第16話「死者の正しさ」 その3 裁く声を追う者
雨が、細かく降っていた。
結衣は高架下の歩道にバイクを停め、ヘルメットを外した。
夜の街は静かすぎる。車の走行音はあるが、人の声がない。
それが、異様だった。
(……喋らなくなってる)
誰もが前だけを向き、足早に通り過ぎていく。
目が合っても、逸らさない。
だが、何も映していない。
中森から送られてきた位置情報は、この先だ。
小さな広場。自治体が整備した、ベンチと街路樹のある場所。
結衣は歩きながら、八咫刀の鎖を垂らす。
波形は、低く、重い。
感情の起伏がない。
怒りも、悲しみもない。
ただ、確信だけがある。
(……正しい、ってだけ)
広場に入った瞬間、空気が変わった。
湿度が落ち、音が吸われる。
ベンチに、男が座っている。
年齢は分からない。
姿勢は正しい。
背筋を伸ばし、両手を膝に置いている。
像のようだ。
結衣は、一定の距離を保って声をかけた。
「……動かないの?」
男は、ゆっくりと顔を上げた。
目が、結衣を見る。
だが、焦点が合っていない。
「……私は、正しい」
それだけ言った。
結衣は、眉をひそめた。
「誰が決めた」
「……死者が」
即答だった。
「……多くの人が、死んだ」
「……だから、正しい」
声に揺れがない。
疑いもない。
結衣は、男の背後を見た。
広場の中央。
街路樹の影が、妙に濃い。
影が、重なっている。
一人分ではない。
何人分もの輪郭が、折り重なり、
ひとつの“影の柱”を作っている。
(……あそこか)
結衣は、男に背を向けた。
「……もういい」
男は、反応しない。
その代わり、影が動いた。
影の柱が、ゆっくりと広がる。
人の形が、次々と浮かび上がる。
誰もが、無表情だ。
だが、口だけが動く。
《……正しかった……》
《……間違っていなかった……》
《……だから、裁く……》
声は重なり、ひとつの塊になる。
結衣は、深く息を吸った。
(……死者を盾にするな)
八咫刀を握る。
これは、祈りではない。
祈りの成れの果てだ。
死をもって、
自分の判断を絶対化した亡霊。
——殉教者の群れ。
「……誰も、裁く資格はない」
結衣の声は低い。
影が、笑った。
《……資格はある……》
《……死んだのだから……》
《……間違いを、超えた……》
結衣は、一歩踏み出した。
「……死んだだけだ」
冷たい断定。
「正しさじゃない」
影が、膨張する。
広場全体が、歪み始める。
街灯が、ゆっくりと曲がり、
地面に、無数の線が刻まれる。
円。
境界線。
裁判所のような構図。
(……ここからだな)
精神世界への侵入が始まる。
結衣は、構えた。
この残響は、
説得も、修正も、意味を持たない。
正しさを名乗るものは、
滅するしかない。
雨音が、消えた。
世界が、反転する。




