表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/118

第9話「眠りを奪う回廊」 その4 滅びを拒む赤光と燃える支配者(上)

 壁が割れる感覚は、何度味わっても慣れなかった。


 病室の白い壁紙が、音もなく裂けていく。

 隙間の向こうには、夜ではない闇があった。

 焼けた木の匂いと、乾いた熱だけが吹き出してくる。


(深層に繋がっている……)


 梓は八鍵を握りしめ、ゆっくりと息を吸った。


「高峰さん。……これから少し、意識を沈めます。

 私が動かなくなっても、無理に起こさないでください」


「分かった。お前のいつものやり方だな」


「はい。……いつもの、です」


 そう言いながらも、胸の奥では、いつもより深く息が詰まっていた。

 “規模が違う”。

 それはここに来るまでの道中で、嫌というほど理解している。


(九十人……既にそのくらい巻き込んでいる残響)


 普通なら、とうに自壊しているはずだ。

 これほどの干渉を続ければ、残響の核は崩れていく。

 それでもまだ熱が衰えない。


(……タチの悪い相手ですね)


 ベッドの上で眠る村田悠希の脈拍が、モニターに静かに刻まれている。

 その波形が時折、妙な乱れ方をする。


 焼けた回廊の影が、ベッドの足元から伸びている。


(引きずり込まれる前に、こちらから入る)


 梓はベッド脇の椅子に腰を下ろし、姿勢を正した。

 八鍵の柄を胸の前で立て、目を閉じる。


 頭の内側で、残響の熱がじわりと広がっていく。


「《接続祓詞せつぞくふつし》……」


 低く囁く。

 音声認識が起動し、八鍵の祓詞層が微量に光る。

 意識が、表層から静かに離れていく。


 天井の白が遠のき、代わりに暗闇が広がる。

 その暗闇の向こうに、“焦げた木の匂い”が立ち上った。


 足元が、硬い板の感触を取り戻す。

 睫毛の裏側に、赤い光が差し込む。


 ゆっくりと目を開けると梓は、あの回廊の真ん中に立っていた。


 黒い梁。

 煤に汚れた天井。

 左右には障子も窓もなく、ただ、果ての見えない廊が延びている。


 息を吸うと、肺に熱が流れ込む。

 それは空気ではなく、意志を持った熱だ。


(ここが……“あの人”の残響領域)


 床板がぎり、と軋んだ。

 自分が踏んだ音ではない。


 奥から、あの足音が近づいてくる。


 ぎり……ぎり……ぎり……


 古い木が踏み割られる音。

 それに合わせて、回廊全体が微かに震える。


 梓は八鍵を構え直した。


「聞こえていますか。

 あなたが、村田さんたちの眠りを奪っている残響ですね」


 返事はない。

 ただ、熱だけが一段階強くなる。


 回廊の奥から、影が浮かび上がった。


 長い衣。

 高い冠のようなもの。

 まっすぐ伸びた背筋。


 顔は、やはり黒い影に覆われて見えない。

 だが、こちらを見下ろす視線だけが、はっきりと分かる。


 胸の中央には、真紅の光の塊。

 心臓というより、熔けかけた金属のような、重く鈍い輝き。


 その光が、どくん、どくん、と脈打った。


 梓の心臓も、それに引きずられるように鼓動を速める。


(……危ない)


 意識が引きずられそうになる。

 深い熱の底に沈められれば、戻って来られなくなる。


 八鍵に意識を戻す。


「《解析祓詞かいせきふつし》」


 祓詞の声が、回廊に薄く響いた。


 影から、熱の波が押し寄せてくる。

 その成分を八鍵が拾い、私の脳裏に“情報”として流し込む。


 高熱。

 権威。

 怒り。

 眠りへの拒絶。

 そして──“果てのない支配欲”。


(ああ……やっぱり、ただの残響じゃない)


