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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

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第9話「眠りを奪う回廊」 その5 静かな余熱と、眠りを取り戻した街

 まぶたを開くと、見慣れた白い天井があった。


 ゆっくりと呼吸を確かめる。

 熱の残滓はもう消えている。

 精神世界から引き戻されるときの反動で、身体は少しだけ震えていた。


「真名井……大丈夫か」


 高峰の声が、すぐそばから聞こえた。


 梓はベッド脇の椅子にもたれたまま、小さく頷いた。


「……はい。すみません、少し……遅くなりました」


「遅いも何も……十分だ。お前の横で、病室の温度が五度は上がってたぞ」


「……そんなにですか」


「体感じゃない。計器だ。

 どういう理屈かは分からんが、お前の戦いは現実にも影響してる」


 苦笑しかけて、胸が痛んだ。

 まだ完全には戻っていない。


 高峰は、梓の震える指を見て視線を伏せる。


「……無理をさせてるのは分かってる。

 だが九十人が死んだ事件だ。お前がいなきゃ、もっと死んでる」


「そんな……私ひとりでは……」


「いや、お前しかいない」


 静かだが、強い言葉だった。

 梓の胸の奥の弱さに、まっすぐ触れてくる声音。


(……ありがとうございます)


 声に出す前に、病室のモニターが小さく変化した。


 村田悠希の心拍が、落ち着いていく。


 肩に残っていた黒い痕は、うっすらと色が薄くなっていた。


(間に合いましたね……)


「村田くんは助かるのか」


「はい。今は深在意識の回復中です。

 あれだけ深く熱に焼かれたのに……奇跡的ですね」


「奇跡じゃなくて、お前が助けたんだ」


「……そうだとしても、戻れないものがたくさんあります」


 私は視線を落とした。


「九十人が……すでに。

 残響の核が強すぎて、長期接触した人は“眠り”の記憶が壊れています。

 眠ることそのものが恐怖になってしまって……

 それは、私の祓詞では修正しきれません」


 高峰さんはしばらく黙っていたが、やがて言った。


「……死者の分まで救えなんて、誰も言わん。

 だが生きてる者は、全部助ければいい」


「……はい」


 そのとき、スマホが震えた。


 画面には『中森』。


 出ると、いつも通りの気怠い声が響く。


『よう、お疲れ。死んでなくてなによりだ』


「死なせる気だったんですか、あの武器」


『あったりめえだ。便利なもんほど危険なんだよ。

 で──例の“主”の正体、見えたか?』


「はい。

 平清盛でした。

 熱、炎、滅び……あれほど深い残響は初めてです」


『歴史の大物ほど、残す“思念”もでかいんだよ。

 何百年も前のやつなのに……よくまあ現代まで残ったもんだ』


「今回は、眠りを奪う形で現れましたね」


『ああいうタイプはな、誰かが“願う”と呼ばれるんだよ。

 不眠と焦燥が街に渦巻くと、古い怨念が“呼吸”を始める。

 最近の世の中、眠れない奴が多いからな』


 胸が少しだけ痛くなる。


(もし……もっと早く動いていれば)


 中森は、こちらの沈黙に気づいたのか、声の調子を変えた。


『梓、お前はよくやった。

 今回の規模で死者が出ないなんてありえねえよ。

 生き残った奴らは、お前が守った命だ』


「……そうだといいんですが」


『あとでデータを送る。解析は任せた。

 んで──次の件だが』


「ちょっと待ってください。まだ休んで──」


『次は“声を奪う残響”だ。

 お前みたいな優等生は、治った瞬間に働くのが似合ってる』


「……人使いが荒いですよ、中森さん」


『褒め言葉だろ? じゃあな』


 勝手に電話が切れた。


 私は深く息を吐いた。


「相変わらずだな、あいつ」


「はい。中森さんですから」


 ようやく笑みが戻りかけたとき──


 窓の外で、風が揺れた。


 風に混じって、誰かの声が一瞬だけ聞こえた気がした。


『……ねむれ……』


 優しく、遠く。

 それは、炎ではなく、熱でもなく。

 ようやく手にした“終わり”の静けさのようだった。


 梓はゆっくりと目を閉じ、胸の奥で祈った。


(もう──眠っていいですよ。

 あなたも。

 そして、この街の人たちも)


 これで、熱に焼かれた長い回廊は終わった。


 だが、世界のどこかでまた別の祈りが形を変え、

 新しい残響として動き始めている。


 私の祓詞がどこまで届くのか、その答えはまだ先にある。


(高峰さんが……隣にいる限りは、進めそうですね)


 そう思いながら、私は立ち上がった。


「高峰さん。……行きましょうか」


「もう動けるのか」


「はい。

 眠りを奪う回廊は終わりましたし、次がありますから」


「まったく……タフすぎるんだよ、お前は」


 そんな言葉を背に、私は歩き出した。


 夜の病院の廊下は静かだった。

 もう、赤い熱はどこにも漂っていない。


 けれど、世界はまだ眠れない。

 残響は、次の場所で息をし始めている。


(待っていてください。必ず、祓いに行きます)


 歩みとともに、八鍵がわずかに光を返した。


 その光は、これから向かう闇の入り口を照らすようだった。

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