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エプロンとカヌレ-恋のゆくえ-

結衣は、帰宅すると自分の部屋でぼんやりとベッドに座っていた。

雨音が聞こえる。

それは、とても静かで落ち着く音だった。


あまりにたくさんのことが起きた一日で、気持ちが追い付かないな……。


トートバッグから、隼人に作ったエプロンをそっと取り出した。

これ、どうしよう?

隼人さんに渡しそびれちゃったけれど……。


『皆の隼人さんであって、なかなか誰か一人のものにならなそうな気がしたよ。』

野崎の言った言葉が思い出された。


わかってるよ、そんなこと……。

でも、私が隼人さんを好きだって気持ちは否定したくない。

たとえ届かない想いでも、自分の気持ちに正直でいたいと結衣は思っていた。


やっぱり、今度このエプロンは隼人さんに渡そう。

結衣はそう思うと少し気持ちが楽になった。


それにしても、野崎君はどうしたんだろう?

『俺じゃだめかな?』

彼の言葉が繰り返し頭に浮かぶ。


普通に友だちだと思っていた。

私のことを好きだってこと?

全然気がつかなかったな……。

私が隼人さんを好きでも構わないの?

結衣には彼の気持ちがよくわからなかった。


今はまだ、野崎君のことまで考えられない。

隼人さんにエプロンを渡す--

まずはそのことに集中しよう。


結衣はそう心に決めてベッドにそのまま倒れた。

誰かを好きになるって大変なことだな。

自分が好きになった人が自分のことを好きになってくれる--

それはもう、奇跡みたいなこと。

そんな風に結衣には思えて、隼人がますます遠い存在に思えた。


降り続く雨。

時々強まったり、弱まったりする雨音を聞いているうちにいつの間にか結衣は眠ってしまった。


それから、1週間ほど経った頃、結衣は再びカフェ・エスポワールを訪ねようと家を出た。


「今日は、久しぶりに晴れたな。」

青空を見上げる。

路地には咲き出した紫陽花の花が淡く色づいていた。


カフェの扉を開けると隼人が元気そうに立ち働いていた。


「いらっしゃいませ。

あっ、結衣ちゃん。」

隼人は結衣にすぐに気がついた。


結衣は笑顔で会釈した。


「隼人さん、もう、すっかりお元気そうですね。」


「お陰様で。この間は、結衣ちゃんにもお世話になったね。ありがとう。」

隼人は、結衣に近づきお礼を言った。


「いえ、私は大したことはしていませんよ。

あの、これ……。」

結衣はバッグから隼人に作ったエプロンを取り出す。


「良かったら、使ってください。」

そう言ってエプロンが入った包みを隼人に差し出した。


丁寧に折り畳まれたエプロンは、透明の袋に入れられ、リボンの形をした可愛いシールが貼られていた。

一目で結衣自身がラッピングしたものだと隼人は気づいた。


「えっ、僕に?このエプロン、もしかして結衣ちゃんが作ったの?」

少し驚いたように隼人がエプロンを受け取った。


「はい……。隼人さんがお元気にこれからも働けるようにと願って作りました。」

咲耶は恥ずかしそうに答えた。

彼女の心臓は、ドキドキが止まらない。


「本当に?僕のために作ってくれたなんて嬉しいな。

ちょっと今、着てみていい?」

隼人は嬉しそうにカウンターに行くと、中で結衣が作ったエプロンに着替えた。


再び隼人が結衣の前に立った。


結衣が思った通り、モスグリーンのエプロンは隼人によく似合っていた。

さっきまで身につけていた黒いエプロンも似合っていたが、今は何というか……お洒落で品がよくて優しそうで……

結衣にはエプロンを身につけた隼人が眩し過ぎた。


「どう?似合う?」

隼人が結衣に遠慮がちに尋ねた。


「あの……あの……凄く似合ってます。

作った甲斐がありました。」

まともに隼人の顔が見られない。


「良かった。僕もとても気に入ったよ。

わざわざ僕のために作ってくれてありがとう。

今日はお礼に好きなもの、何でも頼んで。ご馳走するから。」


「はい……。」

結衣は頷くと隼人に案内されて、窓際の二人掛けの席に腰を下ろした。


「何が良い?飲み物を選んでくれたら、お菓子もつけるよ。」


「お菓子?」


「うん。結衣ちゃん、カヌレ好き?