 誰かの生涯に積み重なった感情が、ほとんど削られず、そのままここにある。

 普通なら薄まっているはずの念が、異様な密度を保っている。


「あなたは……眠りを許せないんですね」


 影の輪郭が揺れた。

 わずかに反応した気配。


「眠りは、弱さだと思っている。

 目を閉じた者は、燃やされるべきだと。

 ……そんな感情が伝わってきます」


 影の胸の赤光が、ひときわ強く脈打った。


 熱が押し寄せる。

 回廊の板が、次々と黒く焦げていく。


 梓の足元まで、熱が舐めてきた。


 肌が焼けるほどの温度ではない。

 けれど、精神の表面が焼かれるような感覚が走る。


「っ……」


 歯を食いしばり、八鍵を振る。


「《鎮静祓詞ちんせいふつし》!」


 青白い光が広がり、床に走る炎のような熱を鎮めていく。


 しかし──影そのものは、ほとんど揺らがない。


(……やっぱり、効きが薄い)


 今までの残響なら、この段階で多少なりとも後退する。

 だが、目の前の影は、鎮静の波を“押し返している”。


 熱の圧力が、むしろ強くなる。


 胸の赤光が、まるで怒ったように激しく脈打つ。


『……さがれ……』


 声ではなかった。

 熱の振動に混ざって、意味だけが伝わる。


『さがれ……

 ねむるもの、みな……もやしつくす……』


 回廊全体が揺れた。

 板の隙間から、赤い光が吹き出す。

 床下まで燃えているような錯覚。


(これは、まずいですね)


 身体が軽く後ろへ押しやられた。

 精神世界で、残響の圧に押し負ける感覚。


 額から汗が流れる。

 現実の身体にも、同じように冷汗が浮かんでいるだろう。


(このまま押し切られたら……)


 村田悠希だけでなく、この街一帯の“眠り”が破壊される。

 ただの睡眠障害ではない。

 眠るたびに、誰かの熱に焼かれて精神が壊れていく。


(通常の祓詞じゃ、足りません)


 梓は、短く息を吐いた。


「……仕方ありませんね。

 今回は、あなた用に“準備”してきましたから」


 八鍵の柄の部分に、指先で触れる。

 そこには、新しく埋め込まれた小さなユニットがある。

 中森が用意した、焔心拡張用の祓詞層。


 精神世界でも、その存在感ははっきりしていた。

 八鍵の内部に、もう一つの心臓があるような、静かな鼓動。


(中森さん、こんなもの……よく平然と渡せますね)


 意識の中で、その封印を外す。


「《焔心起動祓詞えんしんふつし》──」


 小さく唱えた瞬間、八鍵の内部が赤く光った。


 残響の熱に応じるように、

 八鍵にも火が宿る。


 ただし、それは“制御された火”。

 相手の熱を受け止めるための、擬似的な心臓。


 影の胸の赤と、八鍵の赤が、対峙する。


 衝突点に、目に見えない圧が生じた。


 回廊の空気が、ぎしりと軋む。


 梓は八鍵を握り込み、踏み込んだ。


「《焔心反転祓詞えんしんはんてんふつし》!」


 相手の熱に、こちらの熱をぶつける。

 ぶつかり合った熱は、単純な加算ではなく、構造のぶつかり合いになる。


 焼き尽くす熱か。

 支え直す熱か。


 目に見えない構図が、回廊の中央で絡み合った。


 影の輪郭が、わずかに揺らぐ。


 床を伝う炎の波が、一瞬だけ引いた。


(……届く)


 確かな手応え。


 しかし──同時に、強烈な反撃が来た。


 影の胸の赤光が、爆発するように増幅した。


 回廊の空気が一気に灼けついた。

 青白い鎮静の光が、瞬く間に塗りつぶされる。

 こちらの祓詞が、押し負ける。


「くっ……」


 足元が滑り、身体が後ろに弾かれた。


 背中が、壁に叩きつけられる。

 精神世界だから痛みはぼやけているはずなのに、肺の奥で空気が抜ける感覚がはっきりとある。


 視界の端で、八鍵の赤が一瞬弱まった。


(まだ……出力が足りない?

