第9話 新しいことへの挑戦
新しいことへの挑戦。
魔法学は日進月歩。その新しい魔法を常に覚えていかなと遅れてしまう。魔物を倒せればいいというのも一理ある。しかし、効率的に、より労力を使わずに魔物を倒せた方が、重宝される。つまり、そういう人が採用されやすいのは自明の理。
だからこそ、魔法を使う冒険者は常に魔法を学び、研究しなくてはならない。それは別に苦ではない。ただし、私の場合は、それをダンジョンで身につけたいという、せこい思いがあるわけだ。自分でももちろん学びはするけれど、それはギルドで必要とされるレベルには達しない。ギルドで必要とされるには、それなりに実戦での経験が必要ということだ。
ギルドによっては不問とされることもあるだろうが、それは未経験者と同じ扱いを受けるため、報酬が低い契約となる。そこでどんなに活躍しても、この国では蓄積の成果の方が重要なのだ。もちろん、英雄レベルになれば別だが、そもそも英雄は他の国に移住していることの方が多い。他の国ではそういう制度だからだ。国によってこれだけ制度が異なるならば、国を移動したいという気持ちが出ても不思議ではないだろう。もちろん、魔物の出現率は国によって異なるため、最初から危険な国も存在するわけだが、そこでやっていける自信のある者は果敢にチャレンジするだろう。
ただし、国を跨ぐ際の障壁がある。それは魔法詠唱の仕方だ。これはなぜか国によって異なる。そのため、連携スキルが上手くできない問題が出てきてしまう。だから、魔法詠唱だけはゼロから学ぶ必要があるのだ。
私も昔は国を出るか迷った時期もあるが、あまりに大変な学び直しは、また、あまりに大きな環境の変化は、私の志を折らせるには十分であったか。
グードルドでは、実戦で、未挑戦のスキルも、連携技も試していいとしている。果敢にチャレンジする者を歓迎するようだ。しかし、そこには危険も伴う。新しいことへのチャレンジは、命の危険があるということ。実際のダンジョンで初披露なわけだから、失敗したらおしまいだ。死、大怪我、軽い怪我で済めば良い経験と言えるだろう。大抵は周りのサポートで軽い怪我で済む場合もある。その不安に打ち勝てるか。それだけが問題になる。そうやって英雄たちは成長していったのかもしれない。グードルドの人たちは少数精鋭ながらも、ベテラン勢が多い印象だ。むしろ、ベテランだからこそ、少数精鋭で回せるのかもしれない。
それを考えると、逆に、大きいギルドだからこそ、自分の成長に寄与するのではなく、ギルドの報酬に寄与する、淡々とこなす、そういう平たい冒険者が出てくるのかもしれない。それは人間における成長としてどうなのだろうかと。私は冒険者としても立派になりたいと思いつつ、人としても成長したいとも思っている。
しかし、きっと、そういうのは薬草採取でも得られる経験なのだろう。ただ薬草を黙々と取る人もいれば、薬草ひとつひとつに目を向けて、その専門性を高めることができる人もいる。後者は成長を感じることができる範囲にいると思われる。それはスキルもそうだが、人間としても、と感じる。簡単な仕事にも価値を見出す姿。そこから薬草を届けた時に、接する人々に対する態度、これも人間性が出るというものだ。
だからこそ、大きいギルドに入って、大衆の一部になるように、数多くいる、いち冒険者のひとりに成り下がることもできるし、自制心のもとに、自己成長を第一に考え、行動することも可能ではないだろうかと感じるのだ。つまりはやる気次第というのが正確な、端的な答えだ。
それでいうならば、大きくなくても、小さいギルドでも同じことが言えるだろう。であれば、そこはどこに入っても同じ、とも言える。
つまり、昨日の自分に打ち勝つというように、けっきょくはすべて自分との勝負。
成長は他人との比較でも発生しうるし、自分との勝負でも発生しうる。
しかし、自分との勝負もまた、過去の自分との勝負であり、それはある意味他人である。
他人との比較。だいたいは同じレベルの人だろうが、その人よりも有名になりたいだとか、報酬を多くもらいたいだとか、幸せになりたいだとか。なぜその相手よりも上に行きたいのか。同じではダメなのか。下ではダメなのか。
これは人間の昔からの本能なのかもしれない。もし、上に行きたいという欲望がなければ、人は成長せず、高みを目指して、このように魔法の発展に至らなかった。魔物に従って動いていた傀儡人形になっていたかもしれない。
昨日の自分に打ち勝とうとしなかったら、堕落していく一方だ。昨日よりも簡単に、より楽に。一度昨日を経験しているからこそ、今日を生きるのはより簡単だろう。昨日と同じことを繰り返せば良いのだ。昨日の経験から、今日の行動はより早く達成することができる。それは慣れというものだ。




