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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

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番外編 壊れた世界の値段表

中森安行は、紙の資料を無言でめくっていた。


高峰修一。

県警サイバー対策室。

几帳面な字。無駄のない構成。

そして――表に出せない現実。


「……ふん」


鼻で笑うほど軽くもない。

かといって、驚くほどでもなかった。


「やっぱりな」


残響。

祈りの残滓。

人格の侵食。

文化の変異。

影喰い、お七、獅子、火車。


──全部、知ってる話だ。


違うのは、**警察が“ここまで把握した”**という一点だけ。


中森は資料を閉じ、目の前の相手を見た。


客だ。

祓屋でも警官でもない。

もっと曖昧で、もっと現実的な立場の人間。


「で、何が知りたい?」


相手が一瞬、言い淀んだ。


「……祓屋が使ってる道具と、

 “祓詞”ってやつです」


「ああ。そこか」


中森は椅子に深く腰をかけ、指を組んだ。


「なら、先に言っとく。

 あれは魔法じゃねえ」


客が眉をひそめる。


「祓詞は呪文じゃない。

 道具は聖具でもない。

 全部、**壊れた世界を“動かすための実用品”**だ」


中森は机の上に、端末を投げるように置いた。


「まず、八鍵やつかぎ


客が息を呑む。


「見た目はただの変な端末。

 だが本質は“鍵”だ。

 扉の向こうが精神世界だろうが、残響の巣だろうが、

 開くか閉じるかを決めるのがこれ」


彼は指を折る。


「一層目は解析。

 “幽霊です”って言われて殴り始める馬鹿が死ぬ理由はここだ。

 残響は性質を誤解すると、逆に増幅する」


二本目の指。


「二層目が干渉。

 祓詞を通して、世界に修正命令を出す。

 ただし――」


中森は少しだけ声を落とした。


「これは“命令文”じゃない。

 感情込みの実行コードだ」


客の喉が鳴った。


「だから、使う人間の中身がそのまま出る。

 優しけりゃ、優しい祓いになる。

 憎みゃ、世界ごと巻き込む」


三本目の指。


「最近、真名井梓が触り始めた三層目──

 拡張焔心えんしん


一瞬、間が空く。


「これはな……

 残響と“同じ場所”に立つための心臓だ」


客が即座に言い返せなかった。


「使うたび、寿命を削る。

 精神の耐用年数を焼く。

 あれを何度もやれる人間は多くねえ」


中森は肩をすくめた。


「だから俺は金を取る。

 安売りはしない」


次に、机の隅の箱を指で叩く。


量子暗号札(りょうしあんごうふだ)


「札、ですよね?」


「紙だ。

 だが紙の顔をしたフィルタだ」


中森は言葉を選ばない。


「殴るための武器じゃない。

 現実が書き換わる“速度”を落とす道具だ」


「……どういう」


「残響はな、

 一瞬で人を“向こう側”に持ってく。

 札はそれを遅らせる。

 助ける“猶予”を買う」


一拍、間。


「だから札だけ撒いても意味はない。

 使う人間がその間に“直せない”なら、

 結局、被害者は壊れる」


視線が、鋭くなる。


「佐々木結衣がこれを好まない理由、分かるか?」


客は首を振った。


「彼女は待たない。

 “猶予”より“終了”を選ぶ」


中森は淡々と言った。


「受胎型とか、完全侵食型。

 修正不能な奴らには、それが正解だ」


そして最後に。


「祓詞。ふつし」


中森は少しだけ間を置いた。


「これは一番危ない」


「危ない……?」


「誰にでも使えると思われたら終わりだ」


彼ははっきり言った。


「祓詞は、世界を書き換える言葉だ。

 だが言葉そのものじゃない。

 その人間が“何を正しいと思ってるか”の表明だ」


客の背筋が伸びる。


「真名井梓の祓詞は修正だ。

 壊れたものを、本来の形に戻す。

 戻らないものは無理に触らない」


「佐々木結衣は?」


中森は即答した。


「消す。

 存在ごと終わらせる」


空気が重くなる。


「どっちが正しいか?

 ……場面次第だ」


中森は立ち上がり、資料をまとめた。


「高峰の報告にもあっただろ。

 残響は増えてる。

 質も悪くなってる」


彼は最後に言った。


「つまりな。

 これからは“優しいだけ”の祓屋は死ぬ。

 “壊すだけ”の祓屋も、世界を壊す」


客を見下ろし、静かに言う。


「だから俺みたいな情報屋が必要になる。

 生き残るための道具と、

 それを使える人間を選ぶためにな」


中森は笑った。


「金は取るぞ。

 だが、命よりは安い」


それだけ言って、部屋を出た。


机の上には、

高峰修一の報告書と、

世界を繋ぎ止めるための道具一覧が残されていた。

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