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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている
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第12話 赦しを縫い合わせたもの 第2章 集められていくもの

第12話 赦しを縫い合わせたもの 第2章 集められていくもの


 会議が終わるより早く、内線電話が鳴った。


 刑事課の若い捜査員が、息を切らしながら飛び込んでくる。


「管理官!」


「新たな被害です!」


 会議室の空気が張り詰めた。


「場所は。」


「中央区、第一駐車場。」


「死亡か。」


「まだ生きています!」


 その一言で全員が立ち上がった。


 高峰も資料を閉じる。


 現場までは車で十分。


 サイレンを鳴らした捜査車両が夜の街を切り裂いていく。


 高峰は助手席から外を眺めていた。


 街はいつも通りだった。


 人が歩き。


 店が営業し。


 信号が変わる。


 なのに。


 妙な圧迫感だけが消えない。


(……まだ終わっていない。)


 現場へ到着すると、規制線の外には野次馬が集まっていた。


 しかし。


 誰も騒いでいない。


 誰も悲鳴を上げていない。


 静かだった。


 異様なほど。


「警察です!」


 規制線をくぐる。


 被害者は駐車場中央に倒れていた。


 二十代前半。


 女性。


 救急隊が心肺蘇生を続けている。


「状況は。」


 刑事が振り返る。


「目撃者によると、男と二、三分話していました。」


「その後。」


「突然倒れました。」


「男は。」


「消えています。」


「防犯カメラ。」


「確認中です。」


 高峰は女性へ近付いた。


 まだ温かい。


 しかし。


 目だけが開いている。


 何かを見続けたまま。


 固まっている。


「最後に何か話したそうです。」


 救急隊員が小さく言う。


「何と。」


「聞き取れませんでした。」


「録音は。」


「ありません。」


 まただ。


 高峰の胸が冷える。


 その時だった。


 女性の口が、小さく動いた。


「……た……す……」


 高峰は身を乗り出す。


「聞こえるか。」


 女性は何かを伝えようとしていた。


 唇だけが震える。


 声にならない。


 だが。


 その目だけは。


 高峰の後ろを見ていた。


 刑事としての勘が叫ぶ。


 振り返る。


 誰もいない。


 いや。


 いた。


 駐車場の出口。


 街灯の届かない暗闇。


 黒い人影。


 男とも女とも分からない輪郭。


 立っているだけ。


 動かない。


 高峰が一歩踏み出す。


「止まれ!」


 影は反応しない。


 もう一歩。


 距離は三十メートルほど。


 街灯が一瞬だけ揺れた。


 その瞬間だった。


 影の輪郭が、不自然に膨らんだ。


 一人ではない。


 後ろに。


 何人も立っている。


 肩が重なる。


 腕が重なる。


 顔だけが闇から浮いている。


 だが。


 次の瞬間には。


 誰もいなかった。


「……消えた。」


 高峰は無意識に呟く。


「警部補?」


 部下の声がする。


「どうしました。」


 高峰は答えなかった。


 今、見たものを説明できる言葉がない。


 幻覚。


 見間違い。


 そう片付けるには。


 胸の鼓動だけが速すぎた。


 その時。


 救急隊員が静かに首を振った。


「……駄目です。」


 女性の心電図が一直線になる。


 静寂。


 そして。


 高峰のスマートフォンが震えた。


 画面には、一通の通知だけが表示されていた。


 送信者不明。


 件名なし。


 本文もない。


 ただ一行だけ。


《次を、迎えに行きます。》


 送信者は、不明。


 発信元も、不明。


 通信経路も、不明。


 高峰は、その場でスマートフォンをサイバー対策室の解析端末へ接続した。


「通信ログを全部出せ。」


「はい。」


 部下が素早く端末を操作する。


 数秒後。


 画面へ大量のログが並ぶ。


「……おかしい。」


「何がだ。」


「受信履歴がありません。」