俺、カヌレを焼いたんだ。良かったら、食べてくれる?」


最近では、隼人は母親の由紀に習って色々なお菓子を自分でも作れるようになっていた。


「わぁ、私カヌレ、好きです。隼人さんが作られたのなら、是非食べてみたい。」


「わかった。飲み物は、どうする?」


「じゃあ、カフェ・オレで。」


「かしこまりました。少々お待ちください。」

店主の顔に戻った隼人は、そう言いおいてその場を去った。


隼人が自分が作ったエプロンを着て仕事をしている--。

その姿を見つめていると結衣は幸せな気持ちになった。


しばらくすると隼人がカフェ・オレとカヌレを運んできた。


「どうぞ。あっ、カヌレはそのまま手に取って食べてね。」


「はい。じゃあ、遠慮なく。」

結衣はカフェ・オレを一口飲んだ後、カヌレに手を伸ばした。


外側はカリッとした食感。

でも、中はもっちりとしている。

バニラとラム酒の芳醇な風味が口いっぱいに広がった。


「……美味しい。」

思わず結衣はカヌレを食べながら呟いた。


「隼人さん、これ、すっごく美味しいです!」


「本当に?良かったぁ。まだプレーンしか作ったことがなくて……。

いずれショコラや抹茶、フルーツなんかのフレーバーにも挑戦してみたいな。」


「そうなんですね。」

キラキラとした瞳でカヌレについて語る隼人をじっと見つめていた結衣。


何か隼人さんって格好いいだけじゃなくて、純粋で一生懸命で……こんな言い方したら失礼かもしれないけれど

可愛いかも。


結衣は隼人を見ていてそう思ってしまった。


隼人の純な可愛さを発見して、結衣はこれからも隼人に会いにずっとカフェ・エスポワールに通って彼を見ていたい、話をしたいと思い始めた。

そのためには、隼人さんとのこの距離感を保たないと。

下手に告白して、気まずい関係になりたくないな……。


そんなことを考えながら、結衣はカヌレを少しずつ大事そうに食べていた。


「結衣ちゃん、そんなに好きなら、カヌレ、もっとあげようか?」

隼人が結衣の様子を見て、声をかけた。


「えっ、良いんですか?じゃあ、あともう少しもらえたら、家に持ち帰りたいです。

すみません、図々しくて……。」

そう言ってしまってから顔を赤らめる結衣。


「いや、大丈夫だよ。たくさん焼いたから。

是非持って帰ってご家族と食べて。」


隼人はカヌレを5個、小さな袋に入れて結衣に持たせてくれた。


「ありがとうございました。」

頭を下げる結衣に


「いや、こちらこそ。

エプロン、ありがとう。大切に使うね。」

と隼人は笑顔で声をかけ、手を振って見送った。


結衣も何度も振り返りながら、隼人に手を振った。


隼人が見えなくなってから、結衣は歩道で立ち止まった。


今日は勇気を出して、隼人さんに会いに行って良かったな……。


最早、好きな相手に会いに行く--。

これは推し活?のようなものなのかもしれない。


無理に付き合いたいとか、そんなことは望まなくてもただ、好きな人を見ていたい。

そんな恋だってあるよね。


結衣はカヌレの袋を愛おしそうに見つめ、また、ゆっくりと歩き出した。

その表情は明るく、初夏の日差しを受けて輝いて見えた。


結衣が帰った後に勇太が、カフェにやって来た。


「あっ、勇太。この間はわざわざ来てくれてありがとう。」


「隼人、様子見に来たぞ。おっ、もう顔色も良いし、元気そうじゃん。」

勇太がそう言いながら、カウンターに座る。


「うん。もう、お陰様でぴんぴんしてるよ。

今日は何にする?」 


「そうだなぁ……。」

勇太はしばらくメニューを見ていたが、ふとあることに気がついて顔を上げた。


「お前、そのエプロン、新しくない?」


「えっ、気がついた?」


「いつも黒いエプロンしてたからさぁ。

で、誰かからプレゼントされたとか?」


「勇太は相変わらず鋭いなぁ……。

実はさっき、結衣ちゃんからもらったんだよ。」

隼人は勇太がこのエプロンが、プレゼントされた物だと気がついたことに驚いていた。


「結衣ちゃん?まさか、手作り?」


「そうなんだよ。俺が熱出したりしたから、これからも元気で働けるようにって願いながら作ってくれたんだって。」 


「えっ。」