 いいえ──私の側が、“持っていない”)


 中森の声が、ふっと頭の端で蘇る。


『この武器はな、器次第だ。

 お前の祓詞が届かないなら、ただの焼け石に水だ』


(そういうこと、先にちゃんと言ってほしいんですが)


 息を整える。


 影が近づいてくる。

 さきほどよりも速い。

 こちらの抵抗を“面白がっている”ようにも見えた。


『……おもしろい……

 ねむりを……もどそうとするか……』


 熱の震えに、嘲りが混じる。


「当たり前です。

 あなたが奪ったものを、戻したいだけです」


 梓は立ち上がり、八鍵を再び構えた。


 手が震えている。

 恐怖ではない。

 負荷だ。

 焔心拡張ユニットが、私の精神の奥まで熱を通している。


(このまま押し合えば、どちらかが“燃え尽きる”)


 それは避けなければならない。

 梓は祓う側で、燃え尽きるわけにはいかない。


(まだ、情報が足りません。

 この人が何を抱えているのか、知らないままでは、修正できない)


 影が、もう目の前に立っていた。


 冠の下。

 黒い穴のような顔の奥で、何かがゆらりと動く。


 梓は唇を噛み、別の祓詞を選んだ。


「《残響開示祓詞ざんきょうかいじふつし》!」


 熱に真正面からぶつかるのではなく、

 その構造を“見る”ための祓詞。


 八鍵から淡い光の糸が伸び、影の胸の赤光に触れる。


 その瞬間──視界が、別の光景で塗りつぶされた。


 燃える建物。

 炎に包まれた海辺。

 光る水面。

 燃え盛るような夕日。


 街が、火に呑まれていく。

 人々の叫び声。

 熱に浮かされたような笑い声。

 権威を象徴する装束。

 取り巻く家臣たち。

 そして、自らも熱に身体を焼かれながら、なお、何かを掴もうとする手。


(……これは)


 情報の奔流に呑まれかけた瞬間、

 影が鋭く祓詞の糸を振り払った。


 回廊に引き戻される。

 胸がきしんだ。

 肺が焼けるように痛い。


 影が、初めて“感情”をあらわにする。


『……みるな……』


 熱が跳ねる。

 回廊の天井に、無数のひび割れが走る。

 上から、炎のような光が降り注ぐ。


『ねむりをゆるさぬものが……

 なにゆえ……ゆるすなどと……』


 問いというより、怒りに近い何か。


 回廊全体が崩れかけている。


(ここで押し退けるのは無理──)


 梓は呼吸を整え、撤退の準備を始めた。


 本気の相手を前にして、一度退くのは負けではない。

 情報が足りないまま突っ込めば、修正ではなく破壊になってしまう。


「……ここまでですね。

 あなたの熱は、分かりました。

 次は、ちゃんと“話”をしに来ます」


 影の胸の赤が激しく揺れる。


『……だれに……ものを……いっている……』


 圧が一段階上がり、膝がわずかに沈んだ。


 八鍵の焔心が、悲鳴を上げるように軋んでいる。


(まずい、このままだと──)


 その瞬間、遠くで誰かの声がした。


『──戻れ、梓!』


 高峰さんの声。

 現実側からの呼び声が、かすかに届く。


 同時に、八鍵の内側から、別の信号が走った。


 中森の声が、冷ややかに響く。


『梓、まだ死ぬなよ。

 焔心ユニット、第2層を解放する。

 次で押し返せ』


(ちょっと待ってください、と言う時間もくれないんですね……)


 意識の奥で、封印されていたもうひとつの層が解除される感覚があった。


 八鍵の赤が、さらに深い色に変わる。

 さっきまでとは違う、重く沈んだ熱。


 影も、それに気づいた。


 回廊の空気が震えた。


『……おもしろい……』


 熱が笑った。


 私は歯を食いしばり、もう一度だけ八鍵を構えた。


「まだ、終わっていません。

 次は──少し、本気を出します」


 そう告げた瞬間、

 回廊の天井が、真っ赤な光で裂けた。


 第一次交戦は、まだ始まったばかりだった。


 梓は意識の糸をかろうじて現実に繋ぎながら、

 次の一撃に備えて、深く息を吸った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