの相手は大変だったでしょう?」


野崎はタオルで手を拭きながら隼人を見て言った。

「いえ。子ども相手するのは、俺、楽しいんですよ。」


結衣も笑顔で応えた。

「私も楽しかったです。」


「そう言ってもらえて良かったよ。」

隼人は目を細めた。



結衣はカフェからの帰り道、野崎と並んで歩きながら、何だかいつもよりドキドキするような気がした。


こんなことは初めてだった。


あの雨の日の告白以来、野崎からは、結衣に何も言ってこない。


「森咲さん、それじゃあ、お疲れ様。また、大学でね。」

そう爽やかに言って彼は結衣の元を去って行った。


何も言ってこない野崎に安心するような物足りないような複雑な感情を抱くようになってきた結衣だった。


あまりにあっさりとし過ぎているんじゃない?

最近の野崎君は……。

そんなことまで考えている自分に結衣は驚いていた。


これは、もしかしたら、野崎君の作戦?


その考えは当たっているようなそうでもないような……。

もやもやとした気持ちの中で、結衣は気がついたら野崎のことばかり考えていた。


私が好きなのは、隼人さんのはずなのに。


結衣の気持ちは千々に乱れた。 


「私、どうなっちゃったの?」

思わず歩きながら、気持ちを声に出してしまう。



本当は、この作戦は野崎ではなく、隼人のものだったことを結衣は知る由もなかった。














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