勇太は、まじまじと隼人を見た。


「まさか……お前、それ、信じてるの?」


「えっ、だって結衣ちゃんがそう言ってたし。」


「お前が具合悪くしたのは、一週間前だろ。

そんなに早くエプロン、作れるかねぇ。

多分、結衣ちゃん、もっと前から作ってたでしょ。」


「そうなの?」


「この間、お前が発熱した日、結衣ちゃんが来てたそうだけど……。

その時、このエプロンをお前に渡そうとしてたんじゃない?」


隼人は、「まさか……。」と言って黙ってしまった。


「あっ、俺、ブレンドね。」

勇太がオーダーしたので、隼人は、珈琲を淹れ始めた。


「結衣ちゃんはさぁ。

ずっとお前のことが好きなわけ。だから、チョコも作ったし、そのエプロンもね、作ったんだよ。」


「何で俺なんかを好きなんだろう?」

隼人は、いまだに信じられないという顔をしている。


「何でって……。隼人が優しいし、格好いいからでしょ。お前に会ったら、男女問わず、皆お前が好きになるんだよ。

もっと言えば、子どもから大人まで。あっ、赤ちゃんやお年寄りもな。」


「そんなこと……あるわけないよ。

いつも勇太は言うことがオーバーだから。」

少し笑いながら、隼人は勇太の前にコーヒーカップを置いた。


「また、信じないんだな。」

勇太が笑っている隼人を不満気に見上げた。


「赤ちゃんやお年寄りもだなんて、ますます信じられないよ。」

 

「まぁ、信じないならもう、いいよ。

そういえば……。」

勇太が珈琲を飲みながら、ふと思い出したように話し出した。


「お前が具合悪くなった日、ここに向かう途中で結衣ちゃんと一緒にいる若い男性を見たよ。」


「若い男性?どんな?」


「う~ん、メガネかけてたかな。」


「メガネ……もしかして、黒縁メガネ?」 


「さぁ、どうだったかな?

先に佐織が結衣ちゃんに気がついてさ。」


「佐織ちゃん、結衣ちゃんのこと知ってたんだ?

二人、会ったことあったっけ?」

不思議そうに隼人が尋ねる。


「あぁ、会ったことないけど、佐織は結衣ちゃんのインスタ見てたみたいだよ。

だから、顔を知ってたらしい。」


「なるほど。

多分、その人、野崎君じゃないかな?」


「野崎って言うのか。」


「うん。彼は結衣ちゃんと同じサークルなんだよ。ここにも来たことあるけど。

とても真面目で子どもの支援活動に熱心な青年なんだ。」


「ここに来たことあるんだ、あいつ…。

お前にも会ったってわけか。

その野崎は、結衣ちゃんのこと好きなんじゃないかと俺は思ったんだけどな。」


「えっ、そうなの?」


「何か二人の雰囲気がね。そんな感じでさぁ。」


「野崎君なら、結衣ちゃんとお似合いだと思うよ。

俺なんかより、ずっと良いよ、野崎君。」


「はっ?結衣ちゃんはお前が好きなのに?」


「それは……そうなのかもしれないけど。

俺から見たら、結衣ちゃんは野崎君と一緒にいた方が良いと思うよ。話も合うだろうし……。」


勇太は、隼人のことを結衣ちゃんがいくら好きでも、もうどうしようもないんだと悟った。


隼人にとって、結衣ちゃんは年下の可愛い女の子。

それ以上の感情は持っていないらしい。


「隼人……お前って奴は。

今まで腐るほどのチャンスがありながら、みんな見送っちまうんだな。」

小さな声で勇太はそう呟いたが、その声は隼人には届いていなかった。


「勇太、お前もカヌレ食べる?」


「えっ、カヌレ?それってどんなもの?」


「これだよ。まっ、食べてみて。結衣ちゃんに評判良かったから。」


勇太は、カヌレを一口食べて

「こ、これは旨いな!

お酒入ってる?」


「うん、ラム酒ね。」


「いや~、旨いもんばっかりここにはあるんだな。」


「気に入った?」


「それは、もう。もっと頂戴。」


隼人は微笑みながら、カヌレを勇太のお皿に幾つか乗せた。


隼人の幸せは、この店に来る人に美味しいものを楽しんでもらうこと。

そしてここに来てくれた人たちの話を聞くこと。


それが実現できている今が一番幸せなんだと隼人は改めて思った。























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