「何?」


「通知は届いています。」


「ですが、通信そのものが存在しません。」


 高峰は眉を寄せた。


「あり得るのか。」


「通常はありません。」


 部下は画面を何度も確認する。


「基地局にも残っていません。」


「Wi-Fiも。」


「Bluetoothも。」


「近距離通信も。」


「全部ありません。」


 画面に残るのは、一通の通知だけ。


《次を、迎えに行きます。》


 その一文だけが、現実から切り離されたように表示され続けていた。


「……保存しろ。」


「はい。」


「あと。」


 高峰は倒れた女性へ視線を向ける。


「この人のスマートフォンも解析する。」


 救急隊から端末を受け取り、すぐに解析へ回す。


 数分後。


 部下が息を呑んだ。


「警部補。」


「こちらも同じです。」


 通信履歴はある。


 通話時間も残る。


 送受信時刻も一致している。


 だが。


 相手だけが存在しない。


 名前も。


 番号も。


 通信内容も。


 すべて空白だった。


 高峰は静かに目を閉じる。


(一年前と、同じだ。)


 藤田和宏。


 あの事件も、こうだった。


 誰かと通信している。


 しかし、その”誰か”だけが、この世界から削除されている。


 偶然ではない。


 誰かが、意図して消している。


「警部補!」


 別の刑事が駆け寄ってきた。


「周辺の防犯カメラです!」


「映っていたか。」


「はい。」


「男は。」


「映っています。」


「回せ。」


 映像が再生される。


 女性が歩く。


 男が近付く。


 二人が立ち止まる。


 数十秒。


 会話。


 その直後。


 女性が崩れ落ちる。


 男は背を向ける。


 歩き出す。


 そこまでは、これまでと同じだった。


 だが。


「止めろ。」


 高峰が声を上げた。


 映像を巻き戻す。


「ここだ。」


 男の影。


 街灯が揺れた瞬間。


 一瞬だけ。


 男の足元から、別の影が伸びていた。


 人影。


 一つではない。


 二つ。


 三つ。


 四つ。


 折り重なるように蠢いている。


 刑事が息を呑む。


「何だ……これは。」


 次の瞬間。


 その影は、男の中へ吸い込まれるように消えていた。


 高峰は画面を凝視する。


 拡大。


 輪郭補正。


 ノイズ除去。


 どれを試しても、影だけは鮮明にならない。


 まるで。


 映像が、そこだけを拒絶しているようだった。


「……駄目です。」


 解析担当が首を振る。


「これ以上は復元できません。」


 高峰は静かに息を吐く。


 その時だった。


 救急車の脇にいた若い刑事が、小さく声を漏らした。


「……え?」


 全員が振り向く。


 刑事は一点を見つめたまま立ち尽くしていた。


「今……。」


「どうした。」


「誰か……。」


 刑事の顔から血の気が引いていく。


「今、救急車の後ろに……。」


 全員が振り返る。


 誰もいない。


 だが。


 救急車の白いボディには。


 濡れた手形だけが、ゆっくりと増えていた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 四つ。


 内側から押し付けたような手形。


 子供。


 大人。


 老人。


 大きさの違う手が、次々と浮かび上がる。


 誰も触れていない。


 誰も近付いていない。


 それでも。


 ガラス一面が、人の手形で埋め尽くされていく。


 現場が凍り付いた。


 誰一人、動けない。


 そして。


 すべての手形が、一斉に消えた。


 静寂だけが残る。


 高峰はゆっくりとスマートフォンを取り出した。


 迷いはなかった。


 連絡先を開く。


 真名井梓。


 呼び出し音は一回だけだった。


『はい、真名井です。』


「……高峰だ。」


 短く息を吐く。


「悪い。」


「また、お前の案件だ。」


 電話の向こうで、梓は数秒黙っていた。


 そして。


『現場を動かないでください。』


 その声だけで。


 高峰は、自分が踏み込んではならない領域へ足を踏み入れたことを悟った。

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