第12話「赦しを縫い合わせたもの」 その4 縫い合わされた祈り(前半)
異変が起きていたのは、廃マンション群の一角だった。
再開発計画が頓挫し、入居者もいないまま放置された建物。
断線した外灯が、夜の道路をまだらに照らしている。
今回の無差別殺人事件。
最後の被害者が倒れていたのが、この区域だった。
真名井梓は、現場規制線の外から建物を見上げていた。
「……残っていますね」
高峰修一が、隣で頷く。
「死後現象は?」
「ありません。
ですが、ここだけ——音が歪んでいます」
風の音が、反響している。
だが、反射とは違う。
遅れて届く。
重なって聞こえる。
梓は八鍵を掌で確かめるように触れた。
(重なっている……人の思念)
残留した祈りが、場に縫い止められている。
建物の内部から、かすかな振動が走った。
「今の……」
「来ています」
梓は低く言った。
その瞬間、
規制線の向こうから足音が聞こえた。
ブーツ。
迷いのない踏み込み。
佐々木結衣が、暗がりから現れる。
「…ここだった」
確認するような声だった。
高峰が眉をひそめる。
「おい、勝手に——」
「邪魔するな」
結衣は一言だけ言って、建物を見た。
「……下で、溜まってる」
梓は、視線だけで結衣を見た。
「もう入ってるんですか」
「匂いだけ」
短く答える。
「藤田の時と同じ」
その言葉に、梓の手が止まった。
(……やはり)
次の瞬間。
建物の一階、
割れたガラス越しに“何か”が動いた。
人影だ。
だが、数が合わない。
一人分の動きに、
二人分、三人分の重さがある。
同時に、八鍵が微弱な警告を返す。
エラーではない。
侵食開始の合図。
「……今です」
梓は一歩、前に出た。
「結衣、強制介入は——」
「分かってる」
結衣は言葉を遮る。
「今回は、見る」
それだけだった。
梓はゆっくりと呼吸を整え、
八鍵を建物の内部へ向ける。
床に刻まれた、
目に見えない“歪み”に照準を合わせた。
「祓詞、起動します」
低く告げる。
現実空間に残された祈りの残滓が、
八鍵の応答に引き寄せられていく。
空気が、沈んだ。
周囲の音が、急に遠のく。
高峰の声が、
水の向こうから聞こえるように歪む。
「……真名井?」
足元が、崩れた。
ではない。
重なった。
建物の内側と、
誰かの記憶の内側が。
視界が引き延ばされ、
街灯の光が分解されていく。
そして——
世界が、縫い合わされた。




