番外編 壊れた世界の値段表
中森安行は、紙の資料を無言でめくっていた。
高峰修一。
県警サイバー対策室。
几帳面な字。無駄のない構成。
そして――表に出せない現実。
「……ふん」
鼻で笑うほど軽くもない。
かといって、驚くほどでもなかった。
「やっぱりな」
残響。
祈りの残滓。
人格の侵食。
文化の変異。
影喰い、お七、獅子、火車。
──全部、知ってる話だ。
違うのは、**警察が“ここまで把握した”**という一点だけ。
中森は資料を閉じ、目の前の相手を見た。
客だ。
祓屋でも警官でもない。
もっと曖昧で、もっと現実的な立場の人間。
「で、何が知りたい?」
相手が一瞬、言い淀んだ。
「……祓屋が使ってる道具と、
“祓詞”ってやつです」
「ああ。そこか」
中森は椅子に深く腰をかけ、指を組んだ。
「なら、先に言っとく。
あれは魔法じゃねえ」
客が眉をひそめる。
「祓詞は呪文じゃない。
道具は聖具でもない。
全部、**壊れた世界を“動かすための実用品”**だ」
中森は机の上に、端末を投げるように置いた。
「まず、八鍵」
客が息を呑む。
「見た目はただの変な端末。
だが本質は“鍵”だ。
扉の向こうが精神世界だろうが、残響の巣だろうが、
開くか閉じるかを決めるのがこれ」
彼は指を折る。
「一層目は解析。
“幽霊です”って言われて殴り始める馬鹿が死ぬ理由はここだ。
残響は性質を誤解すると、逆に増幅する」
二本目の指。
「二層目が干渉。
祓詞を通して、世界に修正命令を出す。
ただし――」
中森は少しだけ声を落とした。
「これは“命令文”じゃない。
感情込みの実行コードだ」
客の喉が鳴った。
「だから、使う人間の中身がそのまま出る。
優しけりゃ、優しい祓いになる。
憎みゃ、世界ごと巻き込む」
三本目の指。
「最近、真名井梓が触り始めた三層目──
拡張焔心」
一瞬、間が空く。
「これはな……
残響と“同じ場所”に立つための心臓だ」
客が即座に言い返せなかった。
「使うたび、寿命を削る。
精神の耐用年数を焼く。
あれを何度もやれる人間は多くねえ」
中森は肩をすくめた。
「だから俺は金を取る。
安売りはしない」
次に、机の隅の箱を指で叩く。
「量子暗号札」
「札、ですよね?」
「紙だ。
だが紙の顔をしたフィルタだ」
中森は言葉を選ばない。
「殴るための武器じゃない。
現実が書き換わる“速度”を落とす道具だ」
「……どういう」
「残響はな、
一瞬で人を“向こう側”に持ってく。
札はそれを遅らせる。
助ける“猶予”を買う」
一拍、間。
「だから札だけ撒いても意味はない。
使う人間がその間に“直せない”なら、
結局、被害者は壊れる」
視線が、鋭くなる。
「佐々木結衣がこれを好まない理由、分かるか?」
客は首を振った。
「彼女は待たない。
“猶予”より“終了”を選ぶ」
中森は淡々と言った。
「受胎型とか、完全侵食型。
修正不能な奴らには、それが正解だ」
そして最後に。
「祓詞。ふつし」
中森は少しだけ間を置いた。
「これは一番危ない」
「危ない……?」
「誰にでも使えると思われたら終わりだ」
彼ははっきり言った。
「祓詞は、世界を書き換える言葉だ。
だが言葉そのものじゃない。
その人間が“何を正しいと思ってるか”の表明だ」
客の背筋が伸びる。
「真名井梓の祓詞は修正だ。
壊れたものを、本来の形に戻す。
戻らないものは無理に触らない」
「佐々木結衣は?」
中森は即答した。
「消す。
存在ごと終わらせる」
空気が重くなる。
「どっちが正しいか?
……場面次第だ」
中森は立ち上がり、資料をまとめた。
「高峰の報告にもあっただろ。
残響は増えてる。
質も悪くなってる」
彼は最後に言った。
「つまりな。
これからは“優しいだけ”の祓屋は死ぬ。
“壊すだけ”の祓屋も、世界を壊す」
客を見下ろし、静かに言う。
「だから俺みたいな情報屋が必要になる。
生き残るための道具と、
それを使える人間を選ぶためにな」
中森は笑った。
「金は取るぞ。
だが、命よりは安い」
それだけ言って、部屋を出た。
机の上には、
高峰修一の報告書と、
世界を繋ぎ止めるための道具一覧が残されていた。




