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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

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第11話「祓屋を名乗る女」 その4 正しさの刃

 八鍵が起動した瞬間、空間の密度が変わった。


 音は届いているのに距離感だけが失われ、輪郭が先に溶ける。

 現実が壊れたわけではない。

 意味の層だけが、静かに沈んでいく。


 次の瞬間、廊下だったはずの場所は白に塗り潰されていた。

 床も壁も天井も均質な光で満たされ、方向の概念が消えている。


 白の中心に、女が立っていた。


 祓屋を名乗る女は、この移行を想定内として受け入れているようだった。

 驚きも焦りもない。

 むしろ、手順が進んだことを確認している目をしている。


『……同業の方でしたか』


「違います」


 真名井梓は短く否定した。


「あなたは祓っていません。

 整理しているだけです」


『それで十分でしょう。

 苦しみは消えていますし、状態も安定しています』


 女が指先を上げると、白い空間の端に影が浮かび始めた。

 人の輪郭を持ちながら、どれも動かない影。


 感情を削られ、記憶の凹凸を均された存在。

 完成品と呼ぶに相応しい静けさだった。


『ここにいる人たちは、もう迷いません。

 正しい状態です』


 静かすぎる。

 生きている人間が必ず持つはずの雑音が、どこにもない。


「それは、正しさではありません」


 梓は一歩前に出た。


「残響と、同じことをしています」


『残響とは違います』


 女の声に、僅かな反発が混じる。


『壊れている部分だけを、取り除いているだけです』


「同じです」


 梓は視線を逸らさない。


「残響も、世界が煩わしいと判断した結果、

 人の内側を削っています。

 やっていることは変わりません」


『同じでも構わないはずです』


 女の返答は即答だった。


『結果として、人は楽になっています』


 床が軋み、影の一体が微かに揺れた。

 削り切れなかった感情の断片。


「私は祓屋です」


 梓は淡々と言った。


「人を楽にするために、

 中身を空にするつもりはありません」


『では、どうされるんですか』


 女の声がわずかに強くなる。


『また壊れる可能性を、残すんですか』


「残します」


 迷いのない即答だった。


「壊れる可能性も含めて、生きているからです」


 女の背後で空間が歪んだ。

 分類と選別だけで構成された巨大な構造体が浮かび上がる。


 人の形をしていない。

 だが、人を裁く意思だけを持っている。


『あなたは、完成を選ばない側なのですね』


「ええ」


 梓は落ち着いて応じた。


「未完成のまま戻します。

 それが仕事です」


『その結果、誰かが壊れたら?』


「壊れた理由は残ります」


 手の中で、八鍵が低く振動した。

 祓詞が最小限の構成で展開される。


「理由が残らなければ、

 直すことも、受け止めることもできません」


 音としては成立しない祓詞が、白い空間に染み込む。


 削除ではない。

 再配置。


「揺れを保持したまま、

 構造を戻してください」


 整然と並んでいた影が崩れ、ザラついた雑音が戻る。

 白い空間に、人間の気配が蘇っていった。


『そんな……』


 女の声に、初めて迷いが混じる。


『それでは、また……』


「また壊れるかもしれません」


 梓は静かに告げた。


「それでも、それが生きている状態です」


 白がひび割れ、精神領域が崩壊する。

 現実が戻り、女は床に崩れ落ちた。


 遅れて、高峰修一が踏み込んでくる。


「……どうする」


「保護をお願いします」


 梓は即答した。


「残響ではありません。

 やり方を誤った人間です」


 祓屋を名乗っていた女は、何も言わず俯いたままだった。


 祓われたわけでも、消されたわけでもない。

 ただ――

 “正しさ”という刃だけを、取り上げられていた。

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